375話 不毛なる戦
下らん話だ。笑い話にしても質が悪い。
数日後。土煙の揺蕩う荒野を眼前に、完全武装のテミスは不機嫌な面持ちで前方を見据えていた。
その先にあるのは、エルトニア軍の前線基地の一つ。その中でも、この先に敷かれているのは恐らく、エルトニアが展開する部隊の中でも、最も兵力が集中している基地だ。
「状況報告」
「ハッ! 標的には最低でも六個師団は駐留している模様。いずれも我が方の動きに警戒態勢は取っているものの、我らの動きを察知した気配はありません」
「フム……悪くはない。だが、油断は禁物だ。全隊に地の利は敵にありと考えるように徹底させろ」
「了解しました!」
テミスは傍らのマグヌスに指示を下すと、視線を再び前方へと向けて目を細める。
現在、十三部隊が身を潜めているのは巨大な隧道だった。ここから先に進むのならば、我々の存在が露見する事は覚悟しなければならない。
「全く……ルカの奴、律儀に約束を守らんでも良いモノを……。お陰で、こんな無茶をやらされる羽目になったわ……」
小さな声でそうぼやくと、テミスは懐から時計を取り出して時刻を確認する。
時刻は丁度正午を過ぎた辺りで、タラウードから聞かされた作戦開始時刻までは、あと数刻ほど猶予があった。
そもそも、一個大隊を突出させて強襲を仕掛けるなどあり得ない話なのだ。
ルカ曰く、魔族であることに誇りを持っている連中は、人間風情に電撃戦を食らった事を余程腹に据えかねているらしい。
要するに、程度の低い『意趣返し』に付き合わされる羽目になった訳なのだが、そんな下らない意地で矢面に立たされるテミス達は堪ったものでは無い。
「……サキュド。各部隊には今回の作戦目標を徹底してあるな?」
「はい。確りと。電撃戦はあくまで二の次、目標はあくまでも強硬偵察による武力威圧である……と」
「それでいい。そもそも、タラウードとて一個大隊で大規模師団を殲滅できるなどと考えてはいまいよ」
そう言葉を交わしながら、テミスはサキュドから受け取った食糧の封を無造作に切ると、顔を顰めたまま口の中へと放り込んだ。
「っ……? コホッ……これは……美味いな……」
瞬間。カレーのように強烈なスパイスの刺激と共に、ピリピリと痺れる強烈な辛みがテミスの舌を楽しませた。しかし、その鮮烈な辛みが舌に残る事は無く、爽快感に似た独特な後味が、確固たる甘党であるテミスを以てしても、美味いと評する程の一品へと仕立て上げていた。
「珍しいな。食べたことのない味だ」
「ですねぇ……。これ、ルカ様から戴いた物資に入っていた、戦闘食糧なんですよ」
「フゥン……? ギルティアの奴、気を使って変わったものでも用意したのか……?」
テミスはポツリと疑問を零しながら首を傾げると、胸の内に生じた微かな違和感に意識を向ける。
通常、戦闘食糧という物は不味い。それは、携行性と保存性を重視する戦闘食糧の性質上仕方がない事ではあるし、魔王軍においてもそれは同じだった。
だからこそテミスは、自らの精神を健全に保つためにも、極力戦闘食糧の使用を避けて来たのだが……。
「私としては、甘くないのが残念ではあるが……これだけの味ならば、我等十三軍団にも正式配備したいくらいだな」
「はい。確かに食べ慣れない味ではありますが私も大賛成です。もっと辛いと嬉しいんですけどね……贅沢は言えませんが」
サキュドはテミスの言葉に頷きながら、自らの分を口の中へ放り込んで咀嚼する。
特に、辛い物が好物な彼女としては、この戦闘食糧が通常配備されれば、願ったり叶ったりという所なのだろう。
「んッ……?」
ピクリ。と。
サキュドが頬張る戦闘食糧を見た途端、テミスの脳裏を閃きに似た何かが走り抜ける。
――だが。
ズドォォォォンッッ!! と。凄まじい爆音と共に、遥か後方から巨大な土煙が立ち上る。それは明らかに、会戦の合図である爆裂術式だった。
「――馬鹿なッ! 予定の時間はまだの筈だっ!? なぜ今ッ……」
「報告! 友軍が敵前衛に総攻撃を仕掛け始めた模様!! 標的の基地も完全に応戦態勢に入りましたっ!!」
「クッ――!! 全軍に通達ッ! 作戦開始時刻には至っていないが、友軍が戦闘を始めた以上我々も作戦行動に入る!!」
テミスは即座に判断を下すと、食べかけの戦闘食糧を投げ棄てて背負った大剣を抜刀する。
「総員! 配置に付け! 電撃戦だ! 第一、第二中隊は地上から、第三、第四中隊は空から仕掛けろ! 連中の鼻を明かしてやるぞ!!」
鋭く放たれたテミスの指令を皮切りに、十三軍団は機敏な動きで部隊を集結させる。そしてそれを確認したテミスが先陣を切ると、その背に続いて一斉に飛び出した。
その背後では、エルトニアの国旗が小さく記された包み紙が、風に舞ったのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




