372話 親愛なる真実
――始まりは、何のことは無いただの事故だった。
あれはまだ、『私』が『ボク』だった頃。
卒業の思い出に、皆で旅行に行ったんだ。
向かった先は山奥のただのコテージで、身の丈に合った普通の卒業旅行だった。
けれど、その道中。
あの光景は、今でも覚えている。迫り来る壁のようなトラックの車体と、それを躱した先にあった絶望の風景を。
対向のトラックの無茶な運転を避ける為、必死でハンドルを切った先は、まるでエルトニアの荒野に走る川のように切り立った崖だった。
勢いの付いた車が、整備の甘いガードレールなんかで止まる訳も無く、ボク達の車は為す術も無く空中へと放り出された。
そんな、死が確定した車内で。
……ボクだけが、祈ってしまった。
……ボクだけが、願ってしまった。
死にたくないと。僕達がこんな所で死ぬはずがない……。死んで良い筈がない……と。
急速に離れていく道路に、ぶら下がるように残った大型トラックを睨み付けながら、憎しみに似た焦げ付くような感情を全霊で込めて。
きっと、そのせいなのだろう。
ボクだけが、あの女神さまの元へと辿り着いてしまったのは。
そして、戸惑うボクから話を聞いた女神さまは、少し驚いていたようだったけれど、優しく微笑んで新たな世界へ転移する事を勧めてくれた。元の世界で死んだ事実は変わらない、けれど……新たな世界であれば生きていく事ができる……と。
だから、ボクは女神さまに懇願したんだ。礼緒たちも生き返らせてほしいと。けれど、あの意地悪な女神さまは首を横に振るばかりで、ボクの願いに応えてはくれなかった。
けれど、ボクは一つだけ自分の願いを叶える方法を知っていた。
それは、古来より人と神との間で何度も交わされた契約。ボクたちの生きる現代では、そのお話は神話という物語と形を変えて伝わっている。そのお話の一つ、本来神様から授かる事のできる力を代償に、彼は妻を生き返らせることを望んだのだ。
「……取引を、しませんか?」
だからこそ、ボクは確信を持って女神さまにお願いをしたんだ。
どんな代償でも受け入れるから、皆と一緒に異世界へ渡りたい……と。
そしたら、女神さまは困ったように首を傾げた後、クスリと小さく微笑んで頷いてくれた。そして、ボクが新たな世界で授かるはずだった能力と、皆が世界を渡る責任を背負う事を代償に、皆と一緒にこの世界へやって来た。
「……これが、私が皆に隠していた真実だよ」
静かに、そして穏やかに。
シャルロッテは長い語りを喋り終えると、弱々しい笑みを浮かべてそう締めくくった。
もはや、シャルロッテの中にあの圧し潰されるような重圧は無かった。軽くなったその心に残されたのは、仲間達にようやく真実を語る事ができた解放感と、それを知った彼等が、自分の事を恨まないかという不安だけだった。
「……つまり、いわばあなたたちは――」
「――うるせぇ」
「……っ!」
そして、訪れた静寂を和ませるかのように、口を開きかけたトーマスの言葉を、低くくぐもったファルトの声がピシャリと黙らせる。
身を竦ませたシャルロッテがその姿を伺い見るも、項垂れるように顔を伏せたファルトの表情を垣間見ることは出来なかった。
――ああ。やっぱり……言わなければよかった。
そんな、諦めにも似た悔恨が、シャルロッテの胸の内に溜まり始めた時。
「……一つ、聞かせろ。俺達がお前に背負わせた責任ってのは、何だ?」
俯いたままのファルトの声が、所在無さげに佇むシャルロッテの元へと届く。
「それは……容姿や名前を決める事よ。一度死んだ私達は、姿や形……こうして私みたいに、性別だって好きに決めることができる。……これでも、一応頑張ったんだけどね。ホラ……私ってセンス無いし……」
「――カ野郎」
「えっ……?」
「バカ野郎って言ったんだッ!!」
「っ……!! ごめんなさい!!」
反射的に。雷鳴の如く鳴り響いたファルトの大声に、シャルロッテはしゃがみ込んで謝罪の叫びをあげた。
やっぱり駄目だった!! 怒るのは当然の事だ。私の勝手で、こんな戦いばかりの世界に無理やり連れて来られて怒らないはずが無い。
「それでも……それでも私はまだ、みんなと一緒にっ……」
寂しさと悲しさが溢れ出し、それは嗚咽となっていとも簡単に心の外へと零れ出していく。
私なんかが、こんなこと言える資格なんて無いのに。
それでも、罪を重ねることになると分かっていても、有り余るこの絶望の感情を吐き出さずには居られなかった。
「違ぇよ……馬鹿やろう」
ぽすん。と。
優しい声色と共に、ヨロヨロと立ち上がったファルトは、蹲って泣きじゃくるシャルロッテの頭に手を置いて撫で始める。
「もっと早く言えっての。勝手に一人で抱え込んで、悪い方へ悪い方へ自滅していくの、お前の悪い癖だぞ?」
「ふぇ……?」
「だ~か~ら~! 怒ってねえっての! せいぜい怒ってるとすりゃ、そんな風に悩むまで俺達に相談しなかった事だ! なぁ? レオン?」
ファルトはそう言葉を続けながら、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げたシャルロッテの頭をわしわしと撫でたまま、ニヤリと笑みを浮かべてレオンの方へと視線を向けた。
「あぁ……」
その言葉に頷くと、レオンは小さな笑みを浮かべた後、深呼吸をして小さな声で呟きを漏らす。
「……そうか。俺も……護られていたんだな……」
しかし、その微かな呟きは誰の耳にも届く事は無く、レオン自身の胸の内へと吸い込まれていった。
だが、一人哀愁に浸る暇も無く、すぐにファルト達の大きな声が響いてくる。
「つーか今の話なら、お前は俺達の命の恩人で名付け親じゃねぇか! おいレオン、ミコト! お前らの感想はどうだよ!?」
「ちょ――ファルト!? やめ――」
「――俺は超気に行ってンだぜ? 鷹をもじってファルト。最っ高にカッコイイじゃねぇの!! それに、礼緒をレオンにしたのも天才だ! なにせ、ライオンと鷹だぜ? 陸と空の二大王者が揃い踏みってワケだ!!」
「…………フッ」
その騒がしい声に、レオンは笑顔を零すとその輪の中へ入るべく腰を上げる。
ついさっきまで、ずっと考えていた事が全てどうでもよくなった。俺が戦う理由を、他人にとやかく言われる筋合いは無い。俺は、シャルロッテに救われたこの命で、レオンとして皆と共に生きていくだけだ。そんな当り前の事よりも、大怪我をしているはずなのに、はしゃいでいるファルトの奴をベッドに戻さなければ……。
「今のお前は、鷹は鷹でも猟師に撃たれた鷹じゃないのか?」
「うっわ! 言った!! 言いやがったなお前!? 実はこれメチャクチャ痛ぇんだよ思い出させん……いっででででで……!」
「ファルト!」
「フフ……だから言っただろ? 寝てろって」
「言われて……ねぇ……っ!!」
「いいから! 早くベッドへっ!」
レオンが駆け寄ると同時に、ファルトは笑顔のまま、力尽きるかのようにシャルロッテへと倒れ掛かる。シャルロッテはそれを悲鳴と共に受け止め、レオンと共に騒ぎながらファルトの身をベッドへと押し戻す。
そんな和気藹々とした光景を、トーマスとミコトは静かに眺めていたのだった。




