33話 葛藤の狭間
「マグヌス」
「ハッ! いかがいたしましたか? テミス様」
「………………いや、なんでもない」
王都からファントへ戻って数日。テミスはずっとこの調子だった。
何かを思案してはマグヌスを呼び、再び思案したかと思うと何も申し付けずに仕事に戻る。それを日に何度も繰り返していた。
「やれやれ……ね。魔王城から帰って来てから、すっかりと腑抜けたわね」
「腑ぬ……ウム、何かがあったのは間違いないのだが……」
そんな二人の問答など、まるで聞こえていないかのようにテミスは書類に目を落とし続けていた。
「はぁ……仕方ないか」
そう零すと、サキュドがテミスの前に立ち、勢いをつけて掌をデスクの上に叩き付けた。
「軍団長! いい加減にしてよ!」
「っ!」
「帰って来てからずっとそうやってモニョモニョと……何かあるんでしょう?」
「いや……ウム……訊くべきか否か迷っていたのだがな」
テミスは前置きをすると、手に持っていた書類を脇に寄せてため息を吐いた。他の軍団長から仕入れた情報を鵜呑みにするなど、軍団長の沽券に関わるかと思っていたが、丁度良いだろう。
「お前達は歓楽施設の噂を聞いたことがあるか? 第二軍団旗下の……あの町は何と言ったか……」
テミスはそう言いながら、書類の山の中から地図を引っ張り出すと、指を這わせてルギウスに聞いた町の名前を探す。
「……プルガルドの事?」
「ああ、そこだ。って……なんだサキュド。知ってたのか」
「ええ……まぁ……」
テミスが地図から顔を上げると、サキュドは気まずげにテミスから目を逸らしていた。
「サキュドは行ったことがあるのか?」
この二人は、私が『そういう類の事』を嫌う事を知っている。だからこそ、サキュドは俯いているのだろうが、主義を通すよりも今は情報が欲しい。
「ええ。はい……ありますよ」
しかしテミスの予想に反して、俯いたサキュドの発した言葉には、並々ならぬ怒りが籠っていた。
「ええ。あんな所に少しでも期待した私が間抜けでしたとも。あんな家畜を嬲った所で何にも愉しくなんて無いっ!!」
そうサキュドは声を荒げると、勢いよく顔を上げて熱弁を始めた。それもゆっくりと、しかし確実にテミスへと詰め寄りながら。
「テミス様もそう思いますよね? 何もかもを諦めた人形を痛めつけた所で喧しいだけ。そもそも、壊れた奴なんて興味は無いのよ。どいつもこいつも昏い目で怯えるだけだし……って、ちょっとマグヌス!」
「……サキュド。気付け」
「……え?」
呆れ顔のマグヌスが、拷問についての持論を熱く語っていたサキュドの襟首を掴んでテミスから引き離す。
正直に言おう。ドン引きだ。そもそも私に拷問なんていう悪辣な趣味は無い。故にサキュドの言う事はこれっぽっちもわからんのだが……。というか、何故サキュドはこうも同好の士であるかのような目で私を見ているのだ?
「あ~……その……なんだ。個人の趣味嗜好にとやかく言うのは良くないからな。うむ。サキュドの気持ちは私にはわからんが……ともかく気に入らなかったという訳だ」
「………………」
どういう訳だろうか。理解を示したはずなのだが、今度はマグヌスまでもが訳が分からないと言った顔でこちらを見つめていた。
「ちょっと、どういう事よ?」
「ウ……ウム。天然。という奴ではないか?」
「いやいやいやいやいや。あそこまでして自覚無しって逆に凄くない?」
そうしていたと思ったら、二人はなにやらコソコソと顔を突き合わして会話をしはじめた。声を潜めていたとしても全部聞こえている訳なのだが……。
「言いたいことがあるのなら聞くが?」
「っ! いえっ! なにもっ!」
テミスがコソコソ話二人の背へため息交じりに問いかけると、飛び上がった二人は直立不動の姿勢で敬礼をした。いい返事なのだが、会話の内容的に私の尊厳に関わりそうなので訂正しておきたいのだが……。
「ま、いいか……サキュドが知っているのなら話が早い。本当にそんなものが存在するのならば叩き潰すまで。出立の準備をしろ」
「ハッ……!? で、ですがテミス様っ! プルガルドは第二軍団の旗下。ドロシー様にお話を通された方が……」
「必要無い」
テミスは目を丸くするマグヌスの進言を切り捨てると、立ち上がって彼等に背を向け、窓の外へと視線を向けた。
「マグヌス、我々は独立軍団なのだ。下らん施設について調べに行きます。などと伝えてから向かったのでは意味が無かろう?」
「はぁ……ですがそれでは軍団同士の関係が……」
「関係ィ……? ククッ……アハハハハハッ!」
マグヌスの言葉に思わず吹き出してしまう。この男はどうしてこんなにも面白いのだろうか。そもそも、私が軍団長の時点で関係も何もあったものでは無かろうに。
「お前はなんて言うか……面白い奴だな……」
ひとしきり笑い終えたあと、テミスはそう言って不思議そうな顔で見つめるマグヌスの肩を叩くと、一足先に出立の準備に取り掛かったのだった。




