341話 紅の愉悦
「ウフッ……ウフフフフフフフフフッッ……!!」
土煙が爆散したその中心には、紅い槍を携えた一人の女性が妖艶な笑いを零しながら立っていた。
しかし、つい先ほどまでミコトと戦っていた幼女の姿は何処にもなく、強いて言うならば、あの幼女を20年ほど成長させれば、突如姿を現したこの女性のようになるかもしれない。
「っ……何者だ?」
「くふっ……冗談は止しなさいな。それともアナタは、姿形が変わった程度で敵の姿を見失うほどの無能なのかしら?」
「くっ……!!」
これはまずい。
姿を変えたサキュドと対峙しながら、ミコトはゴクリと生唾を飲んだ。
先程の一撃で決められるなんて思ってはいなかったけれど、手傷くらいは与えられたはずだった。けれど、目の前の女性の肌には傷一つ無く、今にもはじけ飛びそうなほどにパツパツに引き延ばされた服に少々、汚れが付いている程度だった。
「シャルロッテ……。ボクにブーストをもう一度かけたら、全力でレオン達の援護に回るんだ」
「……っ! 無茶よミコト! こんな化物相手に一人だなんてッ!」
「大丈夫……策はある」
「でもっ……!!」
首を横に振るシャルロッテに、ミコトはニヤリと笑みを浮かべて答えて見せた。
けれど、その大きな瞳一杯に涙を溜めたシャルロッテは、まるで子供の様に弱々しく何度も首を横に振り続けている。
「シャルロッテ! 早くッ! 僕の作戦を無駄にしないでッ!」
「――っ!! 信じるわよっ!!! ブーストッ! 七重奏!」
今の所、土煙の中から現れた女は、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら愉しそうにこちらを眺めているだけだ。強者故に弱者がもがく様を愉しんでいるのか……けれど、気まぐれから生まれたこの隙がそう長く続くとは思えない。
そう判断すると、ミコトは強い語気でシャルロッテに叫びを叩き付ける。すると、ビクリと肩を震わせたシャルロッテは、即座に強化弾をミコトに放ちレオン達の側へと走り去っていった。
「………………うん」
僕はいつから、こんなに嘘吐きになったんだろうね……。
そんな風に思いながら、ミコトはその背に小さく頷くと、ニッコリと微笑んでサキュドの方を向き直る。
「あら……もう良いの?」
「そちらこそ……シャルロッテを行かせて良かったんですか?」
「くふふっ。あっちの娘も面白そうだけど。アナタはもっと面白そうだもの」
「――っ!!」
ぞわり。と。
サキュドの言葉と共に、ミコトは自らの背中が一気に粟立つのを感じた。
ミコトに向けられたものは、紛れもない殺意そのものだった。この世界に来て、初めて感じた純粋な恐怖という感情。ミコトは何故か、その久しく忘れていた感情を懐かしく思っていた。
「無から有を生み出す事は出来ない。ならば、砕けたアナタの武器が突然復活したのはどういう事かしら?」
「……さぁ? どうでしょう……?」
その問いかけにミコトはニヤリと微笑むと、まるで見せつけるようにガンブレードを構えてサキュドに対峙した。
僕にできる事はただ一つ。少しでも長く、このサキュバスをここへ釘付けにしておく事だ。
もしも、上手く行けば。シャルロッテの援護を受けたレオン達が、僕がやられる前に間に合うかもしれない。
「……決死の覚悟……ね。まぁ、いいか」
サキュドは心底下らなさそうにそう呟くと、携えた紅槍をクルリと回して構えを解いた。
だが、その瞳は冷酷な光を宿してミコトを見据えており、それはサキュドの興味は依然としてミコトから動いていないことを示している。
……近付けばあのワケのわからない剣と切り結ぶ羽目になる。一瞬で直したのか、それとも新しい武装を召喚したのか……。ただの人間がそんな高等魔法を使えるとは思えないケド……。
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながらも、サキュドは冷静にミコトを分析し続けていた。
その結果として導き出された答えは、十三軍団にとって脅威になるかもしれないという曖昧な物だった。
何故なら、たかが人間として捨て置くにはその身で起こす現象が異常だ。その現象は、自らの主であるテミスと同種の物であるとサキュドは直感している。だが、先ほど切り結んだ印象では、テミス程の脅威は感じられなかったのだ。
故にサキュドは、ただひたすら、何があっても対応できる遠距離を保ちながら攻撃して様子を見るという戦略を選択したのだ。
「さて……人間風情がどこまで持つかしら?」
「――っ!!!」
ニィッ……。と。
サキュドは、主であるテミスが時折見せる狂笑とそっくりな笑みを浮かべると、言葉と共にその背に紅い魔方陣を大量に展開する。
質より数。そこに込められた術式は、ただ殺傷力のある魔力の塊を放つだけの単純な術式だったが、その単純さ故に操り易く、数を多く展開する事ができる。
「クッ……!!」
ガシャリ。と。
展開された魔法陣に対して、ミコトは歯を食いしばってガンブレードを構え直す。
ここまでは、ミコトの作戦通りだった。
僕の技量では、あのサキュバスの槍は捌き切れない。数合も打ち合えば、奴は僕の致命的な弱点を見つけるだろう。だが、遠距離戦ならば……持てる力を全て防御に回せば、いくらかは耐え凌ぐことができる筈……。
「その間に……決着を付けるんだッ……!!」
歯を食いしばったミコトの口から、小さな言葉が漏れた瞬間。
サキュドの展開した無数の魔法陣から、一気に雨のような魔力弾が放たれ始めたのだった。




