334話 掲げる御旗
「報告! 軍団長ッ!」
「――ッ!?」
陽が出て間もない朝もやが煙る時刻。テミスは自らの天幕に駆け込んで来た男の、けたたましい声に叩き起こされた。
「~~っ!! 三秒待てッ……。……!! よし。報告をッ!!」
「ハッ!」
テミスは即座に簡易ベッドから跳び起き、眠りこけていた脳味噌を無理矢理戦闘モードへと切り替える。
十三軍団の配下とはいえ、この手の報告が各部隊長や副官であるマグヌスとサキュドを通さずに、テミスの元へ直接飛び込んでくるのは珍しい。恐らく、敵襲か何か……緊急度の高い事態が起こったのは間違いないだろう。
「報告します! 二時間後の出立に向けて周辺索敵に当たっていた部隊が、前線の活発化を確認しました!」
「何っ……? ここはまだ内地の筈……前線など、まだ遥か先では……?」
テミスは受け取った報告に首を傾げると、天幕の中央に置かれた簡易的な指揮卓へと移動する。その上には、先日ギルティアから寄越された前線の図が広げられており、テミス達の部隊の位置を示す駒は、歪に前後する前線からは少し離れた位置に置かれていた。
「何かの間違いではないのか……? 現在地は魔王軍南方司令部の間近だぞ? 戦線がそこまで後退しているなどという情報は……」
「いえ。状況が余程逼迫しているのでしょう。我等の通信機にもオープンチャンネルでの避難指示が叫ばれています」
「なっ……」
あまりの状況に、テミスは動揺を隠しきれずに絶句した。
それが真実ならば、現状の戦線は異常な形を描くことになる。戦線の一部が、まるでΩのように飛び出し、なお前進を続けているというのだ。
これでは、前進を続ける部隊がいずれ孤立し、圧し潰されるのは自明の理だ。
「前線将校の先走りか……? それとも……」
テミスは新たに加わった情報を地図へと書き込みながら、脳内で様々なケースを予測する。
仮に、例の特記戦力部隊がこの戦場に居るのならば、この無茶な進軍はエルトニアの仕掛けた電撃戦。強大な戦力で戦線に穴を穿ち、一気に敵本陣を殲滅する決戦の一手だ。
だが逆に、この不可解な戦線の後退が魔王軍の作戦であったならば? 奇しくもまだ、後退した地域には少なくとも地図に記される規模の拠点とできる村や集落は存在しない。ならば、この空白地帯を用いて敵を誘引し、敵を分断して各個撃破する魔王軍の戦略とも見える。
「クソッ……どっちだ……?」
テミスは作戦卓前で頭を抱えると、突き付けられた二択に苦悩した。
前者ならば、出撃しない理由は無い。目的地と戦線の関係上、無視をして司令部へと向かえば、十三軍団は背後から襲撃を受ける事になる。
だが……後者なら。下手に介入をすれば魔王軍の作戦を阻害してしまう可能性がある。
どちらにしても猶予は無い。ならばいっそ、一歩退いた位置まで後退し、様子を見るのも手か……?
そんな転換案が思考の隅を過った時だった。
「ンッ……?」
地図を睨みつけていたテミスの目に、一つの村の存在が目に留まる。
その名はヘラン。規模の小さな村のようだが、その位置的にこのまま戦線が後退を続ければ戦渦に巻き込まれるのは間違いない。
もしも……。もしも、この後退が魔王軍の作戦であるならば。事前にヘランの住人を避難させているのではないか?
だが、誘引作戦はその性質上、敵に読まれてしまえば効果は無い。南方で指揮を執る司令官がフリーディアのような博愛主義者でない限り、事前通達など行ってはいないだろう。
しかし……今、十三軍団がギルティアから受領した依頼は査察だ。
そして、ギルティアは一般市民たちに被害が出る事を快しとはしていない。査察という名目ではあるものの、援軍要請に対して十三軍団を送った以上、ギルティアは前線の要求に応えている。
つまりこの南方戦線が、一般人を巻き込んでまでの無茶な作戦を立案し、実行する必要は薄いと言えるだろう。
故に。この町がハチの巣をつついたかのように混乱していれば、我々は魔王領の市民を守るためという大義を掲げる事ができるのだ。
「クフッ……ハハハハハハハッ!!!」
「――っ!?」
びくり。と。
突如高笑いを始めたテミスに、報告に来た兵が身を竦ませた。だが、テミスはそんな事を歯牙にもかけず、不敵な笑みを浮かべて兵へ問いかける。
「一つ確認だ。ヘランの様子はどうだ?」
「は……? ヘラン……でありますか?」
「あぁ。敵の進攻ルート上にある村だ。前線の動きを察知する位置まで向かったのなら、勿論その様子は掴んでいるのだろう?」
言葉と共に、テミスは上機嫌に地図を指差す。すると、兵士は困惑の表情を浮かべて頷くと、テミスに向き直って報告を始める。
「はい。前線からの避難勧告を聞いたのか、村はてんやわんや。混乱を極めています」
「フフッ……良いぞッ……!」
「はっ……? はぁ……」
現地の状況を確認したテミスは、頬を吊り上げて喜色を現した。勿論、状況の呑み込めていない兵士は疑問符を浮かべるばかりだったが、テミスはそんな事を歯牙にもかけず、命令を発する。
「すぐに部隊全員を叩き起こせ! 救援に向かうぞ! 出撃準備だッ!」
「っ……! ハッ!!」
困惑していた兵士は、テミスの発した命令を受けると、何故か誇らし気な笑みを浮かべながら敬礼をした後、その命に従って脱兎のごとく天幕から駆け出していったのだった。




