31話 セカイの姿
「では、行ってくる。ハルリト、留守を頼むぞ」
「ハッ! お任せくださいっ! 第二中隊長として……そして、次席幕僚としての義務を十全に果たしてみせましょう!」
馬上から見下ろすテミスの視線の先には、直立不動で敬礼をするエルフ族の男が居た。
「なに、伝えた通りだ。今回はただの式典だけのようだし、すぐに戻るさ」
「ハッ! 道中、どうかお気をつけてっ!」
「ああ……」
テミスは肩をすくめると、苦笑いと共にハルリトに頷いた。
この男、マグヌス同様に真面目なのは良いが、マグヌス以上に頭が固いから困りものだ。
「まぁ、私の不徳かもな……」
そう誰にも聞こえない声で呟くと、テミスは帽子を目深にかぶり直した。
最初はこれ以上ない程の堅物だと思っていたマグヌスも、いざこうして共に過ごしてみれば案外面白い所も多かった。だが、ハルリト達部下の一面しか見れていない以上、まだまだ理想の上司には程遠いらしい。
「テミス。気を付けてね」
「ああ……ありがとう」
見送りに来てくれた町の皆の中からアリーシャが歩み出て、見覚えのある包みを差し出してきた。
「……貴さっ――」
「――少し量が多いな。もしかして……?」
恐らく、上官を呼び捨てにされたことが琴線に触れたのだろう。気炎を上げかけたハルリトを睨みつけて黙らせてから、勤めて笑顔を浮かべ、アリーシャへと向き直る。
「うん。マグヌスさん達と一緒に食べてね」
「皆の分まで……ありがとう」
テミスは改めてアリーシャに礼を言うと、受け取った包みをそっと馬に吊るされた革袋の中に収めた。
「うん。やっぱり制服。良く似合ってるよ。可愛い」
「はは……ありがとう。嬉しいよ」
アリーシャは明るい笑顔と共にそう付け加えると、数歩下がって進路をあけた。
「可愛い……ね」
テミスはそう呟くと、自らの装いに意識を向ける。
デザインは結局、元の世界の警察の制服と様々な国の軍服をミックスさせたような、お堅いデザインにした。そこにアリーシャの意見が加味され、腰の横にフリルを重ねた飾り布や、胸元に月の意匠のワンポイントなどが入った、何とも言えない逸品に相成った。
そしてあくまでも余談だが、緑や紺色を希望したテミスの意見はことごとく却下され、この軍装も甲冑と同じ黒をベースにした物となっていた。
「……テミス様? いかがされたのですか?」
「あっ……いや、何でもない」
テミスは、同じく馬上で指揮を待つマグヌスの声に我に返ると、一つ深呼吸をして声を張り上げる。
「……行くぞっ!」
短い号令と共に、三つの影がファントの町から矢のように駆け出して行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
数日後。首都ヴァルミンツヘイム・魔王城内。
「皆。まずは各々任務で多忙な中、我が招集に応じてくれたことに礼を言おう」
壁際にたゆたう蝋燭の光を浴びながら、最奥の席でギルティアが静かに声を上げた。
「はっ! 忠義を誓う我らには当然の事。勿体なきお言葉でございます」
「……良い。リョース。貴様の心中を慮れぬほど浅薄ではない」
「…………失礼いたしました」
静まり返った一室の中で、二人の声だけが木霊する。
やれやれ。本当に茶番だな……と。暗闇に紛れて、テミスは嘆息した。
ざっと見回しただけでも、見当たるのは見知った顔ばかり。唯一初めて見る顔はリョースとアンドレアルの間に、一席づつ空けて腰掛けるエルフの男だけだった。
「面通しとは何だったのか……」
テミスは隣でギルティアが述べる口上を聞きながら、小さく呟く。リョース達の態度から、ギルティアは凄まじい忠誠心を集めているものだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「ククッ……いや済まないなテミス。偉そうに魔王軍などと謡ってみてもこの通り、内情は苦しいものだ」
一通り口上を述べ終えたギルティアがテミスに視線を送ると、皮肉気に口角を上げて語り掛けた。
「全くだ……見るに堪えんな。ギルティア殿?」
そう応えて立ち上がったテミスに、リョースを除いた軍団長の表情が凍り付いた。
しかし、テミスはそれを歯牙にもかけずに部屋を見渡すと、再び口を開く。
「なるほど……全く見るに堪えん。やはり町を襲撃してきた賊兵を撃退した程度では、信頼は得られんという訳か」
ギルティアと同様に、皮肉気に頬を歪めたテミスがそう締めくくると、ギルティアは満足気に息を吐いた。
「フム……やはり莫迦ではないらしい。まあ、それだけが理由という訳ではないのだがな」
そう言ったギルティアが自分の前の円卓の一部を押下すると、部屋の中心に大きな地図が立体映像で現れた。
「っ……これはっ……!」
「我らが国土の地図だ。ここが王都でその東にファントがある」
ギルティアの言葉と共に地図の中心に印が浮かび、そこから右側に徽章らしき印がポイントされる。
「そして、更に東には人間領」
ファントの印が打たれたすぐ脇を赤い線が走り、人魔の境界線を現した。
「同時に、我が国は北を獣人国家ギルファー、西を妖精郷アルプヘイム、そして距離は離れているが、南を魔導国家エルトニアと接している」
「まっ……待て!」
ヴァルミンツヘイムの周りを様々な色の線が囲った時、テミスは堪らずギルティアの言葉を制止した。
「……何だ?」
「国とはどういう事だ? 魔族と人間が争っているのではなかったのか?」
問いかけるテミスの声に、若干の震えが混じった。
今更になってあの女神を信じるなど言語道断な話だが、もしやあの説明そのものが嘘なのか?
「ああ。争っているとも。だが、我々とて一枚岩ではないのだ。ギルファーとは協力関係こそ築けているものの、アルプヘイムは国交を閉ざしている。エルトニアに至っては半数以上の軍団長を回さざるを得ない程の戦線を抱えている」
「なっ……」
テミスは、もたらされたあまりに酷い内容に思わず絶句した。
状況が悪いどころの騒ぎではない。二つの勢力との両面作戦を強いられている上に、背後の動きも不透明だと言う。こんな状況じゃとてもではないが、人魔統一なんて夢のまた夢だ。
「……すまない。無礼を承知で言うが……正気か? これでは人魔統一どころかこの国を守るだけで手一杯ではないか」
「ああ……何か勘違いをしているな」
テミスの言葉を聞いたギルティアが何か納得したかのように頷くと、地図を拡大して人間領とヴァルミンツヘイム周辺だけを映し出した。
「一枚岩にならぬが故にだ」
高らかにギルティアが声を上げると、人間領と魔族領を区切っていた赤い線が消え、二つの領地が空色で塗りつぶされる。
「大局を替えるにはまず足元から。我らが初めに人魔の融和を示すことで世界の動きを変える。憎しみ、侵略し合う事を繰り返す愚か者共に新たな選択肢を見せつけるのだ」
「…………なるほど」
欠片も納得していない重々しい声色で、テミスが肯定する。
ようやく理解した。この世界はいまだ未熟なのだ。あの世界のように世界中を巻き込んだ大戦も経験していなければ、そこから生み出される夥しい量の悲劇も知らない。つまりは、彼の言う『愚か者共』の愚かさを、ギルティアもまた知らないのだ。
「強大な力を以て屈服させ、それを安寧と呼ぶか。どうやら私は間違えて――」
「否だ」
「なに……?」
ゆっくりと円卓に添えられたテミスの手がピクリと止まる。
「確かに。己が利の為……己が享楽の為世界を手に入れるのならばそうだろう。だが私は違う」
「やれやれ。独裁者は皆、口を揃えてそういうモノだ。違うというのならば、その確たる証を示すべきではないのか?」
テミスとギルティアの間から放たれる緊張感で、部屋の空気がピシリ。という音でも聞こえてきそうな程に硬化する。
軍団長たちもまた、静観する者、観察する者、戦闘に備える者など、自分達の想像が及ぶ内での対策を練っていた。
ただ一つ。導き出された行動に差異はあれど、この状況を見ていた者全員の根底に共通していたのは決裂の二文字だった。
「お前だ」
「っ…………」
たった一言。ギルティアが真顔で告げた瞬間。テミスは世界の時が止まった様に感じた。
待ってくれ。少しで良い。頼むから待ってくれ。この状況で、その台詞だけは無いだろう? 非常にまずい。このままでは腹筋と表情筋が限界を迎えてしまう。この大真面目な空気の中で、それだけは避けねばならない。
「考えても見ろ。独裁を望む者がわざわざ獅子身中の虫を招くか? 答えは否だ。故にテミス、貴様の存在こそが我が信念の証と言えよう?」
止まった時の中で、テミスの願いも空しくギルティアが高らかに口上を述べる。その顔は何処か得意気に、そして誇らし気な微笑みを浮かべていた。
「ブフッ……グッ……そ、そうかも……しれんな……」
唐突に俯いたテミスが、肩を小刻みに振るわせながら肯定する。円卓に向けられたその唇からは、ひっそりと一筋の血が滴っていた。
「フム……まぁいい。話を戻そうか。我々の当面の目的は、人間領の併合だ。だが先んじて伝えている通り、テミス。お前はお前のやり方で動けばいい」
「…………無論だ」
テミスは滴った血を手の甲で拭ってから顔を上げ、ギルティアの顔を正面から見返した。
「故に、改めてこの場で要請しよう。南方戦線に関して我らが要請がない限り、第十三独立遊撃軍団は介入を遠慮して貰いたい」
「……何か、理由が?」
眉をひそめたテミスが訊き返すと、ギルティアは深いため息と共に口を開いた。
「戦力の問題だ。事実。先程お前の言った通り、我が軍の現状では二面作戦を完遂させるのは難しいだろう。だが、幸いな事に南方戦線は膠着状態に陥っている」
「つまり、下手に拮抗を崩して争いを激化させたくない……と?」
「ああ。戦火の拡大はお前も本意ではあるまい?」
「…………了解した」
考え込むように沈黙した後、テミスは頷くと再び円卓の自席へと腰を下ろした。
「感謝する。他に何か異論や報告のある者は居るか?」
満足げな笑みを浮かべたギルティアがテミスに頷き返すと、部屋をぐるりと見渡して問いかけた。
「フム。居ないのであればここに、第十三独立遊撃軍団の新設と、その軍団長にこのテミスを着任させる。以上だ」
一同に反応がない事を確かめたギルティアは高らかにそう告げると、不意に腰を上げてマントを翻した。すると、それに連動するかのように、各軍団長たちが立ち上がり、敬礼の姿勢で硬直する。
「っ!?」
「ククッ……ではな」
ギルティアは肩越しに、目を白黒させながらひとまずと言った雰囲気で立ち上がるテミスを一瞥すると、そのまま振り返る事無く部屋を出ていくのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




