327話 最後の休暇
カランコロン。と。
扉に取り付けられた鐘が景気良く鳴り響き、新たな客の来店を報せた。戸口を潜り、ゆっくりと姿を現したのは一人の少年だった。
「へい、らっしゃ……って、ミコト君か! 卒業おめでとう。もう皆、奥に揃ってるよ」
「ありがとうございます。マスター」
ミコトは笑顔で店主にそう告げると、示された先へ向かって歩を進めた。
今日は卒業休暇の最終日。明日からはさっそく任務が詰まっているだろうし、こうして皆で気兼ねなく酌み交わせるのも、最後になるかもしれない……。
そんな、哀愁にも似た感情を抱きながら、ミコトは店の最奥のボックス席へと足を踏み入れる。
するとそこには、自分を待っていたであろうレオン達が、緊張した面持ちでこちらを見つめていた。
「っ……。ゴメンゴメン。少し立て込んじゃって……待たせちゃった?」
「……。いや……問題無い」
しかし、ミコトはそんな陰鬱な空気を無視して笑顔で問いかける。
彼等がこういう表情で顔を突き合わせている時は、決まって何か重要な事を話そうとしている時なのだ。その証拠に、いつもは鬱陶しいくらい明るいシャルロッテが、今や真一文字に唇を結んで、青ざめた表情をしている。
「到着したンなら、さっさと始めようぜ」
「そうだな、まずは――」
「――ちょっ……ちょっと待って! ……先に何か頼まないかい? 急いだから喉が渇いちゃってさ」
ミコトは口を開きかけたレオンの言葉に割って入ると、手早くメニューを取り上げて内容を吟味する。見たところレオン達はまだ何も注文していないみたいだし、いくら馴染みの酒場とはいえ、飲食店で何も注文せずに居座るのは収まりが悪い。
それに馴染みの酒場だからこそ、深刻な話をしている間に、気を利かせた店主が注文を取りになど来たら最悪だ。
「んん~……せっかくだし、エールでいいかな。みんなは?」
「……同じで良い」
「俺もだ」
「えっとぉ~、私はぁ~……」
「はい。エール四つね。マスター、エール四つお願いしますっ!」
「ちょっ……酷くないっ!?」
暗い雰囲気の中、ミコトが努めて平静を装いながら注文を通すと、遠くから景気の良い店主の声が響いてくる。こんな扱いになってしまってシャルロッテには少し申し訳ないけれど、これで少しは二人の気も紛れるだろう。
「あいよ! お待たせ。エール4つに……ミルクはシャルロッテちゃんへのオマケだ」
「わぁ~っ! 流石マスターッ! ありがとっ!」
ほどなくして、注文の品を手に持った店主がミコト達の席を訪ねると、品を受け取るべく進み出たシャルロッテが歓声を上げる。彼女のこういう所は流石と言うべきか、見習うべきところなのかもしれない……。と、ミコトはその一見すると無邪気に見える行動を眺めていた。
「んじゃ、話が終わったら声かけてくれや。腕、振るうからよ」
「……すまない」
去り際に店主は、レオンに向けてニカっと微笑みかけると、そのゴツイ右手の親指を立てて戻って行った。
この町に来てからずっと通い詰めているだけあって、ここの店主は僕達の正体は知らないものの、その間に漂う空気を読むのはかなり上手いらしい。
「……エール……か……」
ボソリ。と。
店主が立ち去ったのを確認すると、レオンは並々と酒が注がれたジョッキを見つめて呟くように口を開く。
「俺達がこれを飲むようになるのは、もっと先の事だと思っていたんだがな……」
「そうだね……」
「だな……」
その言葉に導かれるように、席に着いた全員の視線が、視線を自らの手の中のジョッキへと注がれた。
この世界には、彼等の飲酒を咎める法は無い。故に、たとえ彼等がへべれけになって道で転がっていても、士官候補生の立場故に叱られることはあれど、法に裁かれることは決してないのだ。
「明日の任官……それが分水境だ。元の世界へ戻るか、この世界で生きるかのな」
「――っ!」
静かに、しかしはっきりとした口調でレオンが話の核心に切り込むと、シャルロッテを除く二人は、緊張した面持ちでごくりと生唾を飲み込んだ。そしてそのまま言葉を発することなく、レオンの続ける言葉を待つ。
「正直……必要なものは得た。戦い方や世界情勢、地理に歴史……。今の俺達ならば、冒険者としてでも十二分に通用するだろう」
「でも――っ!!」
「――元の世界への期間を目指すのならば、自由度の高い冒険者になるべきだ。軍人と言う道は決して、調査の片手間で務まるような甘いものではない。……それは、お前たちも十分に分かっているだろう?」
「っ……」
レオンは口を挟みかけたシャルロッテを視線で黙らせると、淡々と事実を並べ立てていく。それは、真実であると同時に仲間達に現実を突きつけ、選択を迫る言葉でもあった。
「冒険者となれば、ねぐらである宿舎を失い、給金も途絶える。今のように安定した生活は望めないだろう」
黙り込んだ仲間達に目線を合わせながら、レオンは静かに言葉を続ける。そもそも、この段階で軍人を辞するのはかなりの危険が伴うのは間違いない。まだ軍籍で無いとはいえ、出奔行為であるのは言うまでも無く、下手をすれば犯罪者として扱われ、この国に留まる事は出来ないだろう。
だが、元の世界への帰還方法を探すという途方もない調査を続けるのならば、この程度の障害を乗り越える事ができなくては話にならない。
「逆に……このまま軍人となれば、俺達に自由は無いだろう。たまの休暇はあるだろうが、特務という立場上危険な戦場へ送り出されるのは目に見えている。立場や生活は保障されているが、調査に打ち込むのは難しい」
そこまで告げると、レオンは手に持っていたジョッキをテーブルに置いて、一人づつ静かに仲間達と目線を交わした。
そして、短い沈黙の後。
「俺は軍人になる。この世界の住人として……レオン・ヴァイオットとして生きていくと決めた」
「っ……! おい待てよっ! 本当に……本当にそれでいいのかよ!?」
「……」
その宣言を聞いた瞬間。ファルトが溜まりかねたかのように声を荒げると、その拳をテーブルへ叩き付けてレオンへ顔を寄せる。
「俺達は……俺達は必ずあの世界へ帰るッ!! そう決めただろッ!! なのにお前はッ――」
「――好きにすれば良い」
「なっ……」
今にもつかみかかりそうな剣幕でまくし立てるファルトの言葉を、氷のように冷たいレオンの言葉が叩き切った。そのあまりにも冷たい視線に、頭に血の昇っていたファルトですら、言葉を失って驚きに目を見開いている。
「俺はお前たちの保護者ではない。俺は、軍人になるというだけだ。ファルト、お前はお前の道を好きに選ぶと良いさ」
「な……お前ッ……ンな事本気で言ってんのかよ……?」
「ああ。ただ、ここで道が分かれるだけの事だ。だが……これまで共に協力してきた仲だ。出奔するというのなら……手を貸してやる」
「っぁ……」
レオンが主張を言い切って言葉を切ると、重たい沈黙がテーブルを支配した。
店内からは楽し気に語らう声が響いてくるが、まるで世界が遮断されてしまっているかのように、レオン達のテーブルにそれが届く事は無かった。
「ハァ……ったくよ……」
永遠にも思える長い沈黙の後、硬直していたファルトは不意に破顔すると、頭を掻きながら声を上げた。そこに先ほどまでの剣幕は無く、何処かスッキリとした清々しささえ漂わせていた。
「そうやって自分を押し殺すの、悪いクセだぜ? 本当は不安で仕方ねぇ癖によ」
「なっ……!?」
そして、ファルトは柔らかな笑みを浮かべたままレオンを指差すと、軽い口調で言葉を紡ぎながら傍らに寄せられていたジョッキを手に取った。その傍らでは、まるで同意するかのように深く頷くシャルロッテと苦笑いを浮かべたミコトが、ファルトと同じようにジョッキを手に取っていた。
「……だからこそ、レオンが隊長なんだろうけどね」
言葉と共に、ミコトは静かにジョッキを掲げると、隣のシャルロッテへチラリと目線を走らせる。
すると、それに応じるように小さく頷いたシャルロッテは、底抜けに明るい笑顔を浮かべ、ミコトのジョッキに自らのジョッキを合わせると、朗らかに口を開いた。
「そそっ! 単細胞のファルトには無理無理っ! いろいろ深く考え過ぎなのよ!」
「ヘッ……うるせぇっ。わかってんだよンな事ぁ。こちとら、お前だからこうしてここまで信じて付いてきたんだ。お前がそう固くハラ決めたって言うンなら、文句ねぇんだよ!」
シャルロッテの言葉が終ると同時に、荒々しく突き出されたファルトのジョッキが合わせられ、三人の視線が驚きの表情で硬直したレオンへと向けられる。
その向けられた笑顔には、どれも溢れんばかりの信頼が込められており、悲壮な決意に凍りかけていたレオンの心を溶かしていった。
「っ……。フフッ……。よろしくな」
レオンは自らの頬が自然とほころぶのを自覚しながら、仲間達にそう答えると、合わせられたジョッキへ自らのジョッキを高らかに打ち付けたのだった。




