325話 覚悟の意味
数日後。レオンとファルトは、エルトニアの町へと繰り出していた。
町とは言ってもその規模は大きく、周囲には高々としたレンガ造りのビルが立ち並んでいる。
「しっかし……最初に見た時ゃビックリしたモンだけど、慣れりゃ感動も薄れちまうってな……」
「……そんなものだろ」
ノンビリと呟いたファルトの声に、隣を歩くレオンは蒸気に煙る空を見上げて、静かに答えを返した。
ファルトの言う通り、初めてこの町にたどり着いて、このスチームパンクな街並みを目の当たりにした時は驚きもしたし、顔が熱くなる程の興奮を覚えたのも確かだ。だが、そんな感動は一年も住んでいれば次第に薄れ、今やこの中世ヨーロッパの街並みと近未来的機械技術が混ざり合ったような異常な風景も、ただの日常となっていた。
「もう一年……か……」
「んぁ? あぁ。卒業って事ぁ……もうそんなになるのか」
誰ともなく呟いたレオンの言葉をファルトが拾い、彼もまた同じように空へと目を向ける。その目は何処か寂し気な哀愁を帯びており、ここまで辿り着いた彼等の道が、決して平坦では無かったことを物語っていた。
「……ところで、ミコトとシャルロッテは?」
「シャルロッテのヤツはいつもの。んで、ミコトは何か用があるってんで、二人とも後からの合流だろうよ」
「……そうか」
レオンは自らの問いに答えたファルトへ呟くように返すと、ぼんやりと空を見上げたまま、ゆっくりと歩んでいた足を止めた。
シャルロッテが外出の準備に時間をかけるのはいつもの事だ。曰く、女の子は外へ遊びに行くだけでも色々と大変なのだそうだ。
「俺達も……そろそろ覚悟を決めないといけないのかもな……」
「覚悟……? 戦場に出るってンだ。そんなモン――」
「――いや」
立ち止まったレオンに倣い、ファルトはその歩みを止めて首を傾げる。そして、零した言葉に応じるべく口を開くが、即座に首を振って否定したレオンの言に口を噤む。
「俺達が……この世界の住人として生きていく覚悟だ」
「っ……そりゃぁ……」
「フ……そういう意味では、既に女として生き、トーマスをオトそうとしてるシャルロッテの奴が……一番覚悟を決めているのかもな……」
レオンは言葉を詰まらせたファルトに薄く微笑むと、空から周囲の風景に目を移して言葉を続ける。
「この一年間。情報を集め続けたが、元の世界へ帰る手段は欠片も見当たらなかった。ならばいっそ……」
「ヘッ……止せよらしくねぇ。諦めンのか?」
「違う。この世界を……この風景を現実を認識するだけさ。偶然、こちら側でも学生という身分と別れる時だしな……。予想していたよりもかなり早いが、『子供』を卒業するにはいい機会さ」
「っ……。レオン……」
そう言いながらレオンは、道端に寄ってその背をビルの壁面へと預けると、腕組みをして目を瞑った。
そう。自分が就職するだなんて思いもよらなかった。少なくともあと数年先……遥か未来に待っているイベントだと思っていた。だが事実として、『学生』に帰る事のできる目途は立っていない。ならば、これを期に方針を変えるのも一つの手だ。
「考えてみれば、あの世界でも俺達が一番ガキだった。共に居て楽しく過ごしていても、いつも一線を越えるのは俺とお前の二人だけだ。あいつらは、引き際って物を弁えている」
「待てよレオンッ! 俺は……俺は嫌だぞッ!」
ファルトは、つらつらと言葉を並べていくレオンに叫びをあげると、詰め寄ってその胸倉を掴み上げる。
「お前は……あいつらは間違ってるッ!! 兵士になりゃ動ける範囲も広がる! もしかしたら――」
「――いい加減に気付け」
「――っ!!!」
ビクリ。と。レオンの氷のような視線を受けると、ファルトは身を竦ませて言葉を止める。
何故なら、今この瞬間。この世界に来て初めて、レオンからファルトに向けて冷たい殺気が放たれはじめたのだ。
「現実を受け入れろ。ファルト。この世界に来てすぐ、シャルロッテはまるで人格が変わってしまったかのように『女子』になった。そして今度は、ミコトが何かを始めた……。付き合いの長いお前なら……これ以上説明をしなくてもわかるだろうっ!!」
「ぐっ……くっ……」
突如として言い合いを始めた二人に、往来の人々が何事かと振り返っては、奇異の視線だけを残して通り過ぎていく。だが、いつもならば煩わしいその視線も、今まさに自らの人生を左右する選択を迫られている二人には、意識の端にすら留められる事は無かった。
「……任官は明日だ。あちらの学校みたく、ゆとりを持たせてはくれないらしい。お前も、今夜までに結論を出せ」
そう言い放つと、レオンは歯を食いしばるファルトの手を強引に払いのけ、乱れた服装を整える。その様相は冷静そのもので、一切の感情が表に出ていなかった。
――だが。
「…………。俺も……もう少し考えてみる」
レオンは、自らをを壁に押し付けていた時の格好のまま項垂れるファルトを一瞥すると、小さな声で言い残して人だかりの中へと消えていったのだった。




