323話 道化と獣
戦闘終了後。即時帰投命令を受けたホーラ小隊の面々は、壮年の男性の前で直立していた。
「――以上。報告終了」
「……フンッ! はぐれだったから良かったものの……」
淡々と状況を説明し終えたレオンに、カイゼル髭を生やした壮年の男性は憎らし気な視線と共に鼻を鳴らす。
その視線には好意的な色は一切籠っておらず、むしろ厄介者でも眺めるかのような侮蔑の意志が込められていた。
「まぁまぁ、ヴァイスマン准将。敵は撃滅……彼等も無事だったんですし、良いではないですか」
「ハンッ! 軍人たるもの命令は絶対だ。その点においては、調査任務という我々の命令を放棄した時点で、貴様らは失格だ」
「……チッ」
ヴァイスマンと呼ばれた男の傍らで、それまで柔和な微笑みを浮かべたまま黙していた男がやんわりと止めに入る。しかし、ヴァイスマンの勢いは止まらず、その態度には、冷静さを矜持とするレオンも微かに苛立ちを露にしはじめた。
そもそも、戦時中に国境付近をうろつかせておきながら、戦闘をするなという方が無茶な話なのだ。奇襲を受ければ即応が基本。いちいち戦闘許可など取っている暇がある訳が無い。
「わかっているのか? 士官学校では多少特別扱いされていたらしいが、あまり調子に乗らない事をお勧めする。これは老婆心による忠告であり、お前たちのこれからを憂いての訓告である事を理解せよ」
「……現場を知らない無能が」
「何ィ……?」
刹那。レオンがボソリと零した一言で、室内の空気が凍り付いた。
幾ら無能とはいえ、相手は准将という遥か上位の階級を持つお偉方。幾ら優秀だとしても、本来ならレオン達のように、未だ階級すら与えられていない卒業生が会話をする事さえ許されない人間なのだ。
無論。吐いた唾が飲めぬように、不幸にも准将の耳に届いてしまった呟きは許されるものではない。
怒りに色を失い、こめかみに青筋を立てたヴァイスマンが、生意気の代償を支払わせるべく、大きく息を吸い込んだ瞬間。
「さーて! 准将閣下の有難い訓告も受けたことだし、僕らは作戦室へ戻ろうか」
ヴァイスマンの傍らで様子を眺めていた男が手を叩くと、有無を言わさぬ内に部隊の面々を室外へと追い出し始める。
「トーマス大佐! 勝手な行動は慎め! その若造は捕らえろ! 懲罰だッ!!」
だがすぐに、その背を引き止まるかの如くヴァイスマンの怒号が響き渡る。
しかし、トーマスはその怒号に柔和な笑みを浮かべたまま首を傾げると、その糸のように細い目を僅かに開いて口を開いた。
「これは異なことを。彼等はまだ学生……正式な軍人ではありません。それに、懲罰を与えるような問題行動は見られませんが?」
「な――何を言っておる!! いまその小僧は! 事もあろうかこのワシを……むっ……むむむ……無能などと罵ったのだぞッ……!!」
ドゴンッ! と。ヴァイスマンはその怒りを表すかのように掌を机へと叩き付け、鬼のような形相で怒鳴り散らした。
すると、その言葉に応じるように、部屋を退出しようとしていたレオンが足を止めてヴァイスマンを振り返る。そして、その鋭い眼光を光らせ、ヴァイスマンへ向かって口を開く。
「し――」
「――いやまさか! 聞き違いでしょう。よもや、卒業生風情が他でもない閣下にそのような口を利くなどあり得ません」
……が、その言葉が放たれる刹那。大仰な身振りでその間に割って入ったトーマスが、機先を制してレオンを黙らせた。
そして、トーマスはその柔らかな笑みに似合う優しい口調で、言葉巧みにヴァイスマンの意識をレオンの失言から引きはがしていく。
「ムゥッ……? だが、しかし……」
「准将閣下はお疲れなのでしょう。この戦況、栄光と責任ある閣下におかれましては、心労が溜まるのも何ら不思議では無いかと……」
「っ……。ま、まぁ……。そうかも……しれん……」
「嗚呼……やはり。ならば閣下は、ご自愛なさるべきかと愚考いたします。こうして、使える新兵も入ってくるのです。新設の特務部隊が発足すれば、閣下のご苦労も和らぐに違いありません」
まさに、その様子は立て板に水。少しばかりこのトーマスという男を知るレオン達は、この光景を眺めながら、よくもまぁこうスラスラと心にも無い台詞が出てくるものだと感心するしかなかった。
「――。ウムッ。ウム! お前の出した特務案には期待しているのだ。しかと、頼んだぞ?」
「ハッ! お任せください。それでは、失礼いたします」
終いには、触れれば爆発するような所まで怒りを溜め込んだヴァイスマンが、上機嫌に高笑いをしながらトーマス達を送り出す始末だった。
そんなヴァイスマンにトーマスは敬礼をすると、不満気なレオンを押し出すようにして部屋を後にしたのだった。




