320話 剣姫と剣帝の研鑽
突如。
軍団詰所の中庭で始まったその手合わせは、長く十三軍団に語り継がれ、後世では剣姫と剣帝の研鑽と呼ばれることとなる伝説の戦いだった。
しかし、その真実はただの稽古なのだが、その冒頭を知らぬものにとっては、その後の見る者全てを圧倒する二人の気迫に、誰もそんな真実など露ほども思い当たらなかったのだった。
「型破りなのは良い。だが、破る型があってこその型破りだ。……故に」
向かい合って剣を構えたテミスに、オヴィムは小さな声で言葉を紡ぐと、ゆっくりとした動きでその手に持った剣を正眼に構える。
「……っ!」
隙が無い。
オヴィムはただ、正眼に剣を構えているだけだ。別段目を見張るような構えを取っている訳でもなく、この世界の知識に疎い私さえも知る、基礎中の基礎の構えだ。
だがテミスは、オヴィムが構えたその格好から、たった一部の隙も見出す事ができなかった。
「クッ……セェッ!!」
結果。
テミスはその強靭な脚力に物を言わせ、瞬時にオヴィムの背後へと移動する。そして、移動したエネルギーを利用して流れるようにオヴィムの背中へと斬りかかった。
しかし。
「……否ッ!!」
「くぅッ……!?」
オヴィムの一喝と共に剣は身体ごと弾かれ、テミスは土煙をあげながら食いしばるも、距離にして3メートルほど弾き飛ばされていた。
「膂力に頼るな。隙が無ければ作るのだ……そらッ!!」
「っ――!!?」
ボソリ。と。
呟きにも等しいオヴィムの言葉を、テミスの耳は一言一句聞き漏らさずに自らの脳へと書き留めている。
今まさに、オヴィムが語っているのは戦いの基礎。この力を持つが故に、今更誰にも聞く事のできず、テミスが求め続けていたものだった。
「ムッ……クッ……参った」
直後。
ガギィンッ! と打ち合わされた剣が甲高い音を奏で、オヴィムの剣がテミスの眼前に突き付けられていた。
その剣戟は超人的に迅いながらも、動きは先程オヴィムが口にした基礎中の基礎の動きを再現していた。
つい先ほど。オヴィムの言葉を耳にしたテミスは、その攻撃を封殺するべく正眼に構えていた。しかし、油断無く構えていた筈の構えは、オヴィムの放った柔らかい一撃によって瞬時に崩されていた。
剛を受けるべく打ち合わせにいったテミスの剣は易々と躱され、受け流された直後のがら空きになった眼前に剣が付き付けられたのだ。
「そして、それを突き詰めたのがこの技。双竜双牙である」
「っ……!!」
ヒュンヒュンッ! と。ブツブツと呟いた後で、オヴィムは見覚えのある技の型をテミスの前で素振りして見せた。
それこそまさに昨日、幻の刃にてテミスの首を切り落とした決着の技だった。
「ククッ……なるほど。理解した。もう一本だ」
「……? ……」
直後。不敵な笑みを浮かべたテミスが剣を構えると、オヴィムは一瞬だけ首を傾げた後、それに応じるように剣を正眼に構えて相対する。
そして。
「ハァァッ!!」
「ムヴッ……!? これは驚いた……降参だ」
テミスの気合の籠った叫びが響き渡り、軽い金属音が通り過ぎた後。
そこにあったのは、オヴィムの首元に剣を添えたテミスの姿だった。
「お主……いつの間にこの技を……?」
「ついさっきだよ。私の敗れた技だ。その軌跡は嫌というほどこの目に焼き付いている。だが、動きを真似るだけならば容易い。だが……フム。なるほど……。その意味が解るとこうも違うものなのか……」
「っ……。…………!!!」
オヴィムの問いに答えながら、テミスはそのままぶつぶつと独り言に突入して、ゆっくりとその身を離す。
だがその傍らで。オヴィムは自らの身に落雷が落ちたかのような戦慄が走るのを自覚していた。
オヴィムは今……たったの2合、テミスに剣戟を交えて基礎を説いただけだった。だというのに、その基礎を突き詰めた遥か彼方。白刃と鉄血の狭間で磨き上げた奥義とも言える技を、目の前の少女はそれだけで会得してしまったのだ。
「……? どうした?」
オヴィムの戦慄を知りもしないテミスは、すでに数歩離れた位置で剣を構えて無邪気に首を傾げていた。
考えてみれば、当たり前の事だ。今まで、彼女が訳も分からず振り回していた力の扱い方……それが戦いの基礎なのだ。繰り方を知らぬ使い手であれ程の強さを誇るのであれば、扱い方を知った瞬間にその力が増すのも道理だろう。
「っ……。いや……何でもない……」
テミスへそう返答を返しながら、オヴィムはゆっくりとかぶりを振って剣を構える。
オヴィムは、自らの内に走る戦慄の意味を正しく理解していた。
この戦慄は恐怖と期待……そして、僅かな嫉妬が一つになった感情だ。
テミスの素養はオヴィムの予測を遥かに超えていた。
まるで、動力を抜き取った機械のように。テミスはその意味を知るだけで、技の最奥へと到達する。
ならば……この少女がひたむきに腕を磨いた先。剣戟の極致とも言えるその場所には、いかなる剣技が存在するのだろうか……。
しかし、その比類なき強さは何を生むのだ……?
オヴィムは自らの目の前に居る少女の秘める可能性を理解しているからこそ、その胸中を戦慄という名の戸惑いが支配していた。
「オヴィム……? もしかして、体調が優れんのか?」
「っ……。フッ……。成る程。儂も老いたのだな……」
「……?」
だが、剣を構えたまま再び首を傾げるテミスを見て、オヴィムは呟きながら苦笑を漏らすと、自らの感情に説明をつけた。
そうだ。屍同然だった儂を命懸けで救い出した彼女が、彼の人間の王が如く畜生道へ堕ちる訳が無い。むしろこの感情は儂自身の弱さ……己が例え一生をつぎ込んだとしても辿り着けぬ境地、そこへ至る可能性を見せたテミスが羨ましいのだ。こうして、弟子であるかのように教えを乞うてくれる恩人が先へと征くのが寂しいのだ。
「何でもない。さぁ、次だ……!」
「っ……!! 来いッ!!」
オヴィムは逡巡を振り払うと、再び剣を構えて声をあげた。それに応じて、テミスもまた、爛々と目を輝かせて剣を構えて見せる。
こうして、誰の目にも留まらぬうちに稽古は剣戟へと変わり、二人が己が気のすむまで打ち合った夕刻頃には、その周りを大勢の見物人が取り囲んでいたのだった。




