318話 遠き日の誓い
翌日。
ファントの町は、蜂の巣をつついたような大騒ぎに見舞われていた。
事の発端はこの町の主にして守護者であるテミスの帰還。人間軍との小競り合いが続いている中で、軍団長であるテミスが二度も満身創痍で町へ舞い戻ったとあれば、噂が独り歩きしない理由は無い。
それに加え今回は、その傍らにかつてこの町を守護していた軍団長・バルドの腹心であったオヴィムまでもが姿を現したというのだから、噂には尾ひれやはひれどころか、翼や牙まで生えてくる勢いだ。その具合は、近々、人間軍との最終決戦を予期する者まで出る始末だった。
「……どうだ? 町の様子は?」
「皆、戦々恐々としております。兵たちの間でも、連日テミス様が傷を負われた事で、人間軍に新たな冒険者将校が現れたのではないか……と邪推する者も……」
執務机に腰を落ち着けたテミスが傍らのマグヌスへ問いかける。すると、マグヌスは暗い苦笑いを浮かべながらテミスへ目を向けて答える。
「ハッ……これでは、おちおち怪我もできんな」
だが、そんなマグヌスをテミスは鼻で笑い飛ばすと、まるで他人事であるかのように吐き捨てた。
この町は既に、一つの町として成立している。それは防衛の面においても同じで、例え私が居なくとも、人間軍一個師団を相手取って、援軍が到着するまでの数日間をゆうに耐え得るレベルには構築してある。
「フッ……苦労が絶えんようだな。テミス」
「オヴィム! ……とアルスリード!」
そこへ、渋い声と共にアルスリードを連れたオヴィムが顔を覗かせた。
無論。その格好もあの古びた甲冑ではなく、テミスが用意させた、普通の衣服を身に着けている。
「……オヴィム様」
「良い。儂は今や一介の食客。軍団長補佐を務めるお前に、様と呼ばれる義理は無い」
「っ……」
二人はそう短く言葉を交わすした後、マグヌスが黙り込んで目を逸らした事で会話を終える。サキュドに至っては、オヴィムがこの町へ来てからずっと彼から逃げ回っているようだし、私情を挟むなと通告を出したものの、古株組の心中が複雑なのも無理のない話だろう。
「それで……? 何の用だ?」
「その話は僕から……」
テミスが問いかけると、オヴィムの傍らで静かに成り行きを見守っていたアルスリードが、一歩前へ進み出て口を開く。
「まず、この度は我々ディオンが家の為、骨を折っていただいたことに深く感謝します」
「……文字通り。な」
「っ……! 今日は、その件でご報告を兼ねてお加減を窺おうかと……」
「悪い……と言ったらどうする?」
「っ……。それ……は……」
所々に挟まれるテミスの嫌味に耐えながらも、立派に当主としての挨拶を進めていたアルスリードが、遂に言葉を濁してオヴィムの顔を伺い見る。その先では、まるで子供同士の喧嘩でも見るかのように、眉根に深い皺を寄せたオヴィムが小さくため息を吐いていた。
「テミス……お前の知っての通り、アルスリー――アルス様はその任を果たし始めたばかりなのだ。だから――」
「――だから? その外面通りの青二才ですと吹聴すれば、あの国の連中が手加減してくれるとでも? あり得ん。優位に立ったと確信し、余計に責めて来るばかりだろうよ」
しかし、仲裁を試みたオヴィムの言葉尻を食い取って、テミスはピシャリと厳しい言葉を叩き付けた。
テミスが不機嫌な理由は、別に、オヴィムとアルスリードの一件で、彼等に手傷を負わされたからではなかった。
問題はその後。意識を取り戻したテミスが、意気揚々と次の段階……アルスリードを虐めていた兵を始末しに向かおうとした途端、アルスリード自身が彼等を赦してしまったのだ。
最も被害を受けたアルスリードが赦してしまったのならば、外様のテミスとしてはもはやどうする事もできない。ファント襲撃を目論んだことを理由に攻め入れば、理由は如何にせよそれは、即座に開戦の狼煙が上がる事を意味していた。
故に。理由を失ったテミスとしては、オヴィムの討伐を冒険者であるテミスの功績としてギルドに報告した上で、監視役をしていた兵たちの任を解く、というフリーディアの出した案に乗らざるを得なかったのだ。
監視対象であった彼の両親をも、事務方として白翼騎士団預かりにしてみせるとのたまったフリーディアの顔は、実に腹立たしい正義の味方の顔をしていた。
「クク……いい機会だ。奴も少しは身に染みるだろう」
「……?」
僅かに目の端に涙をためたアルスリードが首を傾げる前で、テミスはボソリと独りごちった。
フリーディアはいささか、人間の善性に期待し過ぎるフシがある。別段、性悪説などを唱えるつもりは無いが、奴が現実を知るには丁度良い加減だろう。
「それで……? 挨拶はもう良い。報告と言うのは?」
「は……はいっ! その……ですね……」
半眼になったテミスが続きを促すと、ビクリと肩を震わせたアルスリードが言葉を続けた。
「フリーディア様にはもう報告をしたのですが……旅に、出たいと思いまして」
「……は?」
その唐突な発言にテミスは目を丸くすると、思わず間抜けな声を漏らしてしまう。
旅だと……? 多少立派になったとはいえ、この小僧が……?
そして、テミスの混乱が抜けきらぬうちに、アルスリードは次々と言葉を重ねていく。
「今回の事は全て、僕の無知が引き起こした事です。恥ずかしながら、僕はあまりにも物事を知らなさ過ぎる。だから、オヴィムと共に世界を巡り、見分を広げたいのです! ……今、僕のすべきことが何なのかを知るために!」
「っ…………。フッ……」
叫ぶように告げられた宣言を聞き終えたテミスは、暫くの間驚いたような表情を受けべて沈黙を保っていた。
だが、すぐにその口元を歪めると、自らの机の中を漁って何かを取り出し、二人に向けて放り投げた。
「……」
「っ……!! これは……?」
オヴィムはそれを難なく空中でつかみ取ると、目を丸めて驚きの表情を露にした後、静かにその目を伏せて黙り込んだ。その一方で、アルスリードもまた驚きの表情を見せてはいたが、手に取った物を見せながら、恐る恐ると言った表情でテミスへ問いかける。
それは黒々と輝く小さな記章だった。第十三軍団の紋章が刻まれたその記章が意味するところは即ち……。
「餞別代りだ。持っていけ。その記章は我らが十三軍団の身内の証。何処を旅するつもりかは知らんが、有事の際に命を守る程度には役に立つだろう」
「っ……。ありがとうございます」
「フン……だが、それが原因で厄介事に巻き込まれても知らんからな?」
深々と頭を下げたアルスリードに、テミスはそっぽを向いて鼻を鳴らす。
その影で、机の上に散らばっていた一枚の書類……入居申請書と銘打たれた書類を、テミスはぐしゃりと握り潰したのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




