316話 救いの御手
「っ……く……」
ズルリ……。と。
オヴィムがアルスリードに膝まづく姿を確認すると、テミスはゆっくりと傷付いた体を持ち上げた。
しかし、即座にそれに気付いたフリーディアが、抱き留めるようにしてその身を引き寄せる。
「テミス! 動いたら駄目よ! 迎えを寄越すから、それまで安静にして!」
「いや……」
「貴女の傷は深いわっ! 一度止まった血も、また動いたらすぐに開くわ!」
だがその言葉には応じず、テミスは膝を立てて立ち上がるべく脚に力を籠める。
勿論。フリーディアの言っている事がすべて正しい事など、頭では理解している。今回の戦いにおける私の役目は既に終わったし、こんな重症の体を引き摺ってまで戦いを続ける益など一つも無い。
けれど。結局の所、私個人の問題は何一つ解決していない。
感情も策略も抜きに、純粋に力を比べ合う戦いはまた夢の彼方へと消えてしまった。
ならばせめて。この戦いだけでも。
戦いが途中で終わるなどという、こんな中途半端な物で終わらせたくなかった。
たとえその結果が、惨めな敗北だったとしても。この世界で初めて行った真剣勝負に、きちんとした結末をつけたかった。
「解っているさフリーディア……これは私の我儘だ。だからお願いだフリーディア……行かせてくれ……」
「っ!!」
追い縋るフリーディアにただそれだけを告げて、テミスは体を引き摺りながら立ち上がる。そして、その言葉を告げられたフリーディアは、驚愕の表情を浮かべてその場に凍り付いた。
――あのテミスが……他でもない私に対してお願いっ!? 要請や命令ではなくて……お願い!?
その言葉の発したあまりの衝撃に、フリーディアはフラフラと離れていくテミスの背を、ただ茫然と見送る事しかできなかった。
「オ……ヴィム……ッ!!」
「……」
ジャリッ……。と。
アルスリードに膝まづくオヴィムの元へ歩み寄りながら、テミスは静かに言葉を放つ。その正面では、驚いたように目を見開いたアルスリードが、オヴィムを庇うようにテミスの前に立ちはだかる。
「テミス……さんっ!! お手を煩わせたのも、そのために大怪我を負われたのも、重々に承知しています! この身の罪も必ず濯ぎます! 貴女に受けた恩も必ず返します! ですからこの場は、そうか剣を納めていただけませんかッ!?」
そしてそのまま声を張り上げ、満身創痍のテミスへ向けて、アルスリードは深々と頭を下げて見せた。
言葉は未だ幼く、表情も怯えが隠せていない。けれど、その堂々たる佇まいには、先ほどまでの小憎たらしい青さは無く、ディオン家を継ぐ者としての風格が既に頭角を現していた。
「っ……」
その姿にテミスは思わず、手に引き摺っている大剣を取り落としそうになった。
この感情は我儘だ。それは理解している。だからこそ、今は自らの欲求に蓋をして、この時代の犠牲者達が頸木から解放されたことを喜ぶべきではないのか……?
そんな感情がテミスの心中を駆け巡り、正しさを是とするテミスには逡巡の余地など無かった。
しかし。
「よい」
「――!?」
アルスリードの背後で音も無く立ち上がったオヴィムが、テミスを見つめて短く告げた。そして、自らとテミスの間に立つアルスリードの横へと一歩進みながら言葉を続けた。
「その心は、武人として死に等しい。時世に揺れず、状況を鑑み、自制する事ができるのは、指揮官としてこの上ない才覚だろう。だが……儂は知っている。恐らくこの世でただ一人、お主の心の嘆きを」
「心の……嘆き……?」
掠れた声で、アルスリードがオヴィムの言葉を反復する。同時に、テミスの背後では、我を取り戻したフリーディアが、話の内容に首を傾げていた。
「刀が……剣が哭いていたのですよ、アルスリード様。テミス……最早、我等の間に言葉は要らぬ」
「……ありがとう」
アルスリードに顔を向けてその問いに答えた後、オヴィムはテミスに向き直って小さく頷いて見せた。そしてその意図を、テミスは正しく受け取って礼を告げる。
やはり私の見込んだ通り……オヴィムは最高の武人だ。
同時に、テミスは能力を発動させて、人繰りの糸を動かない箇所へと繋げていく。
「アルスリード様。ご心配召されるな。この戦いを終えてこそ、誰も死ぬ事無く終わる事ができるのです」
オヴィムはそうアルスリードに告げてから、鞘へと納めた刀を抜き放って広場の中ほどへ向かって歩き出した。
そして、無言でオヴィムの背を追ったテミスが、オヴィムから数歩離れた位置で立ち止まると、クルリと振り返って抜き放った刀を掲げてテミスへと見せる。
「っ……!!!」
その刃はボロボロに毀れ、今にも折れ砕けてしまいそうなほどに痛んでいた。
「互いに、そう何度も打ち合える体ではあるまい。あと一合か二合か、それで幕だ」
驚きに僅かに目を見開いたテミスへオヴィムは静かにそう宣言すると、刀を八双に構えて制止する。
その動きに遅れず、テミスも大剣を空へ掲げて能力を発動させる。すると一瞬。漆黒の大剣が淡い光を放つと、その刀身から鋭さが消え失せた。その後、テミスは身を落として剣を地面と水平に構えると、オヴィムと同じようにピタリと制止した。
「――いざ」
「尋常に」
「「勝負ッッ!!」」
互いの呼吸を合わせるかのように、テミス達は交互に言葉を紡ぐ。そして、最後の一節を共に吠えた直後。大きな金属音が広場へ響き渡ったのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




