313話 二匹の修羅
「グクッ……ハァ……ハァッ……!!」
一体、どれほどの時間が経ったのだろう。
テミスは薄れゆく意識を必死で繋ぎ止めながら、剣戟の狭間を駆け抜けていた。
もう、何合打ち合ったのかもわからない。
幾多の太刀を受け流し、幾多の太刀をこの身で受け止めた。
「クソッ……血を……流し過ぎた……」
さらに前へと踏み込みながら、テミスは忌々し気に小さく吐き捨てる。
細かい傷は無数にあれど、それはどれもテミスの命を脅かすには程遠いものだ。
特筆するのはたった二つの刀傷。左肩を深々と抉る傷と、右腕を刺し貫いた初撃の傷。だがこのどちらも、重症ではあったがただ受けただけでは、到底致命傷と呼べるようなものではない。
しかし、テミスは動けぬ筈の腕を『人繰りの糸』で無理矢理稼働させ、オヴィムへ向かって斬り込んでいる。
故に。動かすたびに傷口からは凄まじい量の血があふれ出て行き、剣を打ち合わせ、万力を込めれば噴水のように血液が迸った。
「……もう止せ。幾ら敵だとはいえ、お前のような若い命が無為に散るのは、儂も見たくない」
ガギィッ! と。
オヴィムはテミスの放った斬撃を受け止め、ゆっくりとした口調で語り掛けた。
しかしこの言葉も、決してテミスへの思い遣りから出た言葉では無い。オヴィムは人間であるキルギアスに救われた身。故に、二度と人を殺めぬと主に誓ったのだ。ただひたすらに自らの忠道の為……オヴィムは満身創痍のテミスへと言葉を紡ぐ。
「如何にしてその傷付いた身体で戦い続けているのかなどはもう問うまい。……だが、お前も解っているのだろう? このまま、命の源たる血を流し続ければ、お前は遠からず死ぬ」
「……ッッ!! だから? それが……?」
「ムゥッ!!」
しかし、テミスは血みどろの顔で凶悪に微笑むと、まるであてつけるかのように剣に力を籠めて言葉を返す。無論。収縮した筋肉が傷口から血液を送り出し、飛び散った血が下草へと滴り落ちた。
「ここで死に果てようが……矛を収めて生き永らえようが同じ事だッ!!」
テミスはそう叫びをあげると刃を滑らせ、振り切った刃をオヴィムの顔面へと叩き込んだ。
しかし、その斬撃は既に受け太刀を用意していたオヴィムの刀によって阻まれ、再び鍔迫り合いの膠着状態へともつれ込む。
「貴様……死にたがりか……?」
「ハッ……阿呆め。語って聞かせたところで、生きた屍には理解できんよ」
「っ……!!」
薄い微笑みと共に放たれたテミスの言葉に、オヴィムは微かに息を呑んだ。
だがそれはテミスの言葉通り、その意味を理解できなかったわけではなく、完全に理解したからこそ生まれた驚愕だった。
今、テミスは儂の事を生きた屍だと言った。それは、二の句を告げる事ができぬほどに正鵠を射ている。自らの命を救われた主を守る事ができなかった男など、ただ息をするだけの肉傀に過ぎん。
故に……だからこそ。眼前のこの少女は儂に対し、言外にこう言い放ったのだ。
儂との戦いを続ける事に、自らの全てを懸ける程の意味がある……と。ここで退く事が即ち、彼女にとって儂と同じ生きた屍へと堕ちる事なのだと。
「っ……。お前の……お前の本当の目的は何だ……?」
「ハッ……。漸くか……」
グラリ……。と。
傾ぐ体を支えながら、テミスはオヴィムの問いに頬を歪める。
ここまで全霊で斬り合ってようやく、オヴィムは私を迷い込んだ旅人としてでも敵対する人間としてでもなく、一人の個として認識したのだ。
だが、まだ足りない。
この男を生き返らせるにはそれだけでは足りないのだ。
だからこそ、テミスは皮肉気に嗤い、打ち付けた大剣へさらに力を込めてただ一言だけ言葉を紡いだ。
「己が正義を貫く為だ」
「――っ!?」
ギャリィンッ!! と。派手な音と共に、抗っていたオヴィムの剣が圧し負け、テミスの大剣がその鎧へと到達する。
続いて、二撃、三撃と。圧し切った隙を食い広げるように、テミスの放った斬撃がオヴィムの甲冑に傷をつけた。
「ヌゥッ! ガァッッッ!!!」
「――カハッ……」
だが、オヴィムもただ黙って打たれ続けるのを許すほど心を乱した訳ではなかった。
弾かれて崩れた体制を即座に戻しながら、刀の柄を最短距離でテミスの腹へと叩き込んで反撃し、繰り出される連撃の手を止めさせる。
負ける訳にはいかないのは、オヴィムとて同じだった。主無きこの屋敷を守り続ける事こそ、全てを失ったオヴィムが、最後に唯一守り通せるものなのだ。
「ウオオオオオオオオオオッッッ!!!」
故に。オヴィムは獣の如き咆哮をあげながら、刀を返して大きく振りかぶる。
自らの立てた不殺の誓いを守り、かつこの屋敷を守れる手段など、オヴィムにはもう、一つしか無かった。
如何に強力な攻撃を受けようとも、この一撃でテミスを昏倒させる。
オヴィムは決死の意図を刀に込め、全霊を懸けてテミスの意識を刈り取るべく、その頭部目掛けて叩き込んだ。
「お……オオオオォォォォォォォッッ!!」
だが同時に、オヴィムのその姿を見たテミスも決死を覚悟して咆哮をあげていた。
あの一撃を躱す事は叶わない。
並々ならぬ気迫が込められたオヴィムの刀を見て、テミスはそう確信していた。
今までの攻撃とは訳が違う。今の今まで堅牢な守りを誇っていたオヴィムが、その全てを捨てて攻撃へと転じたのだ。ただ攻撃を防ぎ続け、私が失血死するのを待てばいいだけの男が、その誇りを懸け、身を捨ててまで攻撃を放とうとしているのだ。
――チッ……時間切れだ。
テミスは心の中でそう吐き捨てると、その一撃を以てオヴィムを殺す為に大剣に対して能力を発動した。
テミスが待っていたのはこの瞬間だった。死人同様に、機械的に刀を振るうだけだったオヴィムが、自らの意思を……魂を込めて刀を振るう力を取り戻す事。ギリギリの瞬間で、確かにオヴィムは純然たる意志を以て刀を振るおうとしている。
だが、皮肉にも。虜囚を目覚めさせたというのに、この世で唯一、その鎖を断つ事のできる剣の方は間に合わなかったらしい。いやむしろ、あの様子では朽ちて折れ果てていたと考えるべきか。
ならば、次善の手だ。
私は今日この瞬間を以て正義の名を棄て、悪逆へと成り果てるッ!!
掲げる大義も無く、ただ悪として悪を食らうだけの獣になってでも、私には護るべきものが……為さねばならぬ事があるのだッッ!!
覚悟の籠った二振りの刃が振りかぶられ、互いを両断すべくその牙を突き立てんと振るわれた。
閃く刀はテミスの頭を狙い、昏い炎の様に揺れるモヤを纏った大剣はオヴィムを真っ二つにすべく袈裟に狙いを付けている。
誰もが救われる結末を願ったが故に、誰もが救われない結末が切り結ばれようとしたその刹那。
「もう……やめろぉぉぉぉぉっっっっ!!!!!」
突如響いた叫びと共に、陽の光のように眩い閃光がテミス達を包み込んだのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




