312話 それぞれの葛藤
それは、常軌を逸した戦いだった。
ギャリィン! バギィンッ! と。剣閃が閃くたびに、剣の打ち合わされる派手な音が鳴り響く。
「くあっ……!!」
しかし、僅かに取り零した一撃がテミスの体を刻み、血飛沫が迸った。
心得の無い者が見れば、テミスがオヴィムに対して猛攻を繰り返し、一気に畳みかけているように見えるだろう。
事実。テミスはオヴィムに対して一歩も退かず、血を流しながらも激しい斬撃を放っている。
「あぐっ……!!」
だが、実際に傷付いているのはテミスだけだ。今も再び、その猛攻の合間を縫って閃いたオヴィムの刀がテミスの頬を切り裂いていく。
テミスはただひたすらに、前へと逃げ続けているだけだ。戦いを傍らで眺めるフリーディアはそう確信していた。
「なんで……」
ぽつり。と。
骨肉の死闘を眺め続けるその傍らで、アルスリードが弱々しく声をあげた。
「なんで……あいつらは悪い奴等だろ……? 何で魔族とあのテミスって奴が戦ってるんだよっ!! なんであんなボロボロになってまで戦うんだよっ!!!?」
まるで、小さな子供が駄々をこねるかのように。アルスリードは血みどろの争いから目を背けて叫びを上げた。何故そんな疑問が湧いて出たのかすら、アルスリードは理解していない。けれど、どうしてこんなにも胸が苦しいのだろうか……。
意味の分からぬ苦しみにあえぎながら、アルスリードは叫び続けた。
「オヴィム!! ああ……知ってるとも! 我らディオンの誇りを地に堕としたヤツだ! 俺達の敵だッ!! ならなんでッ!!!」
「……目を背けちゃダメよアルス。あれが……テミスなの……」
喚くアルスリードに静かに寄り添うと、フリーディアは苦し気にそう告げた。
その拳は固く握りしめられ、噛み破った唇からは薄く血が滴っている。
その姿は、幼いアルスリードであっても理解できるほどに、フリーディアが動きそうになる自分の体を必死で留めている事を現していた。
「あれがテミスって言ったって……」
唖然と。アルスリードは促されるままにその戦いへ視線を戻す。そこでは、相も変わらず血染めの死闘が繰り広げられている。
だが、彼女たちが戦う理由なんて、何も知らないアルスリードが慮る事など到底できなかった。
「……そう。そう言う事……。また自分だけ矢面に立って……馬鹿ッ……!」
戸惑うアルスルードの姿を見て、フリーディアはようやく自分の役目理解した。何故テミスが、この場に自分を同行させたのかを。それは、不慣れな人間領でのサポートでも、ましてや共に戦う事でも無い。
彼女はただ、アルスリードの護衛兼解説役として、自分を連れてきただけなのだと。理解したが故に、フリーディアの心に渦巻いていたのは、怒りを遥かに通り越した、虚無感にも似た寂しさだけだった。
「少しは……貴女に認めてもらえたと思ったのに……」
ぽつりと呟き、フリーディアは湧き出る感情へ静かに蓋をする。
初めて、テミスの方から手を貸せと言われ、私は喜び勇んで手を貸す事を決めた。
当り前だ。道は違えど心は同じ……そう信じて止まなかった同胞に、ようやく頼りにしてもらえる対等な存在だと認められたと思った。だからこそ、やる気の迸りを抑える事ができず、あんな拠点まで用意したのだ。
けれど……。
「貴女の隣はまだ……遠いのね……」
酷く寂し気にフリーディアは呟きを漏らすと、泣き出しそうなほどに顔を歪めた。そして、何かを振り払うようにかぶりを振った後、アルスリードの肩に手を置いて口を開く。
「オヴィムが……彼が背負っているのは、あなたたちディオンへの恩義」
「……?」
「武人がその命を救われたのだもの……。全霊を賭してその恩を返すわよね」
「……。なら……」
その声に微かに顔をあげたアルスリードが、血みどろになりながらオヴィムへ追い縋るテミスへと視線を移した。
「テミス……彼女が斬ろうとしているのは、世界の過ち。魔族が人を、人が魔族を恨む心そのものを断とうとしている……」
「恨む……心?」
「いいえ……それだけでは無いわね……。テミスは間違いを……悪を決して許さない」
「なら……オヴィムは悪者なの?」
「っ……」
アルスリードの純朴な問いに、フリーディアは思わず息を詰まらせた。彼はまだ、どちらも正しくても争いが起こり得ることを知らない。だから、どちらかを悪と定めて、正義を求めるのだ。けれど、アルスリードがそれを理解するまで、この戦いは終わらないだろう。誰も傷つかない解決案……それこそ、テミスが……私が求めて止まなかった未来なのだから。
「アルスは……どう思う……?」
フリーディアは、すぐにでもアルスリードを説き伏せたい欲求を抑え込み、優しく問いかけた。これだけは、誰から教えられたものではなく、アルスリードが自分で辿り着かなければ意味がない。
「わからない……わからないけど……でも……」
そんなフリーディアの腕に収まりながら、アルスリードは食い入るように戦いを見つめてブツブツと言葉を零し続けるのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




