311話 刃の檻
「馬鹿な……。お前……本当に人間かッ……?」
オヴィムが驚愕の声を漏らし、鍔迫り合いの格好で、二人は彫像のように動きを止めた。オヴィムもテミスも、まるで時が止まってしまったのかと思うほどに微動だにしていなかったが、その甲冑の隙間からだくだくと流れ続ける鮮血が、二人の間にも正常な時間が流れている事を証明していた。
「ククク……ああ、私はれっきとした人間さ。少しばかり戦えるだけの、ただの人間だよ」
「っ……!? ならば何故ッ……!!」
「ッ……!!」
重ねた問いと共に、オヴィムは自らの剣に力を籠めた。すると、テミスの傷口から血飛沫が迸り、その顔が苦痛に歪む。
「…………」
人繰りの糸。この技の名は、確かそんな感じの身も蓋も無い程にストレートな物だったはずだ。テミスはズキズキと痛みを発する傷口を介することなく、万力を以て押し込もうとするオヴィムの刃を圧し返しながら、技の原典を思い出していた。
全力を尽くすとはいえ、あくまでこれは武人としての決闘。魔法の類を使うつもりは無かったのだが、事ここに至ってはそんな事を言っている余裕は無い。
幸運にも、相対するオヴィムの口数は増え始めている。ならば、文字通り私の全てを賭けてぶつかり、その本心を引き摺り出すほか無いだろう。
「筋を斬り、骨を断ったと云うのに、未だこうして力強く剣を振るう者を、唯の人間で片付ける者は居まい……」
そんなテミスの内心を知らず、オヴィムは動揺を抑え込むと、ギリギリと刀に力を込めながら静かに言葉を紡ぐ。
そもそもの話、大人と子供ほどある体格差で、鍔迫り合いが成立している事が異常なのだ。一見しただけでわかる程の力の差……深手を負いながらもそれを、ものともせずに圧し返してくる目の前の少女に、オヴィムは底知れない不気味さを感じていた。
「フン……蒙昧したか? お前たちの時代にも居たはずだ……ヒトの身でありながら、魔族と同等以上に渡り合う猛者が」
「ッ……! お前が、それだと……?」
「さぁ……なっ!!」
ジャリィンッ! と。
テミスは言葉で揺さぶりをかけると同時に剣を傾け、オヴィムの刀を受け流して弾き飛ばすべく、即座に手首を返して強力な一撃を叩き込んだ。しかし、オヴィムはすぐにその狙いに気が付き、テミスの一撃を受けると同時に背後に退いて威力を殺した。
「っ――!!」
刹那。
攻撃を放った直後の体勢からテミスはオヴィムに追い縋る。『人繰りの糸』で辛うじて腕を動かしてはいるが、オヴィムが完全に力を振るえる間合いでその剛剣を受け切れる保証は無い。それに、今度は両腕を犠牲にしてまで懐へ飛び込んだのだ。肉薄した有利な状態を維持しなくては話にならない。
――だが。
「セイッ!」
「クッ……」
「ハァッ!!」
「チィッ……!」
「……そこだ」
「ぐあっ……!!」
二撃、三撃と。オヴィムの繰り出す斬撃をテミスは受け止め、辛うじて受け流していた。しかし、その直後。僅かに崩れた防御を掻い潜って放たれたオヴィムの一閃が、テミスの体に新たな傷を刻み込んだ。
「くっ……このっ!!」
「……」
「ガハッ……」
その瞬間。防御を捨てたテミスが剣を振るうが、その捨て身の攻撃すら易々と躱され、返す太刀を脇腹に叩き込まれる。
無論、テミスの脇腹は堅牢なブラックアダマンタイトの鎧で守護されており、オヴィムの刃が通る事は無い。しかし、鎧に打ち付けられた衝撃はそのまま体へと伝わり、テミスの華奢な体を震わせた。
「……終わりだ」
呟きに似た宣言と共に、オヴィムはすかさず後ろへと一歩下がる。それは、確実にテミスを斬る事のできる領域へ、テミスを押し出す為だった。
いかにブラックアダマンタイトと言えども、万力を込めたオヴィムの一撃を完全に防ぐ事は出来ない。テミスの左肩に打ち込んだ一撃で、オヴィムはその事実を確認している。
そして同時に、遠距離での戦いであればテミスに利がある事もオヴィムは理解していた。
あの月光斬という技……あれ程の連射速度で打ち込まれ続けていれば、流石のオヴィムでも受け切るのは難しい。
だからこそ。こうして刃の檻にテミスを閉じ込め、打ち合いを強要しているのだ。
「さ……せるかァッ!!」
だが、オヴィムの刀に最も力の乗る領域へ、テミスの身が晒される直前。体勢を崩しながらもテミスは地面を蹴って前へと飛び出した。同時に、不格好ながらもオヴィムに一太刀を浴びせるべく、その手の大剣を力強く振るい抜く。
「……」
「……っ!」
しかし、その太刀がオヴィムに届く事は無く、テミスの刃は空を切った。その直後。オヴィムの刀がテミスの腕を浅く切り裂き、漆黒の鎧に新たな血の筋を作り出した。
「クッ……おおおおおおおぉぉぉぉぉ!!」
「……」
それでも、テミスは足を止める事は無かった。致命の一撃を食らわぬため、浅い傷を負い続ける。ただそれだけが、今のテミスに残された唯一の活路だったからだ。
それを理解しているからこそ、テミスは身を刻まれながらも前に進み、次なる一撃を繰り出していくのだった。




