308話 至上の決闘
「っ……!!」
ぞくり。と。
オヴィムの守護する広場へと足を踏み入れた瞬間。テミスの背を凄まじい悪寒が駆け巡った。
それは間違いなく、自らの直感が示す危険信号であり、テミスはその直感に身を任せて体を動かした。
「…………。少しは、できるようだな」
「~~っ!!」
コツリと言う小さな音の後、テミスが反射的に首を庇った右手の手甲へ、静かな言葉と共に抜き身の刀が添えられる。
刹那。テミスは自らの手元に添えられた刀身に映る自らの顔が、戦慄に歪んでいる事を自覚する。続いて、その視線はゆっくりと刀身を遡り、柄を経由して刀の主へと移動していく。無論そこには、一切の感情を見せぬ甲冑を身に纏った、オヴィムの姿があった。
「その様子だと、捧げ物の準備はできていないらしい」
「笑止」
「――っ!!」
オヴィムとテミスが言葉を紡ぐ最中に、けたたましい金属音が鳴り響いた。
その発生源はテミスの手元、いつの間にか振るわれたオヴィムの刀を、テミスが大剣で受け止めた音だった。
「問答無用……という訳か」
「……」
「っ……!」
テミスが戦慄を押し殺し、皮肉の仮面を纏って尚。それがオヴィムに効果を果たす事は無かった。
続いて繰り出された逆袈裟の斬撃がテミスの肩口を狙い、続いて閃いた黒の大剣がそれを受け止める。
そんな熾烈な攻防が、数合続いた時だった。
「チィッ……」
噛み締められたテミスの唇から、僅かに舌打ちが漏れて出る。
十分に用心はしていたつもりだった。だがオヴィムは、良くも悪くもそれを易々と超えて見せたのだ。
状況は劣勢。唐突に始まった剣戟とはいえ、一度は慣れない獲物で渡り合ったのだ。戦況を引っ繰り返すまでは行かなくとも、五分で打ち合えていなければおかしい状況だった。
「ぐくっ……!!」
激しい火花を迸らせながら、大剣の腹で受け流したオヴィムの刺突が、テミスの頬を浅く掠めていく。その一撃で、テミスは確信した。
今の一撃は完全に躱していた筈なのだ。
間違いない。オヴィムの剣は以前に打ち合った時よりも遥かに鋭さを増している。
むしろ、以前の戦いはオヴィムにとって、戦闘ですらなかったのかもしれない。
児戯に等しい戯れであったからこそ、オヴィムは自らに課された役目としてではなく剣を交え、微かな感情の揺らぎを見せていたのだ。
だが、私が完全にオヴィムの『敵』となった以上、その剣に込められていた加減や遠慮は削ぎ落とされ、純粋な武力として今牙を剥いている。
オヴィムに傾いた戦況を、この剣戟で引っ繰り返すのは難しい……。
「っ――」
テミスがそう判断を下すまでの数瞬に、オヴィムに打ち込まれた斬撃の数は15。
虚実を織り交ぜ、時には剛剣、時には柔剣、時には刺突。巧みに織り交ぜられた猛攻に、テミスの守りは限界に達しつつあった。
既に鎧やサークレットなどに、完全に防ぎ損ねたオヴィムの刃が何度も掠っている。
あと数合と打ち合えば、オヴィムの刀は間違いなく私の身へと届くだろう。
……ならば、この一度出来てしまった流れを断ち切る為、仕切り直すしかない。
「セエェッ!!!」
ドズンッ!! と。
裂破の咆哮と共に、正しく戦況を判断したテミスの強烈な一撃が迸った。
だが、その雷のように振り下ろされた切っ先がオヴィムを捕らえる事は無く、鈍い音を響かせて漆黒の大剣が地面を深々と切り裂いた。
「鈍い」
だが幾ら威力があろうと、当たらなければ何の意味も無い。それがこと戦闘においてならば尚の事。逆転を駆けた決死の一撃を外す事は、確実な敗北を意味している。
無論。オヴィム程の手練れの者が、その巨大な隙を見逃す訳も無い。無慈悲に突き出された鋭い一閃が、光の筋となってテミスの肩口へと迫っていた。
「ククッ……」
「っ……」
しかし、刹那にも満たない須臾の狭間で、オヴィムの耳は、確かにテミスの嗤う声を捕らえていた。
けれども、深々と肩を抉り抜かんと突き出された刺突が緩む事は無く、その咢は今度こそテミスの右腕を再起不能とするべく疾駆した。
オヴィムの刀の切先は、既にテミスの肩の間近にある。狙いは完璧。対してテミスは未だ、大剣を振り抜いた後の前傾姿勢。防ぐ事も躱す事も困難である。一瞬の後にこの刀はテミスの肩を深々と抉り、その自信に満ちた顔は苦痛の表情へと変わるだろう。
そう、オヴィムは確信していた。
「……っ?」
数瞬の後。加速された意識の中で、オヴィムは微かに疑問を覚える。
何故。いつまで経っても自分の刀は彼女の肩を捕らえていないのかと。狙いも見立ても完璧。放った鎧通しと呼ばれる技も、いつもと何ら変わらぬ精度だと自負していた。
だと言うのに、躱す事も防ぐ事も困難であるはずのテミスの肩が何故……。
「…………」
「…………」
ヒャウンッ! と。
オヴィムの放った刀が空を切る音が広場へ響き渡った直後。テミス達は、数歩の距離を置いて、互いに背中を向けて佇んでいた。
「な……なんだよ……今の……。一瞬でアイツらの位置が入れ替わって……それで……」
「っ~~!!!!」
静寂に包まれた中に、唖然としたアルスリードの声が響き渡る。
常人であるアルスリードの目では、捕らえる事すら難しい高次元の戦闘。それを目の前にして、フリーディアは独りで戦慄していた。
「なんて……戦い……」
フリーディアはそう呟くと、食い入るように静止した二人を注視した。
まさに次元の異なる戦闘。だがしかし、フリーディアの目にはテミスの動きだけは見えていた。
一瞬前までテミスは、確かにオヴィムに圧倒されていた。
その直後。返しの一撃と見せかけた大振りの一撃の勢いに合わせて、テミスは突き立てた大剣を軸に飛び上がり、空中を宙返りしてオヴィムの一撃を躱したのだ。
それはまさに離れ業。オヴィムの剣を超人の域まで磨き上げた剣技とするならば、テミスのそれはまさしく剣技の枠を超越した戦技とも言うべき動きだった。
「フリーディア……様……」
「しっ……! 邪魔をしちゃ駄目よ」
その光景に、アルスリードが不安気な声で名前を呼ぶと、フリーディアは短くその声を制した。
今テミスの集中を乱せば、それは即座に敗北へと繋がる。
戦いの中に身を置くフリーディアは、本能的にその事実を理解していた。
「っ……!!」
ゆらり……。と。
そんな二人が固唾を呑んで見守る先で、テミスとオヴィムは幽鬼のように緩慢な動きで、再び向かい合ったのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




