300話 燃え上がる情熱・待ちぼうけ
「…………遅いッッ!!!」
偵察遭遇戦の翌日。テミスは一人、トラキアの町の入り口でフリーディアを待っていた。
事前の打ち合わせでは、フリーディアが戦線に到着した翌日に落ち合う手はずだったのだが、時刻は既に夕刻。待てど暮らせどフリーディアは姿を現さなかった。
「……マグヌス。応答しろ」
「ハッ……」
ならば、まず疑うべきはフリーディアの裏切りだろう。そう考えたテミスは、即座に通信術式を起動して小声でマグヌスへと語り掛けた。
あの脳味噌の中にお花畑でも咲き誇っているような奴では、筋を違えてまで私を戦場から引き離そうなどと考え付きもしないだろう。
「戦況はどうだ?」
「ハッ! 予定通り、全軍での衝突では無く、小隊規模の遭遇戦に留める事により、我が軍、白翼騎士団共に被害はありません」
「……他の連中は?」
「そちらも予定通り、与える損害は極力負傷に留め、現状死者を出したという報告も上がっていません」
「……そうか」
テミスは呟くように報告を受領すると、胸中に生じた違和感を押し込めるように地面を軽く蹴り付ける。
どうやら、あちらの戦場は予定通りにコトが進んでいるらしい。ならば、何かしらのトラブルが起こったと考えるべきだろうか? だが、あの浅ましい人間領の連中が、紛いなりにも王女であるフリーディアに手を出す根性があるようには思えない。更に言うのなら、業腹ながら私と互角の戦力を持つフリーディアが、そんじょそこらの野党や不良兵に後れを取るとは考え難い。
「チィ……マズいな。流石にこの格好で面の割れているギルドへ顔を出すわけにはいかん……」
苛立ち紛れに呟きながら、テミスは外套に覆われた自らの体へと視線を落とす。
そこには、黒々と輝くブラックアダマンタイトの甲冑が、傾きかけた日差しを憚るかのようにはじき返していた。
「あふぁ……。ったく……何が悲しくて早起きしてまでこんなところで一日中突っ立っているんだ私は……」
そう独りごちると、テミスは傍らに突き立てた、しっかりとボロ布に包み込んだ大剣に背を預けて盛大にため息を吐いた。
こんな事なら、ゆっくりと朝のコーヒーを楽しんだ後、マーサさんの朝食を楽しんでから出立すれば良かった。
「テミス! ごめんなさい……その様子だとかなり待たせてしまったみたいね……」
テミスがそんな事を考えて更に苛立ちを募らせていると、不意に後ろからフリーディアの声が響いてきた。
「遅い!! お前はいったい……何を……っ?」
瞬間。テミスは声の方へと振り返ると、溜まりに溜まった苛立ちを叩き付けるように声を荒げた。しかしその怒りの声も、最後まで鼻垂れる事無く尻すぼみに消えていった。
テミスが振り返った先。そこには、明らかに体格に合っていないブカブカの外套を目深に被った人影が、まるで幽鬼のように佇んでいたのだ。
「話は後。手はずは整えてあるわ。まずはこれを羽織って」
「はぁ……? お前……説明も無しにそれは――」
「――早くッッ!!」
「っ……!? あ……あぁ……」
テミスはフリーディアの有無を言わさぬ声に怒りを忘れて頷くと、彼女の言葉に従って、差し出された巨大な外套を身に纏った。
「ん……?」
だが、良く見れば。テミスの受け取った外套はフリーディアが身に纏っている物に比べて数段質が良く、少し良く見るだけでその格の差が見て取れる程だった。
「オイ……」
「黙って聞いて。待たせたのは悪かったけれど、貴女目立ち過ぎよ……。まさか、町の正面で待っているなんて……もっとギルドの酒場で待っているとか……」
「……馬鹿を言うな。私はオヴィムの討伐をこの町のギルドから請け負ったんだ! だというのに、突如姿を消した冒険者が、こんな格好で顔を出せる訳がないだろう!」
「っ~~……。そうだったのね。確かにそれは、私の配慮不足だったわ」
ヒソヒソと。テミス達は頭を寄せて囁き合うと、ズレていた互いの状況の認識を共有する。
確かに、改めてそれとなく周囲の様子を探ってみれば、突如現れた2体の幽鬼を、町の人々が恐ろし気な表情で遠巻きに眺めていた。
「っ……けれど、もろもろの準備は整えておいたわ。あのオヴィムに挑むんだもの、相応の準備を整えなければ勝負にもならないわ」
「……!? お、おい? どこへ行く? ギルドの宿泊施設なら逆だが……」
フリーディアはそれだけ告げると、テミスの横をすり抜けて町の外へと向かって歩き出した。
慌てたテミスがその背を追いかけると、外套の陰からその蒼い瞳だけを覗かせ、フリーディアは得意気な声で答えを告げる。
「郊外の空き家を一軒借り上げたわ。食料や医療物資も、もうありったけかき集めてあるわよ?」
「っ……フリーディア。お前……」
「貴女だけが、アルスを救いたいと思っている訳じゃ無いのよ。いい機会だし、やるからには全力でやるわよ!」
「っ……何もそこまで……」
目深に被った外套の陰で、驚きに目を丸くしたテミスは力無く呟きを漏らす。
私が介入すれば結果として、あの小僧が理不尽な弾圧から逃れる事にはなるだろう。だが……あくまでそれは副産物であり、誓って私の目的ではないのだが……。
「って……待てっ!! 一人でサッサと行くんじゃないッ!!」
その意気込みの差に呆然としていたテミスはすぐに我に返ると、傍らに突き立てていた大剣を手に取り、そんな事はお構いなしに歩き去ろうとしていたフリーディアの背を、慌てて追いかけたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




