298話 武人か墓守か
「やれやれ全く……面倒なものだ。やはり、軍人などという職業は、なるべきものでは無いな……」
翌日。
テミスは軽く息を吐くと、皮肉気な微笑を浮かべて、誰ともなしに呟いた。
珍しくそんな感傷に浸っているのも、全てはフリーディアのせいだった。
「テミス様。前線よりの報告です」
「うむ。ご苦労」
コーヒーを片手に持って啜りながら、テミスはマグヌスの寄越した書類に目を通していく。
「敵は即応防御態勢を崩さず、極力遅滞戦闘の構え……ここまでは予定通りか」
十三軍団は今朝より、イゼルに向けて強行偵察の構えを見せていた。
だが、あくまでもこれは全て構えのみ。発見されるのが前提ではあるが、こちらから攻撃を加える事は一切無い。それに、今回に限っては情報すら持ち帰る必要も無い。何故なら、その目的はフリーディア率いる白翼騎士団を、この戦線へと投じさせる事にあるからだ。
「皮肉でも、付き合えなどと言うべきでは無かったな……」
昨日の夕方ごろ。荷物をまとめたフリーディアに呼び出されたテミスは、いら立つ彼女に要請を受けたのだ。
曰く。私に協力するのはやぶさかでは無いが、白翼騎士団を率いている以上、私情でファントに留まる事は出来ないらしい。
故にフリーディア曰く。ほぼ、対十三軍団部隊の立ち位置に居る白翼騎士団を別の任から解き放ち、この戦線へ呼び付けるため、こんな下らん芝居を打っているという訳だ。
「それにしても……余程の相手なのですね。テミス様がフリーディア殿に協力を要請するとは」
「あぁ……まぁ、それなりにな。しかも腹立たしい事に奴がいるのは人間領だ。お前たちを連れていく訳にもいかん」
「っ……今日ほど、ヒトならざる我が身を歯痒いと思った日はありません」
「フッ……そう言うな。適材適所……今回は運が悪かっただけだろう」
マグヌスの言葉にテミスは軽く応えると、目を通し終えた報告書を机の上に放り投げる。一応、こちらも軍を動かす都合上、今回の作戦の目的と理由については、マグヌス達にもオヴィムの存在を伏せて、ざっくりとした説明はしてある。
そのせいで、人間領の中に悪徳を働く猛者が産まれてしまったが、その猛者の幻影がはびこるのも、今回の事が収まるまでの間の事だ。
「ならばせめて……爾後の事は我らにお任せください。そして、御身は向後の憂いなく戦いへ……」
「ああ。信頼しているとも」
テミスは深々と一礼をしたマグヌスに微笑むと、会話を切り上げて自らの腕を見つめた。
後方勤めの兵を切る程度ならば問題は無いが、オヴィム程の強者となると勝手が異なる。万全の態勢を整え、万全の装備で臨むべきだろう。
「それに、奴の真意も気になる……」
そう零すと、テミスは腕の調子を確かめながら思考に耽る。
私が意識を失う直前。オヴィムはディオンの一族があの館へ帰る為に、屋敷を守護していると言った。だが事実として、あの朽ちた館に一族が戻る事は無いし、一族復興の旗印としての価値も当の昔に失われている。そんな事は、オヴィム本人も承知の上だろう。
ならば……なぜ奴はそんな無意味な廃墟を守っている?
確かに、ディオン家の墓所としての価値くらいならば、あの場所にもあるだろう。
時が経っているとはいえ、館の中の物で価値のある物が現存している可能性は高い。だからこそ、奴はこれまで墓守として盗掘者を退けてきたに違いない。
しかし。オヴィムを墓守とするならば、今度は奴が私にそれを語った意味が通らなくなる。あの時の私は奴にとっては盗掘者。ならば、守るべきものが屋敷にあると教えてやる必要は無いはずだ。
「っ……」
ズキン。と。
テミスは不意に走った痛みに眉を顰めると、意識が半ば強制的に現実へと引き戻される。
「こちらもまだ準備不足……そう考えると、ある意味ではこの時間にも意味があったと言える……」
今は無き傷口へ再び視線を向けると、テミスは皮肉気に頬を歪めてひとりごちる。
先の戦いでは、私は万全の装備では無かった。だが、オヴィムの技は恐らく、その装備差を補っても未だ追い付けぬ高みにあるだろう。
ならば、戦い続ける事で鍛え上げ、砥ぎ澄ましたその技を、戦いの中で盗み取るしかない。何も、奴を圧倒する程の力が必要な訳ではない。
真正面から打ち合い、鍔迫り合い、対等に言葉を交わせるだけの時間を創る事ができれば構わないのだ。
そして、剣戟の狭間でオヴィムと言葉を交わして説得する。そして、可能ならばその盟約の枷からオヴィムを解き放ち、再び魔王軍として傘下へ加える事ができればベストだ。
だが、奴の興味を上手く自分へと向けさせることができなければ、この思惑は裏目に出る可能性がある。
アルスリードの小僧は最早フリーディアが完全に手懐けている。あの小僧の魔族嫌いの根っこはオヴィムだろうが、それを解消してやった所で、いかに背景があったとしても、あそこまで懐いている子供が、その手を振り切ってまで人間に反旗を翻すとは考えにくい。
故に。だからこそ。オヴィムの今の主が、ディオンの家に忠を尽くす武人なのか、それとも故人に義を通す墓守なのかを確かめる必要がある。
「…………。チッ……」
テミスは舌打ちをすると、そこで思考を止めて現実へと意識を引き戻す。そして、胸中に生まれた不安に蓋をするかのように、冷めきった残りのコーヒーを一気に飲み干すのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




