297話 虚像の担保
「さて……」
ぎしり。と。フリーディアを連れて執務室へと入ったテミスは、勢いよく自らの椅子へと腰かけた。そしてニヤリと頬を歪め、対面に座るフリーディアの視線を受け止める。
「テミ――」
「――まあ待て。まずはコーヒーだ」
「っ……!!」
わざと機先を挫くように、テミスはフリーディアが言葉を発しかけた刹那に口を挟んで止めさせ、執務机の傍らに置かれたポットを火にかける。
「それは……軍用品じゃない。それもサバイバル向けの一級品ね。そんなものを私用に使えるなんて、余程魔王軍には余裕があるのね……」
「ん……? 確かにこれは軍用品でもあるが、民間にも出ている汎用品だぞ?」
「まったく。見せつけてくれるわね……。こちらはわざわざ薪を集めて暖を取ったり調理をしたりしているというのに」
「クク……どこでもそんなものだろう。それに、我々とていつもこのように便利な道具がある訳ではないさ」
軽く言葉を交わしながら、テミスは淹れたコーヒーをフリーディアへと差し出し、その後慣れた手つきで自らの分も用意する。
冒険者としてファントを離れていたせいで、テミスにとってはこうした小さな至福を味わうのも久々の事。その深い香りに、テミスは思わず頬をほころばせた。
「……美味い」
まずは。一口。
フリーディアが何ぞ喋り始める前に、この最上級の至福を味わわんと、我先にカップへと口をつけたテミスは、大きく息を吐いてそのさっぱりとした苦みを堪能する。
「それで……テミス」
テミスがいざ、二口目を堪能せん……と。カップを唇へ持って行った時だった。
同じく一口目を飲み下したフリーディアが、本題に入るべく口を開いた。
「……まったく。無粋な奴だな。人がこうして至福の一杯を楽しんでいる最中だというのに……」
テミスのカップが唇へと触れる寸前。今まさに次の一口を口に含もうとしていたテミスの手が、名残を惜しむかのように震えながらピタリと止まる。
そしてその返礼とばかりに、フリーディアを半眼で睨みながら、テミスは巨大な溜息をついて見せる。
気が利かないにもほどがある。確かに、茶請け程度に聞いてやるとは言ったが、なにも私の楽しみを邪魔してまで割り込んで来なくたっていいだろうに。
「なっ……!! あなたねぇ!!」
「わかったわかった……聞いてやるからそうがなるな……」
テミスの言葉を聞いた途端、フリーディアが怒りを露にして声を荒げる。すると、テミスは中断した二口目を僅かに啜った後、頬杖をついて心の底から面倒くさそうに答えを返した。
「っ~~!! いいわよ……そう。貴女はそういう人だもの。ちゃんとわかっているわ……」
「それにしては、やけに私を見る目に殺気が籠っているし、心なしか手も震えているように見えるが?」
「うるさいっ!!」
フリーディアはテミスの挑発に叩き付けるような叫びを上げると、大きく深呼吸をして息を整える。
ここでテミスの思惑に乗って、熱くなってはいけない……。心の中で自分へとそう言い聞かせながら、フリーディアは静かに口火を切った。
「テミス……あなたは監視兵の彼等の罪を罰するために切る……そうよね?」
「……ああ。相違無い」
「そして同時に……罪無き人々が傷付く事を貴女は嫌う。それは例え、人間領の人たちであっても」
「ああ。そうだ」
「その言葉に、嘘偽りは無いわね? 前言を撤回する事も認めないわよ?」
一つづつ。まるで言質を取るようにフリーディアはテミスに念押しをすると、ニヤリと笑みを浮かべて再度確認を取った。
「えぇい。まどろっこしい。奴等を誅するために切る事も、罪の無い善良な一般人が傷付く事を看過しないのも間違いはない!!」
テミスは、その外堀を埋めるようなやり口に僅かに苛立ちを覚えると、眉を吊り上げて声を荒げた。
そんなものはただの事実だ。昨日今日で事情が変わるわけでもなし、それを並べたてたところで何の理論武装にもなっていない。
これではまた、意味のない口説き文句を、延々と聞き流す苦痛な時間の始まりだな……。と。テミスが心中でため息を吐いた途端。
「なら、テミス。監視兵の人たちを切るのなら、自分の信念に基づいてキッチリ最後まで面倒を見なさいよね?」
勝ちを得たと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべたフリーディアが、テミスの眼前に指を突き付けて言い放った。
「……はっ?」
それに対するテミスの反応は、まさに鳩が豆鉄砲を食らったという言葉を体現するかのような反応だった。口へと持っていったコーヒーは半ばで止まり、目を真ん丸に見開いたその視線は、得意気な笑みを浮かべるフリーディアへと釘付けになっている。
いったい。こいつは何を言っているのだ? 最後まで面倒を見る? 一体何の面倒を見ろというのだ?
無論。その心中も疑問符で溢れており、一瞬の間に沸いた大量の疑問が、テミスの脳をフリーズさせた。
その隙を突いて、胸を張ったフリーディアが、トドメとばかりに言葉を続ける。
「彼等は、オヴィムを監視する任も帯びているの。今は何故かあの場所を護っているけれど、彼にとって人間達は主を討った憎き敵。いつその復讐の刃が、人々へと向くかわからないわ」
「ハッ……そんなもの、その監視兵共が居ても居なくても変わるまい」
「本当に……そう言い切れるかしら? 彼は監視されているからこそ、あの場所を動けない。そうよね? 単騎で斬り込んでその溜め込んだ恨みを晴らせるほど、私達も甘くは無いわ」
「……チッ。そう来たか」
フリーディアの言葉にテミスは鋭く舌打ちをすると、苛立ちに任せてその背を椅子へ叩き付け、脚を組んでフリーディアの目を睨みつけた。
フリーディアの主張はいわば、不確定な未来の担保だ。
黙して語らぬオヴィムの心中を利用し、そこから生まれるリスクのみを抽出して語る交渉の一手でもある。
確かに、本当に彼等がその役を担っているのであれば、今フリーディアが提示した事柄が起こってしまう危険性はゼロではない。
故に。私は連中を斬りたくば、オヴィムを先に何とかしなければならない。という論法だ。
「なるほど……なるほどなるほど……。確かに。まず間違いなく起こり得ぬが、絶対に起こらんとは言えんな」
「でしょう? だからこそ、ここは彼等を切るんじゃなくて――」
「――ならば順序を変えよう」
「へっ……?」
テミスが主張を認めると、フリーディアは満面の笑みを浮かべて次善の策を語り始める。
だが、その言葉を遮って。不敵に頬を歪めたテミスが口を開いた。
「甘かったなフリーディア。どうせ、まさか私が一度ボロ雑巾のようにのされた相手に、再び戦いを挑むまいと踏んでの事だろうが、それは見当違いだ」
「なっ……」
驚きに目を見開いたフリーディアに、今度はテミスの方から詰め寄ると、先ほどの彼女の動きを真似て指を突き付けて宣言する。
「オヴィムを先に片付ければいいのだろう? もとより、奴を捨て置くつもりは無い。それが終わった暁には、胸を張って監視兵とやらを処断してやる。それに……」
テミスはそこで言葉を切ると、突き付けた指を瞬時に動かし、フリーディアの服の襟をつかんで引き寄せて言葉を続けた。
「お前もここまで無遠慮に踏み込んだのだ。最後まで付き合ってもらうぞ? よもや、白翼騎士団の騎士様ともあろう者が、関わった問題を途中で放り出すなど、できるはずもあるまい? ん……?」
「っ……!!!」
テミスはそう問いかけながら勝ち誇った顔でフリーディアを睨み付け、その距離は息遣いすら触れ合うほどに近付いていた。
「……わかっ……たわよ……。っ……!! その代わり。どうなっても知らないわよ!?」
テミスの眼前で、フリーディアは悔しそうに表情を歪めると、掴まれていた手を振り払って距離を取る。
「ご馳走様! 私は少し休むわっ!!」
そして、机の片隅に置かれていたコーヒーを一気に呷ると、そう言い残して足音荒く執務室を立ち去っていったのだった。




