295話 セイギの在処
「本当に。考え直すつもりは無いの?」
陽はとうに暮れ町も夜の帳が包み込んだ頃。
病室へと場所を移したテミスとフリーディアは、静まり返った部屋で睨み合っていた。
勿論。消灯時間も既に過ぎており、病室にはテミスしか居ないものの、照明は落とされ、煌々とした月明りが二人を照らし出している。
「再考する余地などあるまい? アルスリードにファントを襲わせた元凶はその監視兵共で間違いないのだろう?」
「それは確かよ……だけど!」
「ならば私に、だけどもカカシも無い。向けられた害意はすべからく殲滅し、その身に抱いた罪に相応しき裁きを下すのみだ」
テミスはそう冷たく言い放つと、眩い月光に目を細めながら、フリーディアと会話をするために起こしていた上半身をベッドへと沈める。
それは、これ以上会話をする意思は無いという意思表明であり、さっさとこの部屋から出ていけという言外の通告だった。
しかし。
「彼等には必ず! 然るべき罰を与えるわッ! だからっ……!!」
フリーディアはそっぽを向いたテミスの視界に入るべく、ベッドを半周して逆側に周ると、気だるげに月を見上げるその視線を遮って瞳を覗き込んだ。
「しつこい」
たった一言。テミスは、フリーディアの必死の懇願をバッサリと断ち切ると。もぞもぞと唯一自由がきく体を動かして、月明かりに背を向ける。
「テミスッ! お願いよ! 話を聞いて!?」
「寝言は寝て言えと言っている。交渉の余地など元より、会話を交わす時間すら無駄なのは自明の理だ」
声を上げながら、再びフリーディアが自らの視界へと侵入してくる前に、テミスは三度身体を動かして拒否の意を示した。
「そんな事は無いわ! 彼等は確かに間違いを犯した。けれど、それは死を以て償わなければならない程のもの!?」
ピクリ。と。フリーディアの放った言葉に、テミスの眉が跳ね上がる。しかし、ちょうど死角になっていたせいか、フリーディアはそれに気づかず言葉を続ける。
「彼等にも、間違いを知って悔い改めるチャンスをあげるべきよ! だって――」
「――言葉に……。気を付けろよ。フリーディア」
「っ――!!」
静かに。しかしはっきりと。
ゆっくりと上体を起こしたテミスの紅い瞳が、病室の暗がりでギラギラと鋭い光を放ちはじめる。
瞬間。瞬時にテミスの纏う雰囲気の変化を感知したのか、ビクリと肩を震わせたフリーディアがその動きを止めた。
「町ごと罪無き一般市民を吹き飛ばし、あまつさえそれを、ただのうのうと傍観している連中が万死に値しないとでも?」
「それ……は……」
確かな怒気を孕んだテミスの言葉に、フリーディアの声が小さく掠れて消える。
この頑なな拒絶も、テミスにとっては当たり前の事だった。
自分の大切な人が住む町を的にかけ、自らが守護する町を吹き飛ばそうと目論んだのだ。
奪われる者が、奪おうとした者の命と、自らの守護する大切なものを天秤にかけ、その針が簒奪者へと傾く事などあり得ようか? 答えは勿論……否である。
それが故に。加害者である兵士たちをかばうフリーディアの言葉は全て、テミスにとってはファントの人々を蔑ろにする言葉となり、怒りの炎を滾らせる薪となったのだ。
「それに……だ。フリーディア。お前は裁くと言ったが、いったいどのような罪状で裁くつもりだ?」
「えっ……?」
「我々は今戦争中だ。ならば、お前たち人間にとってこの町は憎き敵地。たとえそこに無辜の民が住んでいようと、それを破壊せしめる行為は正当だろう? お前たちはな」
まるで、深い井戸の底から響くような冷たい声で、テミスはフリーディアに言葉を叩き付けた。それは、善意で説得を試みていたフリーディアにとっては、まさに不意打ちに相違ない一言だった。
「前にも言ったはずだ。フリーディア。相反する二つの存在の幸せを保つ事は出来ない。真に誰かの平和を望むのならば、何かの代償を差し出す必要がある」
「でも……! 憎しみを憎しみで返していては何も変わらないっ!!」
「解っていないな。侵害する者とされる者が、互いに笑顔で共存する事は出来ない。被害者と加害者が存在する以上。彼等が手を取り合って過ごすには、被害を受けた者が痛みを堪えなければならんと言っているんだ」
所詮。フリーディアの言っている事は綺麗事に過ぎないのだ。と。ボロボロの肉体を静かに横たえながら、テミスは静かに息を吐いた。
確かに、彼女の言う通り。悪辣非道な策略を立てた兵共が正しく裁かれ、その心を改めるのが理想なのだろう。だが、現実というのはそんなに甘くない。自分たちの掲げた正義の御旗にそぐわぬモノ……即ち敵を目の前にしたならば、如何なる手段を用いても叩き潰すのがヒトの性だ。
理想的解決が望めない以上。我が身を刻まんと向かってくる悪党の身を、何故鑑みなければならないのか。
「……でも。彼等にも……。護るものはあるのよ……」
気付けば、テミスの膝に覆いかぶさる白い掛布団に、震える声と共にポタポタと小さな雫が滴っていた。
「そんなもの、私の知った事では無い。だが……そこまで幻想の理想を追い続けるのならば。他でもないお前が、私を納得させてみせるんだな」
ぶっきらぼうにそれだけ告げて、テミスは今度こそベッドに体を横たえると、フリーディアが宿へ戻るまで、口を閉ざして真円の月を眺め続けるのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




