294話 幸せの在処
「アルスに……アルスリードにこの町を破壊するように命令したのは、あの子の監視兵達よ」
「だから? ……それで?」
「っ……」
牢にアルスリードを残して執務室へと引き揚げてきたテミス達は、重い空気の中で睨み合うように向かいあっていた。
テミスは怪我人であるにも関わらず、自らの席へと腰を落ち着けて、ふてぶてしい笑みをフリーディアへと向ける。
特殊な家系とは言えども、所詮は子供であるアルスリードが、単独でファントを吹き飛ばそうなどという発想をしない事など、テミスだって百も承知だ。
だが、既に一度爆破未遂に手を染めているアルスリードは、子供であるが故に、いつまた分別なく同じことを繰り返そうと試みても不思議ではないのだ。
「クク……お前がそんな顔で交渉を試みるのだ。その提案が無理筋であることは理解しているらしい」
「っ――! アルスはまだ子供なのよ!? ここはあの子にとっては敵地の真ん中……そんな所で牢に繋ぐなんて、貴女は心が痛まないのっ!?」
「別に?」
一瞬。テミスの反論に口を噤んだフリーディアが声を荒げて叫びをあげた。しかし、情に訴えるべく放たれた言葉もテミスには響かず、相も変わらず薄い笑みを浮かべたまま、テミスは口を開く。
「別に……? 心が痛むどころか、あの小僧には感謝して欲しいものだがな」
「感謝ですって!? そんなもの――っ!! …………。っ……。」
すまし顔で言葉を続けたテミスに、フリーディアが食って掛かる。しかし、一瞬で燃え上がった怒気がそれ以上燃え上がる事は無く、フリーディアは言葉を失ったかのようにパクパクと口を数度開閉させた後、力無く肩を落として深いため息を吐いた。
「……満足したか?」
「えぇ……お陰様で」
「その分では、デュオニーズはあの小僧にとって、決して住み良い土地ではなかったようだな」
「そうね……ここに居ればアルスは少なくとも、雨風をしのげる部屋と柔らかいベッド、そして日に三度の食事は保証されているわ。たとえ、多少教育に悪い軍団長が側に居て、身の自由が許されない事を差し引いたとしも、比べるべくもないと思うわ」
肩を落としたフリーディアへ、テミスは半目になって問いかける。すると、数瞬の沈黙の後、フリーディアは背筋を正し、深いため息と共に言葉を返した。
どうせ、変に頑固なフリーディアの事だ。今度はアルスリードに義理立てして、無理な交渉に挑んだらしいが、よくもまぁそんな事をして疲れないものだ。
テミスは、そんな言葉を胸中で嘯きながら、投げつけられた皮肉を躱すべく傍らのマグヌスへと問いかけた。
「ハッ……酷い皮肉だ。誰が教育に悪いって? なぁ、マグヌス?」
「っ……。私には……何とも……」
「ぷふっ……」
しかし、マグヌスから返って来たのは歯切れの悪い呟きだけで、フォローすらなかった。だからこそその言葉は、マグヌスもまた、テミスがアルスリードの教育に悪いと考えている事を、如実に宣言していた。
「チッ……お前というヤツは……」
「申し訳ありません……ですが、年頃の少年に御身を晒されるのは……いかがものかと……」
「なっ……!? ちょっ……テミス!? 貴女ッ!!」
皮肉を躱す事ができなかったテミスが不機嫌にそう呟くと、マグヌスがすかさず弁解の言葉を重ねる。
瞬間。早合点したフリーディアは執務机に飛び乗ると、その顔を真っ赤に染めてテミスの胸倉を掴み激しく揺さぶった。
「は……ハァッ!? 馬鹿……がッ!! 勘違いを……するなッ!! って……痛ッ――!! ぶはッ……紛らわしい言い方をするなこの馬鹿マグヌスッ! さっさと誤解を解け!!」
「も……申し訳ありません!! フリーディア殿! どうか落ち着いて下さい!」
「しっかりとした説明を求めるわっ! いくらアルスが罪を犯した事に対する尋問だとしても、限度ってものがあるわ!!」
なされるがままにガクガクと揺さぶられるテミスが叫びを上げ、泡を食ったマグヌスが即座に二人を引き離す。直後。重力に従って椅子へと着地したテミスの怒号が響き渡った。
それに従い、興奮したフリーディアの肩を抑えながらマグヌスはコクコクと頷くと、正しい説明をするべく口を開く。
「テミス様は、あの少年から情報を聞き出す為に腹を――」
「――奴に刺された傷を見せつけただけだッッッ!!!」
しかし。またもや誤解を招く表現を続けたマグヌスの言葉を断ち切って、怒りに顔を上気させたテミスの怒号が再び部屋の中に響き渡る。
同時に、修羅の如き殺意の籠ったテミスの視線が、視線だけで射殺そうとでもしているかの如く、マグヌスへと突き刺さった。
「そ……その通りであります!!」
刹那。マグヌスは全身を電撃でも走ったかのようにビクリと震わせ、直立不動の姿勢で敬礼して高らかに叫びを上げる。
「そ……そうならまだマシ……って、何の話よコレ……」
「ッ……フゥ~ッ……! フゥ~ッ……! っ…………。ハァァァッ……。お前が余計な茶々を入れるからだろうが」
「そんな事よりも、これからの事よ……。テミスとしてもアルスをいつまでも捕まえておくわけにはいかないでしょうし……。貴女はどうするつもりなの?」
マグヌスの叫びに冷静を取り戻したのか、はたまた逆上するテミスの反応を見て溜飲を下げたのか……。ともかく、一足先に平静を取り戻したフリーディアが、何度目かのため息と共に頭を抑えて問いかけた。
「……。そんな事で片づけられるのは甚だ不本意な上、主に私の乙女としての尊厳が蔑ろにされている気がするのだが……」
「テミス……貴女。乙女の尊厳なんて言葉知ってたのね……。いつもあんな乙女も裸足で逃げ出すような凶悪な顔してるのに」
その問いに答えたテミスの言葉に、目を真ん丸に開いたフリーディアが驚愕の言葉を零す。その顔は、本当に心の底から驚いているような表情で……。
「ハァ……大きなお世話だ……」
毒気を抜かれたテミスはぐったりと脱力すると、背もたれに深く身を預けて投げやりに呟いたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




