292話 誇りの狭間
翌日。
いつも通りの平和な賑わいを見せるファントの町の裏側では、蟻の巣でも吹き飛ばしたかのような大騒ぎが起きていた。
それもその筈。部隊を別け、馬車を偽装したフリーディア達によって担ぎ込まれたのは、まともに腕も動かせぬほど傷付いたテミスだったのだから。
混乱した衛兵たちは、テミスの言葉に従って即座にマグヌスら将兵を呼びに走り、その報せを受けて駆け付けたマグヌスは、あろう事かフリーディア達に向けて抜剣した。
しかし、テミスの懸命な説得と、白翼の騎士達の真摯な対応によって、ファントはその裏側も、夕方ごろには元の平穏を取り戻していた。
「っ……こっちだ」
その後。テミスは身を案じる部下たちの制止を振り切って、フリーディアを連れて件の少年を捕らえている牢へと向かっていた。
「その後の様子は?」
「ある程度観念はしたのか、食事は採るように。ただ報告では、我々に対する態度は変わっていないと」
「……?」
ゆっくりと廊下を進みながら、テミスがマグヌスへ問いかける。すると、渋い顔をしたマグヌスが、酷く不満気な声で答えを返した。
「クク……なんだ? マグヌス。そんなにも私の身を抱きかかえられないのが不満か?」
「っ――!! いえっ! 決してそのような事はありません!!」
「ならば何故、そうも不満気な声を……?」
「そ……それはっ……」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて問いを重ねたテミスに、マグヌスは慌てて弁解を試みる。しかし、追撃とばかりに問われた言葉にマグヌスは口を噤んで、目の前でフリーディアの肩を借りて歩むテミスの目をじっと見つめた。
「……冗談だ。許せ。口が過ぎた」
「っ――!! ハッ……! お心遣い、感謝致します」
その、まるで言葉の真意を問いかけるように自らを見つめる、マグヌスの濁り無き瞳を覗いたテミスは、足を止めて言葉と共に頭を下げた。
マグヌスが私の身を案じ、一刻も早く治療を受けさせたい事など、言葉にしなくても理解している。そしてそれを、マグヌスの立場では、私を担ぎ込んだ者とはいえ、白翼騎士団の前で口にできない事も……。
だからこそ。テミスはマグヌスの武人としての誇りをおちょくった、自らの発言を素直に詫びたのだ。
別に、私はマグヌスを試すつもりも何も無い。こうしてフリーディアの肩を借りているのだって体格の問題だ。マグヌスに抱きかかえられる方が移動は楽だが、軍団長がそんな無様を晒しては士気に関わる。
「……まったく、身内だからって気を抜き過ぎよ? 昨日話したキルギアスだって、信じていた部下に裏切られたのだから」
「っ……! フリーディア殿。先程刃を向けた事は何度でも謝罪します。しかし、いかに貴君といえど、主を出汁に忠誠を貶すようなやり方は承服しかねます」
微笑と共にフリーディアがそう警告すると、ピクリと眉を動かしたマグヌスがその言葉に反応して反論を述べる。
確かに、キルギアスが誰であれ、事の顛末を知らないマグヌスにとっては、自らの忠誠心を馬鹿にされたようなものだ。
まさに、売り言葉に買い言葉だったのだろう。
今度は、マグヌスの言葉に腹を立てたのだろう。その形の良い眉を吊り上げたフリーディアが、マグヌスの方へ向き直ると、鋭く睨み上げながら冷たく言い放った。
「私は、事実を言ったまでよ。それに、テミスにこの傷をつけたのだって――」
「――フリーディア」
「っ……!! ……ごめんなさい。」
しかし。危うく出かけたフリーディアの言葉を、割って入ったテミスの声がピタリと止めた。
同時に、フリーディアは己が発しようとした言葉の意味を思い返したのか、僅かに俯いてテミスへと謝罪する。
「……マグヌス。フリーディアにお前の受け取ったような意図は無い。だが、元を正せば、お前を不用意に揶揄った私が悪いのだ。許せ」
「いえ……」
牢へと続く階段を下りながら、テミスは再びマグヌスへ謝罪の言葉を重ねる。
同時に、全てを知る己が境遇に胃を痛めながら、テミスは一刻も早くあの少年の元へと辿り着く事を願っていた。
テミスはここに至るまで、オヴィムの事を一切マグヌス達に明かしてはいなかった。
同時にフリーディアに対しても、あの少年がディオンの末裔を名乗っている事を明かしてはいない。
何故ならば、真実がどうあれ、冒険者ギルドへ依頼が下りてくるほどに有名な話なのであれば、あの自らの名すら明かそうとしない少年が、咄嗟にその名を騙った可能性もある。
だからこそ、少しばかりディオンに詳しいであろうフリーディアが、その姿を見て如何に反応するかを見る必要があるのだ。
そしてテミスにとって、マグヌス達にオヴィムの事を明かすのは得策ではない。
オヴィムが本当に元・十三軍団所属であるのならば。裏切り者が出た前例を示す事で、危ういながらも、現在は私を頂点とした一枚岩と団結している軍団に疑念が産まれて瓦解する可能性がある。
故に、テミスはこの一件に関して、十三軍団の者を深く関わらせる気は微塵も無かった。
「……やれやれ。退屈紛れの談笑にさえ神経を使うとは……。板挟みと言うヤツは辛いな……」
フリーディアに支えられたボロボロの体を引き摺りながら、テミスは深いため息を零したのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




