291話 古豪の猛者
「……どうぞ」
「あぁ。ありがとう。置いておいてくれ」
「っ……」
パチパチと爆ぜる焚火の傍らで、テミスは騎士に差し出された、湯気の立つカップに視線をやると、礼だけ言って下がらせる。その隣では、複雑な表情で苦笑いを浮かべるフリーディアが、テミスの様子を窺っていた。
「付き合わせて悪いわね。本来なら、貴女は団員達との接触を避けるべきなのだけれど……」
「気にするな。説明を求めたのは私だ。別段危害を加えられなければ、好奇の目線位どうと言う事は無い」
「助かるわ……。明日も早いから……」
余程疲れが溜まっているのだろう。フリーディアは彼女に似つかわしくない溜息を深々とつくと、配膳係の騎士からスープを受け取って口を付ける。
「んっ……ふぅ。まずはテミス……貴女は、ディオン家の事を……オヴィムの事を何処まで知っているの?」
スープカップから口を離して一息を吐いた後、フリーディアはテミスに顔を向けて問いかけた。長い話になるから……という事で場所を移したが、なるほど。相互に理解度のすり合わせが必要なほどに、複雑で根深い問題らしい。
「ああ……ある時代のディオン家の当主が、傷付いた魔族を介抱したせいで、家は取り潰しに逢い、残った者も流刑された。程度には知っている。あと、あのオヴィムが件の魔族なのであろう事くらいの察しはな……」
「……なるほど。概要の上澄みを知っている程度なのね……。なら、私の疑問や不安もなくなったと見て良いわね」
「……? おい。さっきから何を一人で納得している? 説明を求めているのは私だろう?」
「えぇ……えぇ。そうね。ごめんなさい。少しだけ……安心したものだから」
ただ一人、勝手に得心を得たとばかりに頷いているフリーディアに、テミスが苦言を呈す。すると、フリーディアは柔らかな笑みを浮かべてテミスへ小さく頭を下げた。
「安心……だと……?」
「その説明も、後。まず、あのオヴィムという魔族は、テミスの察している通り、約百五十年前……当時のディオン家当主・キルギアスによって救われた魔族よ」
「フム……」
ゆらゆらと揺れる焚火の火に視線を移すと、フリーディアはどこかぼんやりとした口調で、ディオン家の歴史やオヴィムについてを語り始めた。
「詳しい事は私も解らないけれど、キルギアスがオヴィムを癒し、匿ったのは恐らく間違いないわ。そして、そのせいでディオンという家が反逆の責を問われ、一族の殆どが処刑されたのもね……」
「酷い話ではあるが……愚者の物語にも聞こえるがな。命を尊ぶ姿勢は立派ではあるが、敵を匿うなど情勢が読めていなさ過ぎる」
「……そうかも、しれないわね。でもね、テミス。キルギアスは処刑された訳じゃないのよ」
「っ……!! フリーディア様ッ!!」
一瞬。炎を見つめるフリーディアの目が悲しみに揺れた刹那。その口から、前提をもひっくり返す事実が明かされる。
同時に、同じく焚火を囲んで様子を窺っていたカルヴァスが、まるで忠告をするかのような口調で割って入って来た。
「いいのよ。カルヴァス。テミスは我々ロンヴァルディアの民ではないわ。緘口令の対象外よ」
「っ……ですが……!」
「私たちの先祖が間違いを犯したのも事実……。私はこの掟を破る力はまだないけれど、掟に縛られていない人にまで、率先して隠匿したいとは思わないわ」
「……茶番は要らん。時間が無いのだろう?」
「っ……!! そうね」
テミスはカルヴァスから、そのまま議論に発展しそうな雰囲気を感じ取ると、先手を打って続きを促した。正直、飯の席に付き合うのは構わないが、私は今両手が使えない。なので、申し訳程度にスープを差し出されたとしても食う術を持たないのだ。故に、旨そうな食事を目の前にしても、こうして空腹を堪えて話を聞く事しかできないからこそ、苛立ちが余計に募っている。
「キルギアスはね……殺されたのよ。敵をも尊ぶ騎士道精神を目障りに思った、当時のロンヴァルディア王……私の曽祖父の命でね」
「……おかしな話だな。王ならば、罪人の命の一つなど自由にできるだろうに。敵兵を匿ったのだ。幾らでも罪の擦りようはあるだろう」
「いいえ……言ったでしょう? キルギアスは敵をも尊ぶほどの騎士道精神を持っていた……と。そんな彼を良く思う者こそ多いけれど、不快に思うのは一部の人間だけだった……」
「あぁ……。そう言う事か……」
苦し気に顔を伏せたフリーディアがそう独白すると、テミスはその意を理解してつまらなさそうに首肯した。
実にありきたりで、実に胸糞の悪い良くある話だ。
正しさを貫こうとする人間は常に、周囲から慕われながらも、お上からは目の敵にされる。
そんなよくある構図の中で、正しさを貫こうとする人間に生じた一分の隙を、逃す手は無かったのだろう。
「えぇ……。だから、秘密裏に処刑されたキルギアスは、二度とあの屋敷に戻る事は無かったわ。何故、オヴィムが今もあの屋敷に拘っているのかはわからないけれど……」
「主命……とか言っていたがな……」
消え入るように言葉尻を消したフリーディアに、テミスの呟きが重なった。
アレも、おおかたマグヌスのような堅物なのだろう。命を救われた恩義を返す為、あの屋敷を守り続けているのだろうが、最早頑固というレベルではない。
「主命……。そう。なら、オヴィムにとっての主は、今はキルギアスに変わっているのね」
「変わっている……だと?」
「えぇ。何を命じられたかは知らないけれど……。記録によると、オヴィムは前魔王軍第十三軍団軍団長・バルドの腹心だったのだから」
「っ……!!!! ……なるほど。だから、説得。か」
明かされた真実にテミスは目を見開くと、自らが内心で全てが腑に落ちたかのような納得を覚えている事を自覚する。
確かに、あれ程の戦力がこちら側に回るのならば、それを危惧する理由もわかるし、私が出向く理由としても十分だろう。
しかし同時に。テミスの胸中に一つの苛立ちが萌芽していた。
その苛立ちは一瞬でテミスの覚悟を決めさせ、一つの決断を下させた。
「……フリーディア。明日ファントに着いたら、今度は私に少し付き合え」
「っ……! わかったわ」
「あぁ…………」
フリーディアがテミスの言葉にコクリと頷く。しかし、テミスはそれに一言答えただけで口を噤み、辺りを気まずい沈黙が包み込んだのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




