290話 底の抜けたお人好し
「事情を訊いているのはこちらなんだがな……。まぁ、良いか……」
フリーディアの絶叫が響き渡った後、顔をしかめたテミスはそう呟いた。そして、チラリとフリーディアの方を見やると、そこには目を見開いて怒りに燃える顔がテミスの方を向いていた。
現状。目を覚ましたフリーディアが叫びを上げたにもかかわらず、周囲の連中が有無を言わさず飛び込んで来ない辺り、今の所は安全らしい。
そう判断すると、テミスはフリーディアの要求に従って、事のあらましを説明すべく口を開いた。
「説明といっても、そう大した事では無いのだが……。冒険者として依頼を受け、あのオヴィムという魔族の討伐に向かった。それだけだ」
「いやいや!!! その前よっ! 前っ!!」
「……は?」
「いや。はっ? じゃなくて。なんでアナタが冒険者としてギルドの依頼を受けてんのって聞いてんのよ? それも、よりによってあの依頼を!」
ざっくりと事実のみを切り抜いて説明したテミスに、キレのいいフリーディアのツッコミが炸裂した。
普段はきらきらとした笑みを振りまいている大きな瞳を半眼に閉じ、苛立ちを募らせた視線を投げつけるフリーディアの姿はある意味で新鮮だ。
「……私が冒険者だからだが?」
「っ……!! あなたねぇ!!! 真面目に説明する気があるのッ!?」
そんなフリーディアをもう少し眺めていようと、テミスがとぼけた返事を返した瞬間。一瞬で怒りに顔を上気させたフリーディアが、烈火の如き気炎を上げて怒声を上げた。
……これはマズい。本気なやつだ。
その表情から、今フリーディアが本気で怒りに燃えている事をテミスは一瞬で察知した。
戦場で幾度と無く彼女の怒りを受け続けたのだ。敵だからこそ気心が知れたというのも癪な話だが、他でもない私が、フリーディアのこの感情を見間違えるのはあり得ない。
「貴女の手足はもう暫く使い物にならない!! 何故!? 自分の立場を考えて動かなかったのッ!? そもそも――っ!?」
「――考えているさ……それに、真面目に説明しているからこそ、ここまでしか言う事ができないのだが?」
「っ……!」
だからこそ、テミスは潰れた手でフリーディアの言葉を遮って、真剣な目を向けた。同時に、少し緩みかけていた脳味噌を切り替えて、フリーディアへと言葉を返す。
先日町を襲ったあの子供の事を明かせば、この頭の中に花畑でも広がっているんじゃないかという程に甘いこの女の事だ……どうせ自分が保護すると言って聞かないだろう。
だが、魔王軍としては、そう易々とテロリストを開放してやる訳にはいかない。
ならば、あの子供の事を伏せるのならば、先ほど端的に説明した部分が、魔王軍的にも、テミス個人としても限界なのだ。
「次はこちらの番だ。私は確かに、オヴィムと戦っていた筈。ここは何処で、何故お前が私の隣にいる?」
「っ……それは……」
その真面目な雰囲気に圧されたかのように、フリーディアは悋気を納めると、現状をテミスへと語り聞かせる。
曰く。この馬車は白翼騎士団の物で、ここは騎士団の野営地である。
曰く。現在値はトラキアとデュオニーズの中間くらいで、そう大してあの林からは離れていない事。
曰く。任務が早めに終わったので、帰るついでにファントへ立ち寄るつもりであったと。
曰く。その途中に押し付けられた厄介事を引き受けてみたら、何故か冒険者姿の私を回収してしまった事。
かなり長い話ではあったが、フリーディアは全てを語り終えると、真剣なまなざしでテミスの瞳を覗き込んで言葉を続ける。
「それで、そんな身体で貴女、これからどうするつもり?」
「……これから。とは?」
「とぼけるのはやめて。これは真剣に……貴女の友人として聞いているのよ」
問いの内容を察しながらも、テミスが首を傾げて見せると、それすらも予測していたかのように、フリーディアはぴしゃりと逃げ道を塞いだ。
「猛者のひしめく魔王軍の中で、人間である貴方が軍団長たり得たのは、その比類なき強さのお陰よ。詳しい情勢は知らないけれど、人間である貴女を快く思わない者は多い筈……。一時的とはいえ、その力を失った今……貴女、殺されるわよ?」
「フン……」
つくづく甘い女だ。と。真剣極まる表情で迫るフリーディアを、テミスは鼻を鳴らしてそう評した。
いくら紆余曲折があったとはいえ、私達の根本は敵同士。下らん私利私欲に凝り固まった人間共に付く騎士と、魔王と旗を並べる軍団長なのだ。だと言うのに、こんな疑う余地も無い程に心の底からその身を案じる等、甘いを通り越して最早能天気だとも言える。
だが。……だからこそ。
こんな純真無垢な子供のような純朴さと、それを貫こうとする強さを持つフリーディアを、私は他の人間とは違うと認めたのだ。
「この傷ならば問題は無い。ライゼルと戦ったあの時と同じだ。一晩もあればすぐにでも治せる」
「っ……。そう……そうよね……」
忌憚なく。誤魔化す事無くテミスが答えると、フリーディアは何処か残念そうな、しかし同時に安心したかのように奇妙な表情を浮かべて息をついた。
「それよりも……だ。フリーディア。もしやとは思うが、あのオヴィムという魔族。ディオンに所縁の者か?」
「ええ。そうよ。所縁も何も……って、テミス貴女。だからこそ彼を説得しに行ったんじゃないの?」
「はっ……? 説得? どういう意味だ?」
「えっ……? なら貴女、何であの場所へ行ったの?」
僅かな沈黙の後。テミスが確かめるように訊ねると、本質とズレた回答が返ってくる。
反射的に首を傾げて問い返したテミスの言葉に重なるように、今度はフリーディアが首を傾げ、目を白黒させて見つめ合った二人の疑問符が、静かな馬車の中を埋め尽くしたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




