288話 敗者の末路
数時間後。デュオニーズ郊外。
「っ……」
ピクリ。と。
固く閉じられていたテミスの瞼が、僅かに蠢く。かなり強く突かれたのか、彼女とあろう者が随分と深く昏倒している。
「ふふ……」
未だ、夢の中では戦闘を続けているのか、時折うめき声を漏らすテミスに微笑むと、その傍らに腰を落ち着けたフリーディアは床に広がる、ほんのりと紅く染まった指通りの良い銀髪を、弄ぶように手櫛で梳いた。
「……フリーディア様。到着しました」
「わかったわ。リック。悪いけれど、野営の準備は任せてもいいかしら?」
「っ……。承りました」
ガラガラと音を立てて揺れていた馬車がピタリと止まると、荷馬車の幌を捲り上げたミュルクが報告し、返事をした後、不満気な視線でチラリとテミスの寝顔を盗み見る。
「……起こさないのですか?」
しばしの葛藤の後。ついに耐えかねたのか、眠る愛妹を眺めるような視線で、その髪を梳かし続けるフリーディアへと問いかけた。
「えぇ。もう少しだけ、寝かせてあげましょう。目を覚ましたテミスは、もしかしたら私達から全力で逃げ出さないといけないかもしれないわ」
「ならば拘束を……ッ!?」
フリーディアの言葉に気が急いたのか、ミュルクは荷馬車へ乗り込むべく身を乗り出した。しかし、即座に目の前へと翳されたフリーディアの手が、ミュルクがそれ以上前進する事を阻んだ。
「必要は……無いわ……」
「っ……!! 失礼……しました……」
疑問を問いかけるようにフリーディアを見つめたミュルクの視線に、深く沈んだ声が答える。同時に、フリーディアが車内に投げ出されたテミスの四肢へと視線を送ると、ミュルクはまるで何かを思い出したかのように目を見開いて謝罪する。
「……だから、あれ程驕るなと……忠告したのに」
包帯の巻かれたテミスの手足を悲し気に見つめながら、フリーディアは呟きを零した。
テミスに応急処置を施したのはフリーディアでは無い。けれど、その怪我の程度は、テミスを連れ帰った騎士……カルヴァスから聞かされていた。
曰く。左腕と左足の腱を切られ、右手は骨が折れている。命に別状はなくとも、剣士として……戦士としてのテミスは死んだも同然だった。
この大怪我が治った所で、長い療養の間に力が衰えるのは自明の理。特に、彼女の持つ戦闘の刹那に冴えわたる直感は、そうやすやすと取り戻せるものでは無いだろう。
「でも……本当に驚いたわね……」
「……はい。まさか、あそこへの定期巡回で、テミスが回収されるなんて」
「本当に……本当に、彼等が面倒くさがって白翼に頼んでくれて良かったわ……」
独り言のように呟かれたフリーディアの言葉にミュルクが答え、それを皮切りにぽつりぽつりと会話が始まる。
本来であれば、あの場所へ戦闘不能になった者を回収しに赴くのは、最寄りの町であるデュオニーズの衛兵達の仕事だ。
日に一度。彼等はあの林の入り口まで分け入って、そこに気を失った者が居れば町まで回収して戻る。それが、監視役の任を与えられた彼等の仕事の一つだった。
「でも奴等……普段からマトモに仕事してなさそうですけどね……。今日もほら、俺達が通りかからなければ、珍しく町に立ち寄った冒険者に行かせるつもりだったとか漏らしてましたし」
「冒険者……?」
「えぇ。なんでも、あのSランク冒険者のルードが見回りを交代するとか申し出てたそうで……。でも、奴等の事だ。面倒くさがったというよりは、対価の酒代すら渋ったんでしょう」
フリーディアが首を傾げると、ミュルクは彼等を鼻で嗤いながら答えを返した。
彼等にとって、あの林にまで足を運ぶのは酒を一杯奢る程度には面倒だが、無料で誰かに押し付けられるのならば、そちらの方が都合が良いという訳だろう。
「そうね……。残念な事だわ」
「仕方が無いでしょう。どうせ閑職なんですから」
「……リック?」
「っ……失礼しました」
物憂げに呟いたフリーディアに、ミュルクがせせら笑いを浮かべながら言葉を続ける。しかし、フリーディアはミュルクを非難するように睨み付けると、叱責の声を上げた。
「彼等の本当の役目は、『彼』の監視よ。『彼』が当時からあの館を守り続けているのだとしたら、その強さと忠誠心は捨て置くには危険すぎる。何かの拍子で『彼』が解き放たれれば……」
「……その矛先は、人間に向く」
「えぇ。テミスですら手も足も出ない程の戦力が、憎しみを胸に立ち上がれば、その被害は計り知れないわ」
苦しそうに眉を寄せたフリーディアが言葉を続けると、その言葉尻を喰うようにしてミュルクが言葉を完結させる。
すると、フリーディアはそれに同意するように頷いてから、隣に横たわるテミスに目を向けて、憂うように言葉を漏らした。
「……リック。話は終わりよ。彼女は私が見ているわ」
「っ!! 了解しました!」
しばらくの沈黙が続いた後、有無を言わさぬ口調でフリーディアがミュルクへと呼びかけた。それに応じたミュルクは、ピシリと背を正して敬礼した後、幌を閉じて立ち去っていった。
「事と場合によっては……貴女には、本当に白翼騎士団の参謀になって貰うわよ……?」
馬車の外から、荷物を積み下ろす音や、声を掛け合う騎士達の声が響いてくる中で、フリーディアは怪しげに微笑むと、眠るテミスへそう囁いたのだった。




