287話 願いと主命
「クソッ……クソッ……!!」
「…………」
刃毀れした剣を突き立て、懸命に立ち上がろうともがくテミスを、オヴィムはただ見つめていた。
追撃を仕掛けるでもなく、声をかける訳でもなく、ただ静かに見守るだけ。
その視線は更にテミスの心に屈辱の炎を灯し、動かぬ手足に更なる苛立ちを募らせた。
「……もう止せ」
「黙れッ!!」
片足と片腕。
何とか立ち上がりこそしたものの、テミスがその場から一歩たりとも動けないのは自明の理だった。
それでも尚、欠けた切っ先を向けるテミスを、見かねたようにオヴィムは口を開く。
「お前の資質は素晴らしい。およそヒトとは思えぬほどの迅さとしなやかさ。氷のように冷静な判断力と、烈火の如き勇猛な戦意を併せ持つその心……。戦士として、剣士としてお前ほど才気に溢れた者を、儂は見た事が無い」
「だから……何だッ――!?」
テミスを褒め、慮る口調で語り掛けるオヴィムに、力無い白刃が振るわれる。
しかし、オヴィムはただ一歩後ろに退いただけでそれを躱し、ただ淡々と言葉を続ける。
「お前はいわば原石……剣技を覚え、技を磨けば、必ずや儂をも越える剣士と成れよう」
「っ……」
ぎしり。と。
オヴィムの言葉にテミスの歯が食いしばられ、鈍い音を響かせた。
何も知らない化石のような世捨て人が、好き勝手を言ってくれる……。
口惜しさと恥辱に沈み込んでいたテミスの心に、まるで灯のように怒りの炎が灯り、その炎はどんどんと延焼して力を滾らせた。
私に剣の技術が無い事など、百も承知だ。
前世で齧った剣技など、所詮スポーツと化した遊戯剣術。人を殺す為だけに研ぎ澄まされたこちらの剣技と比べるべくもない。
……だが、私は軍団長だ。
強さを至上とする魔族達の軍団の中で、その頂点に立つ軍団長が誰かに教えを乞う事などできるはずも無い。
今までの敵は、この忌々しい能力と力任せの剣でも圧し切れていた。
だが、この先もどうにかなる保証は無い。
故に……力を磨くべく旅に出たというのに……。
「だからこそ、その才をこのような墓所で腐らせるな。……わかったのならば、迅く手当てをして去るが良い。剣を杖とすれば、一歩たりとも動けぬほどではあるまい」
黙り込んだテミスに未だに説教を続けていたのか、大きくため息を吐いたオヴィムが言葉を締めくくった。
コイツも所詮はただの遺物。
自らが墓所と呼ぶこの場所を、ただ何の意味も無く守り続ける時代の残響だ。
「……ならばっ!!」
「……?」
血を吐くように激しく吐き捨てられたテミスの叫びに、元居た位置へ戻るべく背を向けていたオヴィムが振り返る。
そこには、修羅の如き形相でオヴィムを睨み付け、地面から引き抜いた剣を構えるテミスの姿があった。
「ならばッ!! お前が私の糧となれェッッ!!!」
獣のような叫びをあげ、テミスは残った片足で地面を蹴って無理矢理に跳躍する。
剣を振りかぶり、今度はその黒々と輝く甲冑の継ぎ目を狙って憎しみを込めて振り下ろした。
残響風情が知った口を利くな。
私は、強く在らねばならない。私の掲げた正義を貫く為に。比類なき力が必要なのだッ!
「……その戦意。天晴れ」
ゴィンッ! と。
重たい金属音を響かせ、テミスの振り下ろした剣は、僅かに体を動かしたオヴィムの鎧によって弾かれる。
「ご……ゥッ――!! ガハッ……!!」
次の瞬間。
鎧に剣を弾かれ、無防備となったテミスの腹に、オヴィムの巨岩のような拳が弧を描いて容赦なく叩き付けられた。
無論。空中でバランスを崩していたテミスに躱す術など無く、まともにその拳を受けたテミスは、まるでボールのように地面へと打ち付けられる。
「……そう言えば、何やら理由があるとか言っていたな」
「ゴホッ……!! ガハッ……!! ッ……お前にはッ……関係……無いッ!!」
地面へと叩き付けられたテミスへ、静かに語り掛けながらオヴィムが歩み寄る。
その瞬間。テミスは激しく咳き込みながらも、射程圏に侵入したオヴィムへ向けて突きを放った。
「遅い」
「ぎァッ……!!」
しかし。その刺突は鎧を掠める事すら無く。刺突に速度が乗る前に、オヴィムの足が素早くテミスの残った手を踏み潰した。
「お前の理由とやらが如何なるものかは儂は知らぬ。満身創痍の身を賭してでも叶えたい願いであったのだろう……。だが……許せ。才ある少女テミスよ。いつ如何なる時においても、我が主命は天命に勝るのだ」
「……ならば。せめて教えろ。お前の主命とは何だ? こうして……私を叩き潰してまで、望む命とは何だ?」
ボソリ。と。
地面にその身を縫い留められたテミスが、呟くように問いかける。
左腕と左脚は使えない。そして、右手も潰された。流石のテミスでも、右脚一本でこのオヴィムという男に立ち向かう気にはなれなかった。
「……我に課された主命はこの屋敷を守る事。主が帰るその日まで。ディオンが一族の寄る辺たるこの館を守る事だ」
「っ!!? お前ッ……!? っ……!」
オヴィムがテミスの問いに答えた直後。弾かれるように上体を起こしたテミスの頭に軽い衝撃が走った。
同時に、テミスの体から徐々に力が抜け、その意識も暗闇へと急速へ堕ちていく。
「達者で生きろテミスよ。お前との戦い、久方ぶりに愉しかった……」
テミスの意識が途切れる刹那。
どこか満足そうなオヴィムの声が響いたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




