286話 神風と巌
「行くぞっ!!」
「……っ!」
真半身で構えたオヴィムに対し、テミスは即座に行動を起こした。
奴は今まで、徹底して『受け』の姿勢を取っていた。だと言うのに、次に構えた構えは明らかに攻撃する為の構え。
私の刺突を易々と躱した相手なのだ。一度攻勢に回られれば、こちらが受け切る事のできる保証は無い。
故に。テミスは脳内で構築していた作戦を全て破棄し、何よりもオヴィムに肉薄する事を優先した。
体の小さいテミスは、大きな体躯を持つオヴィムに比べて、同じ剣を用いたとしても遥かに射程が短い。
しかし逆に、奴の攻撃圏を抜けて懐にさえ飛び込んでしまえば、そこはオヴィムにとって攻撃し辛く、テミスにとっては身を守りながら攻撃を加える事のできる絶好の死角だと言える。
「ハァッ……!!」
吹き飛ばされたテミスの位置から、刀を構えたオヴィムの所までは、およそ30メートルほど。全快時のテミスの脚力であれば、一足飛びに飛び込める距離だった。
しかし、今のテミスにその脚力は残されていない。
一度全力で飛び込んで脚力が疲弊している上に、オヴィムの尻尾による攻撃で受けたダメージは、テミスの予想以上に彼女の身体を蝕んでいた。
ギャリィッ! と。
即座に飛び込んできたテミスを迎撃すべく、オヴィムが放った一撃を弾き、二歩目を踏み込む。しかしそれと同時に、つい先ほど逸らしたはずの刃が逆側からの斬撃へと姿を変えて襲い掛かってくる。
「クッ……」
だが、オヴィムの第二撃がテミスの身体を捉える事は無かった。
地面を踏み切る直前に攻撃を察知したテミスは、更に深く腰を沈ませ、一度しゃがみ込むような体勢まで身を屈めたのだ。
よって、左中段から斬り込まれ、右上段へと逸らされたオヴィムの刃は、テミスの肩口を裂くことなく頭上を通り過ぎる。
この時点で、二人の距離は10メートルほどにまで迫っていた。同時にそこはテミスにとって、己の攻撃は有効打とならない上に、オヴィムの攻撃は全て致命傷たり得る威力を孕む死地であった。
「ラァッ!!」
だからこそ。テミスはオヴィムが次の一撃を放つより先に前へ出るべく、全身のバネを総動員して地面を蹴りつけた。
この一歩が詰まれば、戦況はひとまずテミスの有利な方向へと流れる。
追加の全身エネルギーを得たテミスの身体はさらに加速し、目論見通りオヴィムの懐へと辿り着く。
しかし、その代償は決して小さなものでは無かった。
「……まずは。一本」
「――っ!? あぐっ……!?」
目的地にたどり着いたテミスの頭上から、悲し気なオヴィムの声が響いた。
刹那。テミスの左腕から血飛沫が立ち上り、鋭い痛みを脳へと伝達する。同時に、テミスの左手が剣から離れ、まるで糸の切れた人形のように力無くだらりと垂れ下がった。
「なっ……!?」
「左腕の腱を切った。少なくとも一年は、剣を振るう事は叶うまい」
「くっ……!!!」
テミスは、死刑宣告のように告げられるその言葉に歯噛みをするが、その攻撃の手を止める事は無かった。
左腕を犠牲にしてまでこの領域へ飛び込んだのだ。せめて、同等以上のダメージを与えなければ、割に合うまいッ!!
懐へ飛び込んだ勢いのまま、テミスは残った右腕で剣を振るい、オヴィムの胴を全力で切り上げた。
甲冑を着込んだ相手とはいえ、その甲冑は朽ちている。致命傷にこそならないだろうが、ダメージを与えるのであれば十分に過ぎるだろう。
……だが。
ガッ……ギィィィン……!! と。
テミスの手に伝わって来たのは、凄まじい硬度を誇るオヴィムの甲冑に、自らの刃が弾かれる感覚だった。
「……馬鹿な」
その絶望的な感触に、テミスは思わず言葉を漏らす。
一般的な素材とはいえ、テミスの扱う剣は一級品の業物だ。
それが、転生者であるテミスの力と合わされば、例え朽ちていなくとも、そこいらの鎧であれば切り裂くのは容易い。
だからこそ、テミスは力押しでダメージを与える道を選んだし、この特攻に腕一本の価値はあると判断したのだが……。
「……見事だ。機微な判断力に加え、不利をものともしないその胆力。儂のこの朽ちた鎧が陽の目を見るのは、実に何百年ぶりであろうか」
「な……あっ……ぁ……」
オヴィムが感嘆の声を漏らすと同時に、その鎧がテミスの斬撃の傷に沿って剥がれ落ちていく。
その奥には、テミスの目には見慣れた、漆黒の輝きが誇るように陽光をはね返していた。
「ブラック……アダマンタイト……だ……と……?」
その輝きに見開かれたテミスの視界の端で、微かに輝く何かが、パラパラと舞い落ちていく。
「チィッ……!!」
反射的にその破片の元に視線を移したテミスは、歯ぎしりと共に臍を噛んだ。
考えてみれば、当たり前の事。わざわざ視線を逸らして確認するまでも無い。
テミスの視界を横切った破片。それは、テミス自身が振るう剣の欠片だった。
高度を遥かに上回るブラックアダマンタイトに全力で打ち付けたのだ。折れる事無く、刃こぼれ程度で済んだのは、この剣を打った刀匠が起こした奇跡と言えるだろう。
だが同時に、その一瞬はテミスにとって致命的な一瞬となった。
「グッ――!?」
ヒャゥンッ! という甲高い風切り音の直後。まるで火薬でも破裂したかのような乾いた音が鳴り響き、テミスの身体が大きく傾ぐ。
「っ……! ア゛ア゛ッ!!」
そして、その音に数瞬遅れて。
鋭い痛みがテミスの左足を襲った。
「……終わりだ。足首の腱を断たれれば、もう素早く動く事が叶わぬ事くらい解るだろう」
「ウッ……グクッ……」
膝を付き、痛みに呻くテミスの直上から、静かなオヴィムの声が降り注ぐ。
だが、テミスはその声を無視し、立ち上がろうと脚に力を込める。
しかし、腱の切れた脚に力が籠る事は無く、地面に蹲った格好のまま、テミスはオヴィムを見上げるように睨み付けたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




