285話 挑む者と守る者
「ムッ……」
解き放たれた男の気迫にテミスが応じると、ボロボロの甲冑の奥からくぐもった声が漏れ聞こえる。
「フッ……」
テミスはその反応にニヤリと頬を歪めると、構えた剣の剣先をピタリと男へ向けて口を開いた。
「我が名はテミス! 神域を守護する者よ。いざ、尋常に勝負ッ!!」
「……我はオヴィム。安心しろ。殺しはしない」
オヴィムと名乗った男は静かにテミスの名乗りに答えると、手を添えた腰の棒に両手を番え、まるで彫像にでもなったかのように動かなくなった。
「っ……!!」
刹那。倍化した威圧感にテミスは目を見開くと、自らもオヴィムに打ち込むべく剣を構えて正面を見据える。
剣を構えるどころか抜きもせず、ただ両手を番えて時を待つ。一見無防備極まりないが、あの格好は紛れもなく構えだ。それも質の悪い事に、恐らくあれは待ちの構えだ……。一瞬その姿を見ただけで、テミスはそう直感した。
「っ……ならば……!!」
言葉と共に、テミスは正眼に構えていた剣を寝かせると、まるで地面に這いつくばるかのように深々と腰を落とし、地面とは水平に剣を構える。
確かに。抜刀術を併用した守りの型は強力だ。そもそも抜刀術自体は、刀を納めている状態で襲撃された時、いかに敵の初撃を防いで反撃するかという、不利な状態を覆す為に創られた剣術だ。
故に、こうして対面しての戦いであっても、その守りの力が強力無比であるのは言うまでもない。
「っ……!!」
だが。守りの技であるが故の欠点も存在する。
テミスは極限まで意識を集中してオヴィムを睨み付けると、自らの脚に全霊の力を溜めて隙を窺っていた。
守りの技であるが故に、敵の初撃は敵を討つための物ではなく、敵の攻撃をいなすなり弾くなりして己が身を守る為に使われる。
だからこそ。その初撃を打ち抜く事ができれば、一方的な展開へ持ち込む事ができるはずだ。
「っ――!!」
ゆらり……。と。静かにそよいだ一陣の風と共に、オヴィムの身体が僅かに揺れた刹那。
獲物に忍び寄る肉食獣のような格好で機を窺っていたテミスの姿が掻き消えた。
凄まじい速度で射出されたテミスは瞬時にオヴィムの至近に肉薄し、その構えた獲物から最も遠い場所……左の下段から突き上げるように剣を突き出した。
――しかし。
「なっ……!?」
ギャリィィッン!! と。
直後に響いたのはけたたましい金属音だった。
見れば、いつの間にか抜き放たれたオヴィムの刀は、激しい音と火花を生み出しながらテミスの剣の切先を逸らしていた。
直後。
「くっ――!」
咄嗟に。渾身の突きを逸らされたテミスは、そのせいで崩れた体勢を利用してさらに左へと転がった。
その瞬間。テミスの剣を逸らしていた刀がギラリと閃いて音も無く地面を抉る。
そこはつい先ほどまで、テミスの右脚が全力で地面を踏みしめていた所だった。
「チィッ――!!」
視界の端でその光景を捕らえたテミスは、舌打ちと共に体勢を立て直すべく背後へと跳躍する。
しかし……。
「ごウッ――ッ!?」
まるで、巨大な丸太で打ち抜かれたかのような襲撃がテミスの脇腹を襲い、その華奢な体躯が風に吹かれた木の葉のように宙を舞った。
「ガッ――ハッ……!! ゲホッ……! ゴホッ……!!」
宙に投げ出されたテミスはそのまま広場の端に生える木に叩き付けられ、その衝撃で辛うじて手放していなかった剣が宙を舞い、崩れ落ちて咳き込むテミスの側へと突き刺さる。
「くっ――!!」
――このままではやられる。
呼吸もままならず、体はバラバラになったかのように軋んで痛い。
しかし、テミスは自らの本能に従って手放した剣に飛びつき、辛うじてそれを構えて立ち上がる。
「っ……!?」
だが、テミスの予想していたように、オヴィムが吹き飛ばされたテミスへ追撃を仕掛ける事は無かった。
テミスがくらむ視界で見据えた先には、抜き放った刀を悠然と地面から引き抜きながら、振り抜いた巨木のような尻尾を戻して残心を解くオヴィムの姿があった。
そうか……。あの巨大な尻尾で私は薙ぎ払われたのだ。
テミスが己を襲った謎の一撃の正体に気が付いた。それに、奴が使っている獲物は紛れもなく日本刀。こちらの世界で見るのは初めてだが、音もなく地面をバターのように切り裂く切れ味は、あちらの世界の物と同等らしい。
油断なく敵を見据え、そう分析するテミスの頬を、遅れて滴ってきた冷や汗が伝った時。甲冑に覆われたオヴィムの顔が僅かに動いてテミスへと向けられる。
「フム……テミス……と言ったか」
「ゴホッ……あ……あぁ……」
甲冑の奥から響いた声に、テミスは呼吸を整えながら答えを返す。
どういうつもりかは知らんが、あちらが会話をするつもりならば好都合だ。
もう二度とあのような不意打ちは通じんし、少しでも呼吸を整える時間を稼げれば儲け物だ。
そんなテミスの思惑を知ってか知らずか、視線を向けたオヴィムはゆったりとした口調で口を開いた。
「その年にして見事な判断力だ。それに、打ち込みは激烈。五十年前の儂なら、あの一撃で手傷を負っていたやも知れぬ」
「ハッ……ご高配感謝するよ。こうして打ちのめされていなければ、最高の賛辞だったのだがね」
「……どうやら、お前は今までの人間達とは少し異なるらしい。何故、儂を殺そうとしない?」
「っ……!?」
テミスの皮肉を流し、オヴィムは静かに問いかけた。
その意外な問いに、テミスは一瞬だけ驚いたように表情を変えるが、すぐにいつものふてぶてしい笑みへと戻り、その問いに一言で答えを返す。
「殺す理由が無いのでな」
事も無げに放たれたその言葉に、オヴィムの肩が僅かに震える。しかし、答え終わると同時に、大きく息をついて呼吸を整えていたテミスには、その僅かな動きは映っていなかった。
「ならば、剣を引け。お前のような才。ここで摘み取ってしまうには心苦しい」
「断る」
即断即決。
憂うように投げかけられた言葉を、テミスはすげなく切って捨てた。
呼吸は既にある程度整った。刀を抜かせた以上、奴の動きが変わるのは間違いない。ならば、次の手は――。と。テミスの脳内は次の打ち合いへシフトしており、強敵であるオヴィムを相手に、相手の機微を感じ取る程の余裕など残されていなかった。
「ならば……致し方なし。か……」
ギラギラと戦意に輝くテミスの目を見たオヴィムは、諦めたかのように深くため息を吐くと、刀を片手で構えて真半身で構える。
甲冑の奥で揺蕩うその瞳には、どこか穏やかな光が揺蕩っていたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




