283話 不穏な出世
「特別昇格?」
ダンシングスパイダーの討伐から二日後。冒険者ギルドへと顔を出したテミスが告げられたのは、聞き覚えの無い単語だった。
「はい。テミスさんの破竹の如き活躍ぶりと、先日のダンシングスパイダーの単独討伐の功績から、二階級特進させてSランクへと昇格させるように……と通達がありまして」
「……二階級特進ね。厭な言葉だ……」
「えっ……?」
「いや、何でもない。こちらの話だ」
テミスは受付嬢の言葉に苦笑いを零すと、ボソリと呟きを漏らした。どうも、前職や本職の関係上、二階級特進という言葉からは、殉職を連想してしまう。
「テミスさんさえよろしければ、さっそく処理の方を……」
「待ってくれ」
「え……? はぁ。何か……?」
受付嬢がカウンターに提示したテミスのギルドカードに手を伸ばすと、テミスはぴしゃりとそれを制止した。その冷たい態度に、受付嬢は不審げに眉を顰めるが、言葉に従ってカウンターの中に腕を引っ込める。
確かに冒険者にとって、二階級も無条件でランクを上げる事ができるのは垂涎モノの待遇なのだろう。勿論、課せられる任務も歯ごたえのある物になり、腕を試すにはうってつけだ。
だがそれにしても……だ。ロクに説明もせずに、まるで有無を言わさぬうちに手続きを終わらせようとするこの態度は、どこか引っかかる。
「……今回の特別昇格の理由は、本当にそれだけか?」
「っ……! それは……」
テミスが静かな口調で問いかけると、案の定受付嬢は気まずげに視線を逸らし、口をつぐむ。やはり、この世界の基準ならば、本来であれば軍隊にしかない制度を、しかも死んでも居ない者に無理矢理適用しているのには、何かしらの理由があるらしい。
「……すまないが、その話は辞退させて貰う。元より、名誉の為に冒険者をやっている訳では無いからな」
「――っ! 待って下さいッ!!」
そう告げたテミスがカウンターの上に提示したギルドカードに手を伸ばすと、悲鳴のような叫びと共に受付嬢の手がテミスの手を捕まえた。
「どういう……つもりだ?」
「ひっ……いえ……その……こ、この処置はテミスさんの為でもあるんです!」
「私の為……だと……?」
受付嬢が掴む力など、テミスがその気になれば、簡単に振りほどける程度のか弱い力だ。だがしかし、体中を震わせながらもその手を離さない覚悟が、テミスから実力行使という選択肢を奪っていた。
「私は――その……信じてはいないんですが……」
「……?」
受付嬢は震える手を離さないまま、テミスから視線を逸らして、もごもごと言葉を続ける。
思えば、何故この受付嬢はここまで怯えているのだろう。少なくとも、ダンシングスパイダーを討伐すると言い出した時は、私を怒鳴り付ける程の気概を見せてくれたというのに……。
「……テミスさんが実は、魔王軍の軍団長なんじゃないかって……その……噂が……」
「――っ!!!!!?」
「いえっ!! 勿論!!! 噂の範疇ですから!! ただ……」
「ただ……何だ……?」
受付嬢の言葉に思わず目を見開いたテミスは、瞬時に高鳴り始めた心臓の鼓動を隠すかのように、押し殺した声で話しの先を促した。
本名にこの容姿……そして、他の追随を許さぬ速さでの昇格。極めつけは、前人未到の魔獣の単独討伐。確かに、今思えば我ながら隠す気があるのかと思うほどの不用心さだ。
だが、この世界にはたくさんの転生者が居るはずだ。全員が全員軍に入る事を望む訳でもあるまい。アトリアの導きで、冒険者になる者も大勢居るはずだと思ったのだが……。
「ただ……本国。ロンヴァルディアから、近々テミスさんに出頭命令を下そうという動きがあるそうで……」
「に……っ……ロンヴァルディアが!? 何故!?」
「さぁ……その動きを察知したギルドマスターが、即座にテミスさんをSランクへ昇格させるように……と。本国の動きが、余計に噂に信憑性を持たせていて……」
テミスは、危うく『人間共』と滑りそうになった口をいったん噤むと、あえて驚愕を隠さずに驚きの感情を前面に出す。
よもや、正体がバレたという訳ではあるまい。だが事実として、連中はそれに近い所まで私に迫っている。なればこそ、その出頭命令とやらは、ほぼ確実に疑わしき者を罰する為の、処刑台への片道切符だろう。
「ン……? 待て。私がSランクへ昇格するのと、その事実無根の噂に何の関係があるんだ?」
思わず。テミスは湧いて出た疑問をそのまま受付嬢へと問いかけた。
国家からの出頭命令に対して、Sランクとはいえ、所詮一介の冒険者である人間が対抗できるものでは無いと思うが……。
「……あまり、大声で言える事では無いのですが」
テミスの問いに、受付嬢は声を潜めると、テミスの手を引いて顔を寄せて語り始める。
「冒険者ギルドは本来、国家の枠に縛られない自由組織です。そして、それは戦の世になった今も変わりません」
「――っ!」
「冒険者ギルドとしては、どんな理由であれ、優秀な人材が外部に流出するのは避けたいんですよ」
「……なるほどな。冒険者ギルドとしては、私がたとえ何者であっても問題無いという訳か」
「端的に言ってしまえばそうなります。私自身としても、テミスさんがあの黒剣の悪魔だなんて信じられません……いえ、信じたくありません」
「……」
力強く言い放った受付嬢の言葉に、テミスはじくりと自らの心が痛むのを感じながら視線を逸らす。
また大層なあざ名が増えたらしいが、今はそんな事を嘆いている暇はない。一刻も早く、露見しかかっている正体を隠匿する方法を見つける必要がある。最悪の場合、一度ほとぼりが冷めるまでファントへ帰投しなればなるまい。
「まぁ……難しく考えんなって」
「――っ! ルード!」
突如。背後から間延びした男の声がかかり、テミスは弾けるように身を翻す。
現状。最も正体が露見した可能性が高いのはこいつだ。だが、口封じに消してしまうには強すぎる力を持っている。故に、手出しする事もできなかったのだが……。
「確かに、ロンヴァルディアの動きは妙だ。……でもな。アトリアの姉ちゃんも俺も、ヘンな疑いだけでお前サンを失いたくねぇんさ」
「っ!? アトリアを知っているのかっ?」
「ん……? ああ、アイツはロンヴァルディア領内のギルドを統括するギルドマスターだが……。お前サンこそ、アトリアの事を知ってんのに、そんな事も知らなかったのか?」
ルードは小さく嗤いながら、可笑しな奴だな。と付け加えると、重ねられたテミスと受付嬢の手に自分の手も載せて、ニンマリと笑みを広げる。
「Sランクともなりゃ、長期の依頼なんざザラだぁ。それに……ホレ、腕試ししてぇんだろ? アレとかどうよ?」
ルードはそう言うと、受付嬢に笑顔を向けて、人差し指を立てて見せた。
確かに、長期依頼での遠征中という理由があれば、ほとぼりが冷めるまでの時間稼ぎにはなるだろう。それに、他でもない……私の正体を知るアトリアの提案ならば、乗らない理由は無いだろう。
「アレ……ですか……。まぁ、死にはしませんが……幾らテミスさんでも流石に達成は無理ですよ……」
「ウン……? そう言われると気になるな。昇格云々は置いておくとして、先にその依頼の事を聞かせてくれないか?」
「はぁ……構いませんが……。少し待って下さいね?」
テミスが用意された格好の理由に飛びつくと、苦笑いを浮かべた受付嬢が、スルリと手を抜いてカウンターの奥へと消えていく。
あの様子だと、途方もない依頼のようだが……。
「クク……。安心しろって。絶対お前は気に入るからよ。それに……」
「……? それに……? なんだ?」
「……んや? こうして手を重ねてると、やっぱお前も若い女の子――グフッ!?」
一瞬。テミスの頭上で、言葉を濁したルードは悲し気な笑みを浮かべた後、ニンマリとした笑みを浮かべて重ねたテミスの手を揉みしだく。
刹那。鋭く閃いたテミスの肘がルードの腹へと突き刺さる。しかし、ルードはその衝撃で数歩後ろへよろめくものの、ヘラヘラとした笑みを浮かべて腹をさする。
「お~いちち……。冗談だっての……」
「……馬鹿には付き合えんよ」
そんなルードに、テミスは冷たい言葉だけを投げかけ、鼻を鳴らしてそっぽを向いたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




