281話 眠れる獅子
沈黙が支配した岩場の刹那の時間。ルードは悔し気に唇を噛みしめるテミスを眺めながら、先ほど起こった事象を考察していた。
ルードが雷切を中断した理由は二つ。一つ目は、最後の瞬間。テミスのあげた咆哮に、絶望の感情が欠片ほども含まれていなかった事。二つ目は直感。まるで、強大な魔物と相対した時に、全身の毛が逆立つような危機感をテミスの方から感じ取ったのだ。
「フム……」
「っ……!」
悔しさをにじませながらも、未だに構えを解かないテミスを眺めながら、ルードは小さく息を吐いた。
テミスはあの瞬間。完全に捕らえられていた筈だ。身動きなど取れるはずも無く、取れる手段など無い筈……。
「ン……?」
ピクリ。と。注意深くテミスを観察していたルードが、何かに気が付いたかのように眉を動かした。
その視線が注目する先。爆発によって焼け焦げた服の胸元が開き、その首には細い鎖がぶら下がっている。
その瞬間。ルードの頭の中に、天啓的な閃きが舞い降りた。拘束されたテミスが抜け出した最後の切り札の答え。ルードでさえ数度しかお目にかかった事の無い程に高価な物ではあるが、それならばこのテミスの悔しげな表情も不可解な爆発現象も説明が付く。
だが……。それならば何故、コイツはこんなに俺を警戒している?
ルードの脳裏に、一抹の疑問が過った刹那。
それまで、だらりと力無く垂れ下がっていたテミスの腕に僅かに力が籠ったのを、ルードは視界の端で捕らえた。
もう迷っている時間は無い。須臾の狭間でそう直感したルードは決断を下す。
「ブ……ハーッハッハッハッ!!! 参った! やるじゃねぇか! まさか、魔晶石なんてモン隠し持ってたとはな!!」
「っ!?」
額に手を当てて高笑いを上げ、できるだけ豪胆に。ルードは意識して大きな声で笑い声をあげる。
その行動に、今度はテミスの方が動きを止めざるを得なくなった。
……この男は、何を言っている?
敵意も害意も無く、ただただ痛快に笑い声をあげるルードの行動が、テミスには理解できなかった。
人間には扱えぬ筈の魔法を放ったのだ。てっきりこのまま、魔王軍との繋がりを詰問され、最悪戦闘になるやもしれないと危惧していたのだが……。しかし、今の時点ではルードに敵意は無い。魔晶石とやらが何かは後から調べるとして、上手く行けば魔法の発動をあやふやにできるか……?
言葉を返さぬままルードを見つめるテミスの脳裏を、様々な選択肢が浮かんでは消える。
問答無用でこの場から離脱するには、背負うリスクが大きすぎる。何より、冒険者としての肩書を失い、人間領に潜入できなくなるのは非常に都合が悪い。
だが……ここまで露骨に警戒した手前、何と言い訳をして歩み寄る? いっそのこと、戦闘の興奮が冷めやらんとか理由を付けて模擬戦でも仕掛けてみれば、戦闘狂などと不名誉な評価は受けるだろうが、辻褄は合うか……?
互いに探り合うような目線を交わしながら、奇妙な沈黙が数秒間続く。
そして、それを破ったのは、またもや豪胆な笑い声と共に口を開いたルードの声だった。
「ガハハッ! 盗りゃしねぇっての! どれ? ちっと見せてみろよ」
「こっ……断るっ!」
「……ククッ。そりゃァそうさな。……良い判断だ。そんな高価なモン持ってると知れたら、たとえお前サンが相手であっても、殺してでも奪い取ろうって輩が出てきても不思議じゃねぇ」
「フ……フン……お前が、そうじゃないという証拠もあるまい!」
「…………」
反射的にテミスが答えると、ルードは微かに目を細めるが、変わらぬ態度でテミスへと語り掛け続ける。同時に、言葉の上では拒絶を繰り返すテミスの手からも、徐々にその力が抜けていった。
「馬鹿言うんじゃねぇよ! 後輩冒険者が危ない橋渡ろうってんで、わざわざついて行ってやるような心優しい俺がそんな訳するはずがねぇだろう!」
「さぁな。人は高価な物を目の前にすると人格が変わる……冒険者ならなおさらだろう?」
「……なら、これで良いか?」
「――っ!?」
気軽な言葉を交わしながら、誤魔化し切れると確信したテミスが、自らの剣を鞘に納めた瞬間。テミスの目にすら留まらぬ速さで腰の太刀を抜き放ったルードが、凄まじい気迫を放ちながら足元へ突き立てる。
「っ……!! なっ……ぐっ……!?」
テミスも即座に応じて抜刀するが、ルードから放たれる強烈な気迫にあてられたのか、同時に距離を取らんと飛び下がろうとした足が震え、その場に繋ぎ止められる。
罠か! ――殺られるッ!?
以前にリョースと相対した時の様な気迫を一身に受けながら、テミスの背筋を悪寒が走り抜けた。
――しかし。
「……四度だ。不意を突いたとはいえ、俺は今、確実に四回はお前を殺す事ができた」
突如ピタリと気迫は止み、静かな声が響いてくる。テミスがそれに気が付いた頃には、ルードの大太刀もすでに鞘へと収まっていた。
「奪うつもりなら、今やったさ……。ってのじゃ、駄目か……?」
「っ……ハッ……ハッ……。そういう事に……しておこう……」
そう言ってニカリと笑顔を浮かべたルードに、テミスは短く息を吐きながらどうにか返事を返した。今更になって一気に全身から冷や汗が噴き出し、急激に早くなった鼓動が呼吸を乱し始める。
このルードという男の実力は計り知れない……。少なくとも、ルギウスやリョースと同格……いや、下手をすれば、コイツの方が上回っているかもしれない……。
テミスは心中に産まれた鮮烈な驚愕に抗いながら、遂にガクガクと笑い出した膝を律するべく、抜いた剣を地面に突き立てて歯を食い縛った。
「ン……? ハハハ! 悪ィ悪ィ! 脅かしすぎちまったか……。生意気なばかりかと思いきや、意外と可愛い所もあンじゃねぇの」
「う……うるさい! こ……これはアレだ! 呪文の後遺症で――」
「――あん? 呪文……?」
「あ……」
刹那。まるで時が止まったかのような沈黙が舞い戻り、訝し気に首を傾げたルードと、内股で震えながら剣に縋り付くテミスの視線が交叉する。
「いやっ……えとっ……」
底抜けの阿呆か私はぁ~~っ!!!! テミスの胸中を声にならない絶叫が響き渡り、その表層を見て取れるほどの焦りが覆い隠していく。
終わった……。今度こそ終わった……。まさか、こんな形で露見するとは……。
テミスは内心ではらはらと涙を流しながら、同時にここから即座に離脱する為に魔力を練り始める。
だが、練られた魔力が効力を発揮する前に。
「ククククッ……アッハッハッハッハッハ!!!! 顔真っ赤にしてなぁに言ってんだよ! ホレ、腰が抜けて立てねぇなら手ェ貸してやっから!」
爆笑と共に閃いたルードの手がテミスの身体を捕らえ、有無を言わさずその背へと担ぎ上げる。
「なっ……待て! 私はっ……!!」
「オイオイ暴れんな。お前さんの面子もあるだろうし、人目に付く前に降ろしてやるから……抜けた腰はすぐには治らんぞ?」
「っ~~~~!! くそッ!! 笑うな! そんな顔で笑うなぁっ!!!」
カラカラと笑いながら、ルードは来た道をゆっくりと歩き始める。そんなルードの背の上で、テミスは身を焦がすような羞恥と僅かな安堵に身を捩りながら、悲痛な叫びをあげたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




