276話 最強の新人
「ブラッド・ヴォルフの討伐……印は犬歯……で、良かったな?」
「え……えぇ、確かに。ブラッド・ヴォルフの牙15対、確認いたしました。任務達成です」
数日後。テミスの姿は人間領南方の町、トラキアにあった。
元はあのライゼルが治める土地だったらしいが、彼が白翼騎士団に入団してからは、その座は空位が続き、町ごとに独自の統治が根付きつつあるらしい。
そのおかげもあってか、人間の旅人であるテミスも、比較的簡単に町の中に潜り込む事ができた。
――だが。
「おいおい……リザードマンの討伐に続いて、今度はブラッド・ヴォルフの単独討伐かよ。バケモンだな……」
「あぁ……末恐ろしい新人が出てきたモンだ……。知ってるか? アイツ、ついこの間までEランクだったんだぞ?」
「は……? 待てよ。ブラッド・ヴォルフって最低受注資格Cランクからだろ? って事はアイツ、たったの数日で2つもランクを上げたって事か?」
「ノンノン……数日じゃねぇ。2日だ。いつも限度いっぱいに依頼を受けて、まとめて解決してくるんだと……」
「あ~……アレか。わかったぞ。騎士崩れとかその類だろ」
「さぁ……どうだかな……?」
酒場を兼ねているらしい冒険者ギルドのホールを、そんな話し声が木霊する。
アトリアの話では、冒険者を徴兵された冒険者ギルドは軒並み開店休業状態との事だったが、最前線では無いものの、前線に近いこの町では要望も多いのか、前任のライゼルが活動を認めていた事もあって、こうして堂々と軒を開けていた。
「フム……いい加減この町も潮時か……」
肌にこびり付く様な視線を感じながら、テミスはため息交じりに言葉を漏らした。
ファントに居た頃も、軍務や休日の合間を縫ってギルドの依頼を度々こなしてはいたのだが、いかんせんその絶対数が少ない。そのせいで一番最下位のFランクから、一つ上のEランクまでしか上げられていなかったギルドランクを上げるべく、ここ数日は奮戦していた訳なのだが……。
「阿呆か私は……目立ち過ぎだ……」
テミスは外套の襟を立てて視線を遮断すると、依頼状が所狭しと張られている板の前に立って依頼を見繕う。
テミスのギルドへの登録証は、この世界に来た日に登録したせいで、本名で登録されてしまっている。その為、身分を偽っている身の上としては、他の冒険者と組んで依頼に赴くのは好ましくは無い。
しかし、ギルドのランクを手っ取り早く上げるためには、パーティー受注推奨の高難易度依頼をこなすのが最効率だ。
よって、高難易度依頼を単独でこなし続けた結果、望まぬ名声が産まれてしまったのだ。
「フム……コレとコレ。あとはこの辺りか……」
乱雑に張られた依頼状の中でも、少し古いものを手に取りながらテミスはその内容を検めていく。
高難易度依頼の中には、魔族を討伐しろ。などといった内容のものも多々見受けられる。だが、その魔族が悪さを働いているのならまだしも、ただそこに居るだけで不安を駆り立てられる……なんて理由で的にかけられていては、依頼を受ける気すら起きない。
結局。そう言った類の依頼を弾くと、本当に凶悪な魔物の討伐になるのだが、鈍った腕を磨くには丁度良い塩梅だった。
「……確認を頼む」
「はい。Cランク・アンバータイガーの討伐。Cランク・サーベルスコーピオンの討伐。そして……Cランク・ダンシングスパイダーの討伐……ですか」
テミスは依頼状を手に持ったまま受付に戻りそれを差し出すと、内容を確認した受付嬢の顔が俄かに曇る。
「何か問題があったか? それをこなせばランクBに上がる条件は達成されるはずだが?」
「……はい。確かに、この3件の依頼が達成されれば、テミスさんはBランク冒険者となります。ですが……」
受付嬢はコクリと頷いた後も口籠ると、テミスから視線を逸らして言葉を続けた。
「どれもパーティ討伐推奨の危険指定魔獣です。勿論、テミスさんの実力を疑っている訳では無いのですが、ダンシングスパイダーの単独討伐だけは……お止めいたします」
「フム……? 理由を聞いても?」
「はい。ダンシングスパイダーの単独討伐は、ほぼ不可能だからです。重ねて失礼ながらお尋ねしますが、テミスさんはこの魔獣についての知識はお持ちですか?」
「いや……? 蜘蛛型の魔獣である事くらいは分かるが……」
苦虫をかみつぶしたような顔で問いかける受付嬢に、テミスは首を振って正直に答える。
今までの依頼でもそうだったが、今回の冒険者ギルド巡りは、口を閉ざしたあの少年の出身地を探すだけでなく、私の腕の錆落としも兼ねているのだ。戦場での戦いにおいて、相対する敵の情報を事前に知れる事など殆どない。剣戟の狭間で探り合い、その癖や戦法を見抜いていく事が重要なのだ。
ならば、討伐対象の魔獣の生態を事前に知ってしまっては意味が無い。
「……ダンシングスパイダーの討伐方法は一つです。防御を固めた前衛に注意を向けさせ、拘束させる。そして、動きを止めたダンシングスパイダーが捕食行動に移った所に総攻撃を叩き付けて倒すんです」
「確かに……その戦法は私一人では無理だな」
テミスが止める間もなく、受付嬢は魔獣の倒し方を語り聞かせていく。
しかし、その内容に素直に頷いたテミスは、不敵な笑みを湛えて言葉を添える。
「だが、それ以外の倒し方ができない訳でもあるまい。察するに、相当素早い魔獣なのだろうが――」
「――絶対に無理です!!!」
持論を述べかけた瞬間。悲鳴のような受付嬢の大声が響き渡り、ギルドホールが水を打ったように静まり返った。
「ダンシングスパイダーの通常移動速度は翼竜の飛翔速度と同等……それを捉える事は絶対に不可能なんです!! ですから……どうか、どうかお願いします! 冒険者ギルドとしては、貴女のような優秀な冒険者を失う事は看過できません!」
しかし受付嬢は、周囲の静けさにも構わず叫びを続けた。
そして、何事かと耳をそばだてた周囲の者達も、その叫びから話の内容を理解して薄ら笑みを浮かべる。
――駆け出しの自信家が死にに行くのを、必死で止めているだけか……。と。
瞬間。薄ら笑いを浮かべた冒険者たちは、各々の感想を述べはじめる。中には、比較的良心的な部類なのか、テミスの側までやって来て受付嬢の援護とばかりに、ダンシングスパイダーの危険性を説き始める輩も出てきた。
「……って訳だ。俺も何度がダンシングスパイダーは討伐したが、アンタも見りゃわかる。悪い事は言わねぇから、ソイツだけはパーティー組んで行きな。何なら、俺達が付き合ってやるからさ」
「……結構だ。それに、素早いと言っても翼竜程度だろう? 剣では無理でも――っ……!」
まるで駄々をこねる子供をあやすように。テミスの周りに集まった冒険者たちは口を揃えてなだめすかす。
しかし、テミスはその内容に覚えていた疑問を口走りかけた途端。自分達の間に存在する決定的な常識の違いに気が付いた。
――そうだ。魔族にとって魔法とは、飛んだり撃ったりを呪文一つでできる比較的敷居の低い技術だ。
だが、普通の人間にとって魔法とは、長い詠唱と絞り出した魔力を増幅させ、道具や儀式の手を借りて放つもの。一介の冒険者がそんな技術を持っているなど、はじめから計算に入っていないのだ。
「っ…………。そ、そうか……。皆がそこまで言うのなら、この魔獣の単独討伐は無理なのだろう。ならば別の――」
「――待ちな」
常識の差を自覚したテミスが、周囲の説得に折れた振りをして受注を取りやめようとした瞬間。野太い声がホールに響き、いつの間に姿を現していたのか、一人の大男がテミスの方へと歩み寄ってくる。
「面白ぇ新人が居ると聞いて顔を出して見りゃ、なるほど。なかなかどうして面白れぇじゃねぇか」
「……いやはや、誰かは知らんが恥ずかしい所を見られた。無知の代償を命で支払うよりはマシだったと言うべきか」
テミスの周囲に集まった冒険者がこぞって道を開け、大男はまるで相対するように正面に立ってテミスを見下ろした。
だが、その威圧感をものともせず、テミスは大男の身体に目を走らせて観察をする。この男が実力者なのは間違いない。引き締まった傷だらけの肉体に薄後れた外套、腰に差した太刀は微かに擦れ、歴戦の風格を醸し出している。
「嘘は要らんぜ。自信……あるんだろ? やってみろよ」
「っ――!」
「ルードさんっ!?」
静まり返ったホールに男の声が響くと、僅かなどよめきと同時に受付嬢が悲痛な声を上げる。
「心配すんな。俺が付いてってやる。……嬢ちゃんが喰われる前に、助けてやるからよ。安心して怖い思いして来いや。まぁ、その可愛い顔に牙くらいは食い込んじまうかもしれんがなぁ……」
「ホゥ……面白い」
男の言葉は、明らかな挑発だった。
ある意味では、生意気盛りの新人冒険者への教育とも言えるのだろう。
その身を以て不可能を思い知らせ、その恐怖を糧に成長させる。荒々しいながらも、効果的な教育法だ。
テミスとしても、ここまで言われた引き下がったのでは立つ瀬が無い。本来であれば意地でも引き下がるべきなのだろうが、胸に秘めたプライドがそれを許さなかった。
「ならば、ルードと言ったか……。少し付き合って貰おうじゃないか」
生暖かい視線と嘲笑の只中で、テミスは不敵に微笑みながらそう宣言したのだった。




