274話 怨嗟の鎖
「……なるほど。お前の話は分かった」
数十分後。少年の語る長い話を聞き終えると、テミスは憮然とした表情で腰を上げた。そして、肩越しに鉄格子の中の少年を見下ろすと、ぶっきらぼうに言葉を付け加える。
「お前の処遇については後日通達する。それまでせいぜい大人しくしておくんだな」
「なっ……! ふざけんな! 話したら出すって言っただろ!?」
「フン……そんな事、私は一言も口にしていない」
怒りの声を上げる少年を無視して、テミスは砕けた食器が散乱する床を踏みしめて勾留室を後にした。そしてその扉が閉じられるのを確認すると、即座に後ろを歩く男に湿っぽい視線を向けた。
「……マグヌス。いつまで泣いているんだ? お前は馬鹿か?」
「っ……! テ……テミス様ッ! それは幾らなんでもあんまり――」
「――容疑者の喋った情報を鵜呑みにするだけの奴なら間抜けで済んだのだがな。よもやその前で感涙にむせび泣くなど、馬鹿以外に形容する言葉を私は知らん」
「ぐっ……! ですが!」
「ああもう……うるさい。義境に厚いのは分かったから勝手にしてろ」
テミスは尚も食い下がろうとするマグヌスを適当にあしらうと、執務室へ向けて歩き出した。
確かに、少年の語った話が真実であるのならば、同情の余地はあるだろう。
曰く。あの少年の一族は、かつてそこそこに名を馳せた名家であったらしい。
彼の家があった地方では、その勇名……ディオンの名を聞いただけで敵は震えあがり、味方の兵は士気を上げたという。
だが、そんなディオン一族を統べた当時の当主は、ある時一つの大きな間違いを犯した。
戦が終わり、館に戻る際。戦場から逃れてきたのか、はたまた、どこかから流れ着いたのか。ボロボロに傷付いた魔族を見つけた当主は、あろうことかその魔族を館へと連れ帰り、手当てを施したのだ。
しかし、人間の領内で魔族を匿っておく生活など、長く続くはずも無い。
何処かから漏れた情報は騎士団へと伝えらえ、ディオン家は名家の座を追われる事となる。
当主や主だった一族は余す事無く処刑され、唯一まだ子供だった娘だけが生きる事を許され、流刑に処されたという。
そして、その哀れな女の末裔がかの少年だそうだ。
故に。少年は時代の流れた今なお迫害され続け、内通の疑いがある一族として監視下に置かれていたと言う。
「ククッ……禁断の果実は甘い……と言うからな」
テミスは少年の話を思い返すと、思わずクスリと笑みを漏らした。
何故。魔族が忌み嫌われるこの世界で。魔族を匿った一族として流刑されたディオンの血が今日まで絶える事無く続いているのか。
少年の話では、悪辣な環境の中にあっても、彼等はその誇りを忘れなかったと言う。
そして、その誇りに惹かれた、同じく誇り高き者と結ばれる事で、真なる誇りを守って来たそうだ。
「どうでもいい話だがな……面白い話ではあるが」
テミスにとって、少年の身の上話を延々と聞かされ続けるあの時間は、ただひたすらに苦痛でしかなかった。
せめてもの救いは、少年の話に出たディオンの当主のように。人間の中にもマトモな感性を持つ奴が存在していたのが確認できた程度か。
「…………」
テミスは足をピタリと止めると、窓から夜の帳が落ちた町を眺めて目を細めた。
その視線の先では、爆弾テロ未遂があった事など微塵も知らないファントの住人たちが、暖かな明かりの元で安全と平和を謳歌していた。
そんな、悲劇の歴史を持つディオン家の末裔であるあの少年が、この町を爆弾テロで吹き飛ばすなんて凶行に走った理由。
その理由は、酷く単純なものだった。
「こういう話は、何度聞いても胸糞が悪いな」
いつもの様に、迫害に怯える日々を送っていた少年を唆したのは、彼の一族を監視する任にあたっていた衛兵だった。
衛兵たちは細々と生きる彼等のねぐらを襲い、少年を一人連れ出すと、その耳元でこう囁いて爆弾を握らせたのだ。
お前達の一族が背負う汚名を晴らしたくば、あの堅牢で名高いファントを爆破してみせろ……と。
兵士達からすればただの憂さ晴らしを兼ねた、割のいいギャンブルに過ぎない。
成功すれば、人間領では危険視されているらしいファントに打撃を与えた功を得る事ができる。たとえ失敗したとしても、没落貴族の子供が一匹くたばるだけだ。
「連中らしいと言えば連中らしいやり方だが……さて、どうしたものかな……」
テミスはそう呟くと、頭を悩ませながら歩みを再開する。
真にあの少年を救いたいのならば、今なお迫害に苦しんでいるという彼の家族を救い出し、このファントに住まわせてやることだ。
だがそれをするには、魔族への深い憎しみで塗り潰されている少年の心を拭わなければならない。それに、彼が残してきた両親がそれを望むとも限らないし、そもそもまだ生かされているかもわからない。
「ハァ……面倒だ……本当に面倒だ……」
テミスはそう零しながら深いため息を吐くと、久々の残業に重くなる足を引き摺りながら、執務室の中へと入って行ったのだった。




