1話 殺された正義
世間の喧騒は遠く、うだるような熱気だけが自室を支配していた。俺はもう、何をやる気も起き無い。
「ははっ……」
乾いた笑いが、カサカサに干からびた唇から漏れ出る。俺はいったい、何のために生きているのだろう。ふと部屋の端に目をやると、散乱した新聞記事が嫌でも目に入ってきた。
そこにはデカデカとした文字で、まるで稀代の大悪人であるかのように、他でもない俺の名前が記されていた。
「俺は……間違っていない」
俺は新聞から無理やり視線を引き剥がすと、悔しさに歯を食いしばりながら呟きを漏らす。
間違ってはいない。だが、敗者だ。事実、俺は警察官という職を追われ、まさに大罪人であるかのように取り扱われている。
「ハッ……」
笑いと共に力が抜け、目線が自然とワンルームのロフトから垂らした縄に吸い寄せられる。もう、何度こうした事だろうか。
死ぬ気力さえ湧いてこない。そんな軟弱な考えが頭をよぎった時、ドンドンドンッ! と派手な音と共に、玄関ドアが揺れて声が響く。
「成田さん! 成田さん居るんでしょう? ちょっとだけお話をきかせてくださいよっ」
「チッ……」
死肉漁りのハゲタカ共がまたやって来た。
俺は無気力に一つだけ舌打ちを打つと同時に、心の奥底でくすぶっていた最後の何かが消え失せた気がした。
この世界ではきっと、こんな事は掃いて捨てるほどあった事なのだろう。愚直に正しさを追い求めた結果、大多数のエゴの為に悪人に祭り上げられる。それは見てみぬふりをしていただけで、なるほど……考えてみればよくある話だ。
「もう、いいか……」
俺は音も無く立ち上がると、結局、一度も役目を果たさなかった来客用の小さな椅子に足をかけた。そしてその上に乗ると、ロフト奥の手すりにしっかりと縛り付けた荒縄に首を通す。
「あ~あ……畜生」
ただ一言呟いて、椅子を蹴る。すると急激に縄が締まり、一気に俺の首を絞めあげた。
「グッ……アッ……コヒュッ――」
苦しい。鼻の奥が焼けこげるように痛み、潰れたカエルみたいな音が喉から出る。
ふざけるな。なんでこんなに苦しんで死ななきゃならないんだ。頭が熱い。反射的に縄を外そうと首を掻くも、首の肉をえぐるだけで縄を掴むことはできなかった。
「ゴッ……カッ……ッ…………」
やがて、永遠にも感じられた苦しみが意識と共にゆっくりと薄れていく。
――ああ、やっと終わった。
どこか他人行儀に、苦しみすら感じなくなった俺は静かに目を瞑った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「んっ……?」
薄れゆく意識を手放してから、どれほどの時間が経っただろうか。ふと、違和感に包まれて目を開く。
「なっ……」
一面の目を見張るような星空に、豪奢な装飾がなされた空の椅子。気が付けば俺は、その正面に設えられた粗末な椅子に腰掛けていた。
「馬鹿な、俺は確かにっ……」
「ええ、死にましたよ。あなたの望み通りに」
あの苦しみは夢だったのか? そもそも、ここはどこだ?
狼狽えて辺りを見渡していると、空であったはずの椅子から声が聞こえて振り返る。
「――っ!!?」
驚いた。それは、止まったはずの心臓が、再び動き出したかと錯覚するほどに。
「お……前はっ……?」
そして、引きつった喉をどうにかこじ開けて声をひねり出す。
俺が振り返った先……誰も居なかったはずの豪奢な椅子には、悲し気な笑みを浮かべた女性が座っていた。
「私は……そうね、あなた達の言葉で言うのなら、神……かしら?」
「……神」
淑やかな笑みを湛える女の言葉を復唱すると、緊張していた体から一気に力が抜けていく。ばかげた話だ。これも俺が死の間際に見ている幻想、妄想やその類の何かだろう。
「ナリタ・マサヨシさん。あなたは、何故……自ら命を絶ってしまったのですか?」
俺の妄想が口を開いた。全能の存在であるはずの神を名乗ったと言うのにこの女は、矮小な人間である俺の胸中を推し量る事もできないらしい。
「そんな事も解らないで、神を名乗るとはな……」
「ええ、我々の力足らずです……」
「えらく殊勝な事だ。神って言う奴は、もっと傲慢だと思っていたよ」
皮肉を叩きつけてやると目の前の自称神の女が、悲し気な笑みを浮かべる。
「ええ……確かにそういう方も居ますが、私はとても威張る気になんて……」
「絶望だよ」
「えっ……」
何故そんなに悲しく、遺憾に満ちた顔をするんだ。その表情をさせているのは、きっと俺なのだろう。そんな罪悪感に耐えられず、俺は脱線しかけていた話を元に戻した。
「正義の無いこの世界に、俺の居場所はない」
気だるげに、しかしきっぱりと。斬って捨てるように意思を口にする。
本心をぶちまけるのは少し気恥しい気もするがどうせ死んだんだ、過去の事なんてどうでもいい。
「別に、褒めてくれなんてガキのようなことは言わない……だが、何故俺が悪として裁かれねばならない!」
俺はただ……護っただけなのに。
胸の中の物を吐き出すうちに、溜まりに溜まったモノが噴き出し、涙が溢れてくる。
「俺は守ったんだ! あれしか方法は無かった!」
涙声で叫ぶと、あの時の映像が脳裏に浮かぶ。狭い新幹線で眼前に迫る血走った犯人の目、鈍く光る振り上げられた刃、泣き叫んで後ろから俺に縋る女――。
「撃つしかっ……無いだろっ!」
涙声でそう叫ぶと、俺は目の前の女に肯定を求めた。俺は間違っていない……渇望し続けたその言葉を求めて。
だが、そんな状況で犯人を撃ち殺した俺は、拳銃の適正使用を問う声や人権団体、いわゆる世間の声に非難され、本来そこで世間の間違いを正すはずの警察は俺を切り捨てた。
「……そんな世界に、用は無い」
「つまり……」
絞り出すようにそう締めくくると、今にも泣きそうな顔で、黙って俺の話を聞いていた女が口を開いた。
「あなたは、あの世界が、自分が生まれるべき世界ではなかったと?」
「ああそうだ。正しい事をした奴が泣きを見る世界……上っ面の正義がはびこる世界なんて――」
「あなたが求めるのは、真の正義。巨悪を打ち倒す正義のある世界」
俺の言葉尻を食って女が口を開くと、その体が不思議な光を放ち始める。俺はそんな光景に気圧されながらも、意思を示すためにぎこちなく頷いた。
「わかりました。どうやら、本当に私たちの不手際だったようです」
「はぁ?」
女がフッと、静かな笑みを湛えたと思ったら、綺麗な姿勢で頭を下げる。
不手際とは、一体どういうことなのだろうか。
「あなたが生まれるべきであった世界に、案内しましょう」
「ハッ……」
何たることか。特大の嘲笑と同時にため息が出る。つまりこの女は、俺が望んだ世界で生き直す権利をくれるらしい。
……確かにそういった話は大好きだったが、実際にこうして対面するといくら何でも流石に話が旨すぎる。自分の妄想とはいえ、なかなかどうして恥ずかしいものだ。
「ハハハッ……わかったわかった。転生後の世界で、勇者になるなり面白おかしく過ごせば良いんだろう?」
ひとしきり笑った後、俺は軽い調子で話を承諾した。
どうせ死ぬのだ。最期くらい、こんな美味しい展開に身を任せてもいいかもしれない。
「乗り気なようでよかった……では、細かい事を聞いていきますね」
「細かい事?」
終始暗い表情をしていた女の顔が、ここにきてやっと明るくなる。下世話な話だが、やはり美人は笑っている方が良いな。
「ええ。あなたが生まれ変わる世界では、強大な力を持った魔王と魔族が人間たちを脅かしている世界です。人間たちは力を合わせてこれに対抗しています」
「つまり、戦争をしていると……」
「はい。強大な力を持ち、強力な魔法を操る魔族たちに対して、人間はその知恵を結集して抗う……そんな闘争が永きにわたって続いているのです」
「……それで?」
苦笑いを浮かべながら俺は女神に先を促した。
ここまで来るともうお約束だ。この後は好みの能力なり、チートじみた力を選んで順風満帆に暮らしていくのだろう。もしも本当にそうなるならばそれもおもしろい。
「それで……とは?」
「正直、そんな世界で俺が役に立つとは思えん。せいぜい、剣を振るか銃を撃つくらいしか出来ないしな」
しかし、俺の予想に反して女神が首を傾げる。
ええい、まどろっこしい。こっちは最初から全部わかっているんだから、焦らさずさっさと出してもらいたいものだ。
「ああ、なるほど。よく勘違いをされている方が居るのですが……力や能力を選ぶことはできませんよ?」
「なん……」
告げられた事実に、足元がふらつく程の衝撃を受けた。阿呆か俺は……どうせ妄想するのなら、もっとやりようがあるだろう……。
「ですから、私の方ではせめてものお手伝いとして、望む容姿や性別、名前で転生させているのです」
俺は申し訳なさそうな顔で説明を続ける女神を無視して、思考を続ける。
いや待て、今この女神は選べないと言っただけで、能力自体が得られないとは言っていない。
「選べない……と言うだけで、何かしらの力は身に付くと?」
「はい。想いの力……というだけで、完全にランダムみたいですね。身体能力は高いですが……直近の方ですと、聖剣を生み出す力とか……」
「そこそこ、戦える力なんだな?」
「ええ、まぁ……」
コクリと頷いた女神を一瞥して納得する。
それだけ確認が取れれば十分だ。あとは、こちらで選択できる項目だが……ゲームのキャラクリみたいなもんか。
「その世界は、男女差別は存在するのか?」
「いいえ。全人類が一丸となって魔王に対抗しているので、そんな暇はないようですね。というよりも、女性の方が魔力制御が強い傾向にあるので、重用されています」
「フムン……」
なら、丁度いい。男と言う生き物の不便さは、生前に死ぬほど味わった。それにだ、これが万が一妄想ではなく本当ならば、色々と面白い事ができるだろう。
「承知しました。では……最後に名前ですが、今の成田正義という和名は一般的ではありません、悪目立ちしない為にも何か別の名前をお勧めしますが……」
「フム……そうだな。では、テミスと名乗ろう」
「えっ……」
そう告げると女神が顔を上げ、驚きに目を見開いている。何かまずかっただろうか?
「法と秩序を司る、秩序の女神の名だそうだ。俺が正義を成すためにその世界に降り立つのなら、これ以上ふさわしい名はないだろう?」
「え、ええ……では、テミスさんという事で承りました……では、少し待っていてください」
そう言うと女神は忽然と目の前の椅子から姿を消す。何やら書類のようなものを手に持っていた辺り、神様とやらもお役所仕事なのだろう。
だがしかし……なんだかんだ、ノリノリで設定してしまった。例えこれが末期の夢だとしても、こんなにワクワクできるのならば良いものだ。
「こんなにワクワクしたのは、いつぶりかな……」
無限の星空を見上げて、ひとりごちる。確か学生時代にやったゲームが、かなり細かく設定できていたな……。
「お待たせしました」
「ぅおぅっ!」
ぼんやりと夢想に沈んでいると、女神が音も無く表れて突然声をかけてくる。そのせいで飛び上がって驚いて変な声が出てしまった。ちょっと、いやかなり恥ずかしい。
「どうしましたか?」
「い、いや……綺麗な星空だと思って眺めていたからな……びっくりしただけだ」
まさか、昔にやったオンラインゲームの黒歴史を思い出して感傷に浸っていたなどと口が裂けても言える訳がない。
「ふふ、あの輝く光の一つ一つ全てが……世界なんですよ」
「へぇ……」
ふんわりとした笑みを浮かべた女神が、慈しむように頭上に広がる満天の星々を眺める。
星空を見て色々な思いを抱く者は居るだろうが、なかなかに夢のある意見だ。それこそ、世界に絶望して死んだ自分にとっては、まさに夢のような……。
「では、これより正義さん……いえ、テミスさんを産まれるべきだった世界へとお送りします」
「そうか……」
簡素な椅子から立ち上がって、胸の中の哀愁を誤魔化すように頭をかく。
夢ならそろそろ終わり時だ。久々に、けっこう頑張って設定とか考えたんだ、できれば本当であってほしい。
「なんだか、寂しそうですね?」
「そう見えるか?」
女神に返しながら、光を放ちながらゆっくりと薄くなっていく体を見て笑みを浮かべる。
「願わくば、次なる世界であなたに幸あらんことを……まずは、王都の近くにお送りしますので、そこの冒険者ギルドで登録を……」
視界が光に包まれていき、女神の声だけが聞こえる。それに、暖かい。死ぬ時と真逆の感覚。まるで、適温の湯船で揺られながらうたた寝しているかのようで。俺はその心地よさに身と心を任せた。
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