273話 犬と従者
「離せッ! こっち来んなッ!!」
ガシャアンッ!! と。派手な音が鳴り響き、鉄格子の隙間から食事と共に皿が飛び、地面に落ちて粉々に砕け散る。
バニサスが少年を牢へ連行した後、負傷したテミスが戻った時にはひと騒動起きたが、怒る一部の部下たちを宥めて透かし事なきを得た。
「やれやれ……まるで猛犬ですな……」
「全くだ」
独房の中で喚き散らす少年を眺めながら、マグヌスは軽く息を吐いて傍らに並ぶテミスに笑みを零す。
ちなみに、このマグヌスは腹を刺されたテミスを見て気炎を上げるどころか、全てを見抜いたかのような笑みを浮かべて、『何故、お避けにならなかったのですか?』とのたまったクチだ。
「ハァ……堅物だったころのお前が懐かしいよ……」
「……何か?」
「いいや? 独り言だ」
テミスはニヤリと頬を歪めたマグヌスに微笑むと、彼女もまた笑顔を零してマグヌスから視線を外す。
確かに、以前のマグヌスは懐かしく思う。前のコイツなら、軍団の面子だ武人の誇りだと喚いて、即刻この子供を処刑しようとするのだろう。そしてその判断は恐らく、軍団長副官としては正しいし、上官の命令に忠実で、堅物であるのは兵士として正しいのだろう。
だがそれでも。テミスにとっては、こうして嫌味や皮肉を投げ付けながらも、自分の真意を汲み取ってくれる今のマグヌスの方が心地よかった。
「さて……と」
「テミス様……?」
「そろそろ、投げる物も無いだろうさ」
食器の砕け散る音が鉄格子を叩く音へと変化したのを見計らうと、テミスは破顔して少年の独房を顎で示す。
すると、その意を察したのか、コクリと頷いたマグヌスはテミスの三歩後ろに控えて後に続いた。
「少年。随分と元気だな?」
「っ――!? お前っ……! 今すぐ出せっ!! 卑怯者!」
バキリ。と。テミスは軍靴で割れた皿を踏み砕きながら、少年の独房へと歩み寄って声をかける。しかし、少年はその顔を見るなり一等激しく拳を鉄格子に叩き付け、罵詈雑言を吐き散らした。
「知ってんだぞ! お前は俺を殺せなかった!! 部下に怒られてた無能のクセに!」
「ッ――!」
「――止せマグヌス。餓鬼の戯言だ」
叩き付けられ続ける罵詈雑言に耐えかねたマグヌスが怒気を上げると、テミスは即座にその目の前へと掌を翳して静かに諫める。
だが部下の手前、こうも好き勝手に言わせていては立つ瀬が無いのも確かだ。
「ああ。そうだな。奴には救われたよ」
「っ――!?」
突如。頬を歪めて頷いたテミスに、少年がビクリとその身を竦ませた。その見開かれた視線の先。歪んだ笑みを湛えたテミスの身体からは、傍らに控えるマグヌスさえも肌が粟立つほどに静謐な殺気が漏れ出ていた。
「奴に止められなければ、危うくお前を殺してしまう所だった」
「っ……! だ……だったら……何の用だよ……? 俺を殺しに来た訳じゃないん……だろ?」
テミスの言葉に少年は後ずさりをして鉄格子から離れると、まるで確かめるかのように問いかける。その表情は既に恐怖に固まっており、言葉の上こそ強がってはいるものの、完全にテミスの気迫に呑まれているのは明白だった。
「フフ……どうかな? 奴の意図はどうあれ、私はただ保留しただけなのでな。お前次第という訳だ」
「っ……。な、なんだよ? 言っとくけど、俺は何にも知らないぞ?」
「ククク……。私も、お前のような鉄砲玉から、有益な情報が聞けるなどと期待しちゃいないさ」
テミスは少年が後ずさった分だけ牢へと歩み寄り、鉄格子もたれ掛って中を覗き込むような格好で言葉を続けた。
「話すのはお前の事だ。少年。お前の名や出自。そして、何故この町を襲撃しようとしたのか……ま、何でも良い。だが、話せば話すだけお前が生き延びる確率が高くなるとだけ言っておこう」
「っ……! 何で……俺の事なんて……!!」
瞬間。恐怖に竦んでいた少年の表情が憮然としたものへと変わり、テミスの目から逃げるように牢の端へと視線を逸らす。
「まぁ……? 話すも話さないもお前の自由なのだがな?」
「っ――!? テミス様!?」
その態度にテミスは更に笑みを釣り上げると、腰の剣帯を外して剣ごとマグヌスへと放り投げる。そして、驚きの声を上げるマグヌスを無視して服をたくし上げ、いまだに血が滲む包帯の巻かれた腹を、少年の目の前へと晒して見せる。
「っ……なんだよ!?」
「こちらも、この傷の借りがあるのでな……こちらの要求を聞けんと言うのなら、相応の利子をつけて返させて貰う事になる」
「お前ッ……くそっ……卑怯だぞっ!!」
「ああ。卑怯だとも。なにせ私は魔王軍だからな?」
少年は突如として晒された細い腹にチラチラと視線を向けながら、そっぽを向いて叫びを上げる。己が容姿でさえ武器の一つでしかないテミスの前では、未だ無垢な年ごろの少年の心が、手玉に取られるのは時間の問題だった。
「クソッ……解ったよ……話せばいいんだろ、話せば! お前等好みの面白くもねぇ話だよ!」
わずかの間、攻防を繰り広げた少年だったが、心底愉しんでいるテミスの表情を見て諦めを付けたのか、眉根を寄せて牢内のベッドに腰を掛けると、投げやりな口調で口を開いたのだった。




