270話 無慈悲なる断罪
駆け出した少年の背を追ってテミスが飛び出した時には既に、二人の間に空いた距離は約30メートルを越えていた。
しかし、テミスの肉体が出せる速力は、ただの人間を大きく上回る。
結果として、疾風の如き速さで追いかけるテミスと、先を駆ける少年の差はみるみるうちに詰まっていき、少年がファントの防壁に辿り着く前に、テミスの手が少年のボロボロの外套をむんずと掴んだ。
「待て。ロンヴァルディアの……人間共の差し金か?」
「っ~~~!!」
偽りの優しさをかなぐり捨て、テミスは氷のように冷徹な声で少年へと問いかける。
テミスにとって、ファントへ危害を加えるのならば、それが例えどんな姿をしていようと敵であることに変わりは無い。
「答えろ。その手に抱えた爆弾で、この町をどうするつもりだ?」
「っ……! う……うるさいっ!!」
「ムッ――!?」
しかし、テミスの問いに少年は一喝すると、自らの身を包んでいた外套を脱ぎ捨てて逃走を図る。
だが、その身が自由になったのも一瞬の事。テミスは、まるで脱皮でもするかのように脱がれた外套を即座に捨てると、力任せにその背を突き飛ばして地面に叩き伏せる。
「ぎゃっ……くっ……! 離せよ! 姉ちゃんには関係ないだろ!?」
テミスに地面へと押し倒された少年の手から爆弾が離れ、数歩先の地面へと転がり落ちる。しかし、それでも少年は諦めようとせず、じたばたと暴れながら組み伏せられたテミスの下で抵抗を続けていた。
「まさかとは思ったが……こんな子供までも刺客に使うとはな……」
「っ……!? なんだよ!? 冒険者なんだろ? 別の町に行けばいいじゃん! 見逃してくれよ!」
氷のように冷たい表情を浮かべたテミスがぼそりと呟くと、その気迫に気圧された少年は一瞬だけビクリと身を竦ませた後、喚き散らすような口調で叫び始める。
同時に、滅茶苦茶に振り回す手足が時々、テミスの身体を捉えていた。
「純粋で無垢……嘘や謀略の中で生きる身としては、少しばかり眩しくもあるな」
「何言ってんだよ! 放してくれよ! 俺が魔王の町を吹き飛ばして、皆に認めさせてやるんだ!!」
命乞いのように喚く少年の言葉を聞いた瞬間。テミスは剃刀のようにその目を細めると、ギリギリと少年を押さえつける手に力を籠める。
「フン……子供のままごとにしてはやり過ぎだな。そら……今度は腕でも千切って逃げ出してみるか?」
「痛ッ……! やめ……! 痛ぇよ! やめろよ!」
少年が投げ出した爆弾にチラリと目を向けながら、テミスは頬を歪めて少年へと問いかける。
しかし、少年は痛みを叫びながら身を捩って抵抗を続けるだけで、テミスの拘束から逃れる事はできなかった。
――全く。楽しい気分が台無しだ。
暴れる少年を押さえつけながら、テミスは内心で愚痴を零した。
せっかく、最近は平和が戻って来たと思ったのに。よりにもよって、楽しみの前に処理しなければならない仕事が、こんな胸糞の悪いものだとは……。
だが、これも軍団長としての……ファントを預かる者としての責務。気分が悪いからといって、職務を放棄する事などあり得ない。
ならば、早急にケリをつけるとしよう。
「…………」
「だから痛いって!! さっきから何だよ!? 黙り込んでさぁっ!!」
「……悪かったな」
心を決めると、テミスは暴れ回る少年に言葉を返しながら、ゆっくりと立ち上がってその体を解き放った。
「ったく!! 何だってんだよ!!」
そして、少年が一歩。手放した爆弾へと足を踏み出した時だった。
――シャリンッ! と。甲高い金属音が鳴り響き、少年の足がその場に凍り付く。
金属同士が擦れ合う独特の音。それは、この世界で暮らす者であれば子供でも知っている、抜刀音だった。
「悪いな。よもや、お前のような子供が町を狙う刺客だとは……」
「何――」
「――改めて、名乗ろうか。私はテミス。魔王軍第十三軍団長・テミスだ」
「えっ……?」
凍り付いた少年の言葉を遮ってテミスが名乗りを上げると、まだあどけなさの残る、少年の高めの声が疑問符を発した。
そして、少年は恐怖に凍り付いた体をゆっくりと反転させると、抜刀して不敵に微笑むテミスと正面から向かい合う。
「ひっ――」
刹那。脳は理解をしていなくとも、少年の本能が恐怖を理解した。
膝が笑い砕けてその場で尻もちをつき、みるみるうちにその目に涙が溜まっていく。そのガクガクと恐怖に怯える震えに合わせるように、その喉からは悲鳴とも嗚咽ともつかない音が、途切れ途切れに漏れ出ている。
「どうした? 名誉が欲しいのだろう? そこの爆薬に駆け寄って、火でもつけてみたらどうだ?」
ジャリッ……。と。テミスはわざと足音を立てて一歩。少年へと詰め寄った。
少女の姿とはいえ、軍団長の肩書を名乗った女が、不敵な笑みを浮かべたまま、抜刀して近付いて来る。
その威圧感は、子供どころか並の大人であっても、発狂して逃げ出しても可笑しくは無い程のものだった。
「っ――! く……来るなっ!!!!」
「っ……!?」
しかし。少年は怯え竦みながらも逃げ出さず、懐に隠し持っていた短いナイフをテミスへ向けて投げ付けた。
それはテミスにとって、躱すには容易すぎる一撃。不意を突いたとしても、弾くか躱すかの選択をできる程に温い攻撃だった。
「ぐっ……!」
だが、あえてテミスはその刃を躱さず、自らの肉体でその刃を受け止めた。
鋭い痛みと共に、放られた刃がテミスの腹に浅く突き立ち、その身を包む冒険者風の軽装に、じわりと赤黒いシミが広がってゆく。
「ククッ……最期の瞬間まで足掻くその意気や良し。その誇りを胸に……死んで逝け」
「っ~~~!!!!」
皮肉気に言い放たれた言葉と共に、鈍く輝く刃が高々と振り上げられる。
少年はその光景を眺めた直後、逃れ得ぬ絶望を噛み締めながら固く目を瞑ったのだった。




