266話 忠臣たちの想い
時は少しだけ遡り、フリーディアとテミスが駐屯詰所の執務室で報告書を製作し終えた頃。
営業を開始したマーサの宿屋では、彼女たちの副官たちが一つのテーブルで顔を突きつけていた。
「にしても、珍しいわね。この面子が面を突き合わせて共に食事を摂ろうとしているなんて……。一昔前なら考えられなかった事だわ」
「確かに、幾度と無く戦場で相見えた仲だ……我々とて、禍根がない訳では無い」
「それを言うなら俺等だってそうだ。何人の仲間がお前等に殺られてると思っているんだ?」
オーダーを済ませ、料理が運ばれてくるまでの僅かな時間。開店を待ちわびていた客が次々と押し寄せる店内で、ミュルクとマグヌスが睨み合う。
穏やかな空気の中で、彼等の座る一角だけが俄かに緊張感に包まれ始めた。
「止さないか。幾多の遺恨禍根を乗り越え、ようやくこうして平和を掴む事ができたのだ。我々の手でそれを壊すような言動は避けるべきだと思うが?」
「フム……一理あるな。尤も、私はテミス様の意志に賛同しているだけだ。あの方の正義がヒトを不要だと判断したならば、刃を向けることに躊躇いは無いが……」
「へっ! こっちだってフリーディア様の願いが人魔の平和じゃなけりゃ、お前らと肩を並べるなんざ願い下げだ!」
「ま、アタシはそ~いうの、どうでもイイんだけどぉ……」
ミュルクとマグヌスが反目し、その傍らでサキュドがマイペースに伸びをする。そんな彼等を何とか場を丸く収め、纏めているのがカルヴァスだった。
「ハァ……私がこう言うのも何だが、君達は少し自分の立場というものを弁えた方が良い……。我等が冗談でも刃を交えれば、我等の主の望んだ平和がたちどころに崩れ去る可能性もあるんだぞ?」
カルヴァスはキリキリと痛む腹を押さえながら、目の前の三人に向けて忠告をする。
今この瞬間に訪れている平和な時間は、いわば傷口にできかけた瘡蓋のようなものだ。それは薄氷のように脆く、簡単に崩れ去ってしまうだろう。
だからこそ、たとえ手を繋ぐ相手が憎かろうと、不用意な衝突は避けるべきだというのに……。
「アンタは難しく考え過ぎなのよ。だ・か・ら、こうして好きでもない面を突き合わせて、食事にしようって言ってんでしょ? 今この奇跡の様な食卓が、アンタ等の所の姫様と、アタシ等の軍団長の気紛れで成り立ってるなんて、この席に座る誰もが今更言わなくたってわかってるっての」
一人気を揉むカルヴァスを、半目で睨み付けながらサキュドがそう言い放つ。
正直に言うならば、サキュドにとって今の平和は退屈だ。戦争に駆り出され、雑魚共の相手をするのも腹立たしいが、こうしてただ何もない時間を過ごすのはもっと暇なのだ。
だが、あのテミスについて行けば、強敵と戦う事ができる。
事実として、彼女はこの短期間で人間軍最強と言われる白翼騎士団と相まみえ、数々の冒険者将校を相手取ってきた。その傍らに随伴するこの数か月は、サキュドにとって輝かしい程に愉しい日々だった。
ならば、そのテミスが平和を望むのならば。ひと時の退屈を呑み下す事など容易い事だ。
「お待たせしました! 今日のおすすめ定食……メインは、ワイルドバイソンのソテーですっ!」
「おっ! 来た来た。ホラ、小難しい事考えてるくらいなら、美味しいご飯でも食べてた方が百倍良いわよ!」
控えめな声と共にアリーシャが山盛りのトレーを配膳すると、サキュドは明るい声を上げて手を叩いた。すると、それまで漂っていた緊張感が薄らいでいき、周囲と変わらぬ平和な空気と入れ替わっていった。
「フム……確かにそれもそうか。ならばせめて……この平和が長く続くよう、尽力するとしよう」
「そーよ。それで良いと思うわ。ホラ……」
「ンッ……?」
カルヴァスの返答にサキュドはニンマリと頬を歪めて笑みを作ると、店の入り口を顎で指して視線を逸らす。
その視線に釣られ、カルヴァスやミュルク、そしてマグヌスが彼女の視線を追った。すると、ちょうど店の戸が開き、二人の少女が店内へと姿を現した。
店の戸を押し開け、傍らの少女を招き入れるかのように体を捌いた銀髪の少女は、恭しく一礼をしてみせる。
「そういう事でしたら歓迎しますよ……お客様?」
「ふふっ……えぇ、よろしくね」
そして、その礼に応えるように笑いながら、差し込む夕日にその黄金の髪を輝かせた少女が戸を潜って言葉を交わす。
少女たちのその顔は、何よりもこの平和を体現しているかのような、輝かしい笑みに包まれていたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




