265話 夕暮れの帰り道
「お陰様で助かったわテミス。これでしばらくの間、骨休めができるというものよ」
夕日が照らし出す騒がしい雑踏の中で、フリーディアが嬉しそうに声を上げた。
その懐には、つい先ほどまでテミスと二人で書き上げた、偵察報告書が収められている。
「だが……良いのか? こう言っちゃ何だが、でっちあげにも程があるぞ?」
「フフッ、良いのよ。やり過ぎくらいでないと、お偉方に二の足を踏ませるなんてできないわ」
「はぁ……いや、お前が良いのなら良いんだが……」
呆れ顔で問いかけたテミスに、フリーディアは満面の笑みを浮かべて答えを返す。
平和を願っているとはいえ、この女には愛国心というものが無いのだろうか? ……いや、無いのだろうな。
テミスは心の中で自問し、即座に答えを導き出す。
人間と魔族に対して平等であり、誰も傷付く事の無い平和のみを愛すという事は即ち、自国の勝利よりも平和の停滞を望むという事である。ならばその信念において、フリーディアが自国を騙すのは、根本的解決には至らないものの理解できない行動ではない。
「クク……それにしても我ながら傑作だよ。町の防衛を専門とする警備兵一万五千が常駐し、更に予備戦力として自警団が二万。加えて主戦力の第十三軍団が休み無く防備を固めているなど。絵空事にも程がある」
テミスは薄く笑いを零すと、思い出したかのように自らが設定したこの町の防衛網を嘲笑する。
もともと、この町の内情をフリーディアに明かす気は毛頭ない。十三軍団の全軍が防衛にあたっているなど、出鱈目も良い所だ。しかし、フリーディアの希望によって盛りに盛られた結果。ファントは魔王軍でいう所の軍団23個分に匹敵する警備兵が常駐し、その裏には軍団40個分の自警団が控える一大軍事町へとその姿を変えていた。
確かに、人間達の数で圧す軍事戦略思考を脅かすには、これ程に明確な脅威たり得る必要があるのは認めるが、何にしろ現実を知る者としてはその乖離具合に失笑を零す事しかできない。
「そうかしら? あながち、絵空事とも言えないと思うけれど……」
「何を言っているんだ? こうして町の中まで入っているのだ、流石にある程度はわかっているものだと思っていたが……」
「あ、ううん。そうじゃなくて」
フリーディアの零した言葉に、テミスは呆れ顔を驚愕に変えて言葉を返す。そもそも、この町の大きさではそんな人数を兵站に割ける訳が無いのは自明の理だ。全住人が兵站に回る町など、町として機能する訳が無い。
しかし、フリーディアはテミスの言葉に首を振ると、テミスを振り返って口を開いた。
「貴女の軍団が、休み無く町を守っているって話。彼等の士気なら、あり得ると思うのだけれど?」
「ハァ……フリーディア。敵とはいえ休戦中のよしみだ。一つだけ忠告をしておいてやる」
その目を見ながら、テミスは心底大きなため息を吐くと、湧き上がる巨大な呆れを前面に押し出して言葉を続けた。
「兵士とて人間……いや、お前を相手に説明するのであれば、ヒトと言った方が良いか……。まぁ何にせよ、対価を得るために兵士と云う職に就いているに過ぎんのだ。故に、いくら志が高かろうが、無休で働かせるなど言語道断。むしろ、危険極まる戦場へ出る身なのだ、通常の業務は極力減らすべきだ」
「そういうものかしら? 戦争をしているのだもの、全霊を捧げる事こそ騎士の務めだと思うけれど」
「見解の相違だな」
フリーディアが反論すると、テミスはそれをバッサリと斬って捨てた。
忘れていた。この手の人間には、生きがいや楽しみなどという道徳を説いても意味が無いのだった。
仕事が恋人。それこそ、狂信的なまでに自らの志と職責を混同した奴には、戦場へ赴く苦痛など理解できるはずも無い。
と。テミスが内心で見切りをつけた瞬間。フリーディアの顔が悪戯っぽい笑みへと変わり、テミスの瞳を覗き込んだ。
「ええ。以前の私なら、こう答えたのでしょうね。力無き人々の盾となって戦い、魔族を等しく悪だと断じていた頃の私なら……。でも、お偉方の目にはそう映るはずよ?」
「フン……やけに機嫌が良いな?」
「そりゃもう。久々のまとまった休暇だもの」
テミスが鼻を鳴らすと、フリーディアは跳ねるようにクルリと身を翻して笑顔を零す。
なるほど。年中無休で戦地に駆り出されている奴が言うのだ、その狂信ぶりが現実味を帯びているのも納得だ。よほど、白翼騎士団の労働環境は劣悪なのだろう。
「じゃあ、テミス?」
「……ン?」
ロンヴァルディアでフリーディアに声をかけられた時、二つ返事でついて行かなくて良かった……。などとテミスが密かに胸を撫で下ろしていると、その隣へ落ち着いたフリーディアが相も変わらない満面の笑みで名前を呼ぶ。テミスもまた、気兼ねなくそれに応じ、僅かに顔をフリーディアへと傾けた。
「今日からざっと十日間。マーサさんの宿屋で部屋を借りたいのだけれど?」
「やれやれ……」
フリーディアの問いにテミスは無言で足を速め、向かっていた目的地の建物へと駆け寄る。そして、『OPEN』の木札が掛けられたそのドアを開いてフリーディアを振り返り、笑顔を浮かべて口を開いた。
「そういう事でしたら歓迎しますよ……お客様?」
「ふふっ……えぇ、よろしくね」
何処か芝居がかったその対応に、フリーディアは心底楽しそうな笑みを浮かべると、テミスの招きに従ってマーサの宿へと入って行く。そんなやり取りを交わす二人の顔には、まるで十年来の友人と笑い合っているかのような笑みで満たされていたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




