264話 強かなる友
有り余るテミスの退屈に終止符を打ったのは、執務室を訪ねた一人の来客だった。
その者はその傍らに案内すら付けず、更には、執務室の戸を開ける際に確認すら取らなかった。
「テミス? 居るかしら?」
戸を僅かに開き、その隙間から頭を突き出すと、侵入者は誰かを探すように執務室の中を見渡した。そして、テミスの姿を見止めると、満面の笑みを浮かべて言葉を続ける。
「やっぱり、貴女はここなのね」
「……フリーディア。お前はなぁ……」
しかしその明るく弾けるような笑顔に対して、テミスは心底呆れかえった顔で言葉を漏らした。
「ここはお前にとって……白翼騎士団の団長にとっては敵地だろう……」
「そうね。でも、今の私はただのフリーディア。一介の冒険者よ?」
「そもそも、一介の冒険者が立ち入って良い場所でもないのだがな」
「そうなの? 警備兵の人も快く通してくれたけれど」
「あいつら……」
フリーディアと言葉を交わしながら、テミスは痛み始めた頭を抱えて机へと崩れ落ちる。
万が一。フリーディアが敵として私を討つために、自らの身分を偽って侵入して来ていたらどうするつもりなのだ……。
「そんな事よりも、見たところそうとう暇を持て余して居るみたいね?」
「……私としては、『そんな事』で片付けて良いほど軽い問題ではない気がするのだが……」
フリーディアは力無く抗議するテミスの声を黙殺すると、執務室の端に転がっていた紙束を拾い上げて、その中身に目を走らせる。
「あっ! おい!」
「フフッ。この部屋を見ればわかるわよ。戦記なんて書く様な年でも無いでしょうに」
「っ……! うるさいな。私はお前達と違って優秀だから、仕事が早く片付きすぎてしまうんだよ」
「それで、暇を持て余すあまり、戦記を書いている……と」
赤面するテミスに、フリーディアは手元の紙束を弄んでみせると、そのまま執務机に近付いて笑いかける。
こういう類の話し相手は普段は願い下げなのだが、暇に殺されそうになっている今は、正直大歓迎だった。
「まぁ……そんな所だ。戦いが無いのは良い事だが、政務も無いといよいよ暇でな……」
「まったく……そんなに暇なら、その手腕を是非ともロンヴァルディアで振るって欲しいのだけれど?」
「止してくれ。今の私にとっては魅力的過ぎて心が動いてしまいそうだ」
軽口を交わし合いながら、テミスは机の引き出しから新たなティーセットを取り出すと、コーヒーを用意してフリーディアへと差し出した。
フリーディアがこの部屋まで来れてしまうのは問題だが、来てしまったものは仕方が無いだろう。その穴は後日埋めるとして、今は暇を潰す方が優先なのだ。
「あら。ありがとう。この椅子は使っても?」
「む……あぁ、構わん」
ティーカップから香る香ばしい香りに惹かれたのか、フリーディアは壁際の執務机からマグヌスの使っている椅子を指差して問いかける。そして、テミスが頷く野を確認した直後、椅子をテミスの机の前まで移動させて腰掛ける。
「ファント・ラズール戦線は膠着状態。今は斥候を放っての様子見が主よ」
「っ……! フリーディア。お前っ……?」
おもむろに語り出したフリーディアの言葉に、テミスは息を呑んでその横顔を見つめる。古今東西、軍と呼ばれる集団において、作戦情報の漏洩はこれ以上無い程の重罪だ。何故なら、漏洩した情報が敵方に渡ってしまえば、組織そのものを揺るがしかねない危機へと突き落とす為に他ならない。だというのに、それを知らぬはずの無いフリーディアが、わざわざ敵方である私にその情報を告げたのだ。
……欺瞞情報? ならばその狙いは? それとも、ただ出鱈目を言っているだけか?
テミスの脳内を様々な憶測が飛び交い、そして消えていく。
何をどう考えたところで、フリーディアが今私に情報を開示するメリットは一切思い当たらない。
「フフッ。意外と視野が狭いのね? テミス。平和を願う私にとって、この膠着は好ましい物……なら、同じく平和を願う同士の貴女にそれを告げても不思議では無いんじゃないかしら?」
「ハッ……よくもまぁ、そんな屁理屈が浮かぶものだ……」
「そうでも無いわよ?」
唇を歪めて虚勢を張るテミスに、フリーディアは柔らかく微笑み返しながら出されたコーヒーで唇を湿らせる。そして、音も無くカップを机に戻して言葉を続けた。
「前線の斥候部隊は我々白翼騎士団。そもそも争っていないのなら、コソコソ偵察なんてする必要は無いわ」
「ハハ……呆れた。ここまで堂々とした敵情視察が存在するとは……」
テミスが渇いた笑みを浮かべると、フリーディアは得意気に微笑んで懐から紙束を取り出して、テミスの執務机の上へと広げる。
「お、おい……?」
「防御は堅牢。膠着状態にありながらも、その警戒態勢は厳重極まる。攻め入るには相応の戦力が必要……って所かしら?」
困惑するテミスを捨て置いて、フリーディアは机の上に転がっていたペンを取り上げると、広げた紙の上にサラサラと文字を書き込んでいく。
「ねぇ、テミス。暇なら手伝ってくれないかしら? 私としては、時間をかけずに上層部が膠着を納得する程の偵察報告を作りたいのだけれど……?」
悪戯っぽく微笑んで、フリーディアは手を動かしながらテミスへと視線を走らせる。つまるところフリーディアは、自らの壮大なサボりに手を貸せと言っている訳だ。
「やれやれ……学校の宿題じゃないんだぞ……?」
しかし、呆れかえるような言葉とは裏腹に、テミスも楽し気な笑みを浮かべるとペンを握ったのだった。




