261話 研ぎ澄まされし歴戦の刃
数分後。
酒場であったらしい建物の扉が開き、神妙な顔をしたフリーディアがライゼルと共に姿を現した。そしてチラリと周囲を見渡して、重々しく口を開く。
「本当に……ここで良いの?」
「あぁ。お前にとっても私にとってもここは敵地だ。何処で話そうが変わるまい」
「っ……」
テミスがぶっきらぼうに言葉を返すと、フリーディアは小さく唇を噛んで表情を陰らせた。
それもその筈……。テミス達が今から語り合う話題は、戦後処理の話。普通であれば、領主の館などの機密性の高い場所で行われるものだ。だがしかし、それは勝者と敗者が存在する普通の戦いでの話。敵国同士が語らっているのならば、人払いに意味など無いだろう。強いて言うのであれば、話の出所が酒場のマスターか館の使用人か程度の差でしかない。
「それで……? そちら側の意見を聞こうか」
ピシリッ。と。テミスが水を向けた途端、酒場の中の空気が一変し、緊張感に包まれた。
ライゼルも、こうも率直に本題に斬り込まれると思っていなかったのか、驚きの表情でテミスの顔を見つめていた。
「……何。面倒臭い腹の探り合いをする気分ではないというだけだ。何分戦闘続きで私も疲れていてな……真摯な意見のすり合わせといこうじゃないか」
「そうね。その意見には同意だわ」
「っ――! フリーディア様っ……!」
テミスの提案にフリーディアが頷くと、それを咎めるようにライゼルが口を開く。その焦ったような反応に、テミスは密かにほくそ笑んだ。
やはり、今回の戦いの絵を描いていた奴としては、この交渉の場こそが最後の戦場。この交渉でいかに私達に譲歩させる事ができるかこそが、ライゼルにとって一番の山場だったのだろう。まぁ、こんな町を手に入れたところで、反発を抑え込む為に余分な戦力を割かれるだけ……せいぜい高値で恩を売りつつ、魔族の奴隷をこちらで請け負ってやればいいだろう。
だからこそ、奴自身が定めた戦場にライゼルを乗せてやらなければ良いだけの話だ。妙な企みを仕掛ける前に盤上から退場させるのだ。
その企みは成功し、テミスが主であるフリーディアを引き摺り出す事によって、ライゼルの出る幕は完全に失われていた。
あとは、お人好しのフリーディアをやり込めるだけの簡単な交渉……。
アストライア聖国というパイを切り分ける権利は、ほぼ私が掌握したようなものだ。
「私達の意見は、アストライア聖国はゼルファーとして、我々ロンヴァルディアの所領へと返還。同時に、サージルが行った暴虐に対する補償も請け負う。あなた達魔王軍の協力には感謝の意を示すと共に、これをきっかけにファント、ラズール両町との休戦協定を申し込みたいと考えているわ」
「なっ――!?」
直後。真摯な眼差しと共に放たれたフリーディアの言葉に、テミスは驚愕を隠せず絶句した。
フリーディアが言い出した提案は荒唐無稽も程がある。
言葉の上ではプラスもマイナスも併せ呑み、更には次なる戦いを阻止するための提案に見えるが、その言葉の本質は強欲そのものだった。
いわば、戦果という名のパイを全て寄こせと言うようなもの。
領地も譲らず、奴隷とされていた者達も渡さない。それを、感謝の意を示すなどという美麗字句と、新たな協定で覆い隠しただけの、あまりにも一方的な内容だ。
「っ……!」
全身を走り抜ける驚愕の中で、テミスは向き合ったフリーディアが、僅かに口角を歪めているのを目に留めた。そして、その笑みの意味を瞬時に理解する。
フリーディアは初めから、自らの要求を通す気など欠片も無いのだ。
「なる……ほど……」
「フフ……あまり私を舐めない事ね。これでも、昔から腹黒な大臣や貴族達とやり合ってきたのよ?」
「……らしいな。意外過ぎて言葉も出ないが」
不敵に微笑むフリーディアを前に、テミスは自らの動揺を押し殺して皮肉を返す。しかし、その皮肉は空しく響いただけで、当のフリーディアは余裕の笑みを浮かべたままテミスを見つめていた。
「とてもではないが……呑めた話ではないな」
「それは、何故? ゼルファーはもともと我々ロンヴァルディアの領地。サージルが奴隷として扱った人達のケアも含めて私達が請け負い、元通りとするのが筋ではないかしら?」
「冗談ではない。我々とてこうして軍を動かしている。抗戦するのだってタダでは無いのだ」
「それこそ、冗談が過ぎるんじゃないかしら? 敵国に軍費を求めるなんて、我々を傷付けるための資金を、我々自身が出す訳が無いでしょう」
「っ……!!」
フリーディアが淡々と言い放った言葉に、テミスは息を呑んで沈黙する。
交渉は既に一方的。まさか、あのお気楽なフリーディアが、ここまで外交能力に優れているとは……。だが、ここで全てを受け入れる訳にはいかない。こじつけでも何でもいい……何か綻びを見つけ出して切り崩さねばっ……。
「…………待て。お前は、サージルが行った暴虐に対する補償をすると言ったな?」
「ええ。彼が行った、前代未聞の行為は許されるものじゃないだから――」
「――ならば無論。この傷の補償もすると言うのだろうな?」
「それは……」
テミスが口火を切ると、余裕の笑みを浮かべていたフリーディアが一瞬だけ口籠る。
ここだ。この一点から切り崩していくしかない!
「それにだ。お前達の国はとてもじゃないが魔族が住み良い国とは言えまい? 心も体も傷ついた魔族の元・奴隷達を、安全にかつ平穏に癒せるとは思えん」
「……確かに、その通りね。彼等の事を考えるのであれば、魔族の皆さんはあなた達の元へ還した方が良いのかもしれない」
「だろう? それに、聞けば人間達も元々は魔王領で暮らしていた者達を、サージルが無理矢理連れてきた者達だそうじゃないか。しかも、このような仕打ちを受けては、人間達を……ロンヴァルディアを憎む者も居るだろう」
「なら、サージルに捕らえられた元・奴隷の方々は、彼等自身の自由意思で戻る先を選んでもらいましょう」
ここぞとばかりに斬り込んでいくテミスの提案を、フリーディアは次々と呑んで意見を纏めていく。同時に、テミスは何とか覆した状況に、密かに胸を撫で下ろしていた。
……何とか、これで及第点といった所だろう。奴隷を開放し、こちら側で保護する事ができれば、人間達に疑心を持つ彼等は、戦争においていい人材となり得る。
「ならば、それで行こうか」
「えぇ。決まり……ね。これ以降、互いに条件の変更は認めない……良いかしら?」
「あぁ……」
テミスはフリーディアの言葉に頷くと、大きく息を吐いて力んでいた肩の力を抜いた。まさか、フリーディアがここまでのやり手だとは思わなかったが、サージルの暴虐の尻拭いをする……なんて表現をしてくれたお陰で、首の皮が一枚で繋がった。
「フフ……なんだか、少しだけいい気分だわ」
「なに……?」
その様子を眺めながら、フリーディアは嬉しそうに表情を緩めると、柔らかに微笑んで言葉を続ける。
「何だか初めて、本当の意味で貴女に勝てた気がする」
「っ――!!」
その台詞は、まごう事無き勝利宣言だった。言葉を聞いた瞬間、テミスは全てを理解する。
もともと、フリーディアは元・奴隷の彼等を還すつもりだったのだ。その上でいかに損益を減らし、この奇妙な戦いを丸く収めるか……。その一点だけを見て、彼女はこの交渉に臨んでいたのだ。
「ハハ……流石に、完敗だと言わざるを得んな」
そう力なく呟くと、笑顔で胸を張るフリーディアに、テミスは素直に白旗を挙げるのだった。




