26話 心の在処
「ギルティア……殿? 何故、此方へ?」
テミスがフリーディアと別れてから数十分後、ファントの防衛部隊駐留所は凄まじい緊張感に包まれていた。
駐留所と言っても、ただ部隊が寝泊まりする宿舎や食堂、そして部隊長用の執務室があるくらいのものなのだが……。
「何……単純明快な理由だ。テミス、お前が街中で頑なにそのヘルムを外さないのと同じようにな」
「っ……」
「クッ……ハハハ! まさかたった一騎で冒険将校を討ち取った猛者が、斯様な理由で素顔を晒せぬとは!」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたギルティアが耐えかねたように笑い出すが、室内の緊張感は欠片も和らぐことが無かった。
現在この執務室には、一国ですら落とせる程の戦力が集っている。リョースにギルティアそしてマグヌスにサキュドだ。宙ぶらりんな立場の私を除いたとしても、一つの町に在るには戦力過多も甚だしい。
「……それで?」
ひとしきり笑い終えたギルティアが、テミスの後ろで直立するマグヌスとサキュドへ視線を向ける。
「はっ! 戦力、人格共に申し分ないかと! ですが……」
「同じく。先のご報告の通り、戦力や同族である人間に対する冷徹さは十二分かと」
二人が報告しているのは私の処遇を決める要素。いわば試験の結果のようなものだ。
しかし、口上こそ満点に近いが、その口調と表情は芳しくない。
「ま……そりゃそうだ」
内心で深いため息を吐きながら口の中で呟く。敵方の要注意戦力のボスに勧誘宣言などされたのだから疑って当然だろう。
「フム……その件は直接聞いてみない事には何も始まるまい」
何やら、楽し気な笑みを浮かべたギルティアが。こちらに視線を寄越すと口を開く。
「魔王軍としては、是非貴様に旗下に加わって貰いたい。冒険将校を単騎で倒し得るほどの戦力と実績……相応の地位は確約しよう」
「……っ」
やられた。テミスは内心で冷や汗をかきながら臍を噛む。マグヌス達の様子から、どうやってこの部屋を生きて出るかばかり考えていたが、この男は逆を突いてきたのだ。
傍らでため息をついているリョースを見るに、ギルティアは私がこの問いに首を縦に振らない事などは承知の上だろう。そのうえで、フリーディアとの関係を聞き出そうと言うのだ。
「何を悩む? お前にはその価値がある。私が直属を率いてここまで出向くほどの価値がな」
不敵な笑みを浮かべてからかうギルティアの目を、歯ぎしりしながら見返す。何か、何かこの男の余裕を崩してやる手段は無いのか……。
「っ……。フッ……」
悩む事数分、唐突に浮かんだ天啓に唇が緩む。確かに、魔王を前にこのような事を口にする狂気は最早、命知らずを通り越して面白いの部類に入るだろう。
「解った」
ニヤリと笑みを浮かべながら鷹揚に首を縦に振り、ギルティアに向けて指を三本立てて見せる。
「……何だ?」
「これは魔王軍へのスカウトだな? ならばそれを受けるのに幾つか条件を付けたい」
「なっ……」
今まで傍らで沈黙を守っていたリョースが驚きの声をあげる。
「面白い。言ってみろ」
「ギルティア様!?」
ギルティアが頷くと、部屋の緊張感が一気に戦闘のそれと同じくらいに張り詰めた。
「まず一つ。私が貴方に従うのは、私が正しいと思った時のみだ」
テミスは指を一本折りながら、虚勢の笑みを張り付けて、挑むように愉し気なギルティアの目を見つめ続ける。
「次に、行動の自由。正しいと請け負った任こそ果たすが、どのような形で果たすかは私が決める」
「ッ……テミス、いくら何でも貴様……不敬が過ぎるぞ!」
「よい」
二本目の指を折った所でリョースの怒りが爆発するが、ギルティアは愉し気な表情を崩さないままリョースを止める。
「最後に。私はこのファントに駐留する。ギルティア殿が、以上の条件を呑むのであれば先程のお話はお受けしましょう」
最後の指を折り、後悔の悲鳴をあげる心を諫める。愉し気に反応を玩具にされたのが気に食わなかったとは言え、我ながらとんでもない事をしでかしたものだ。
魔族にとって最上級の栄誉であろう、魔王自らが出向いてのスカウトにケチを付けたのだ。表情は変わるだろうが、怒りのソレだったら命は無いだろう。久々に馬鹿な事をしでかした……いっそ今から土下座でもするべきか?
「フッ……――――」
微かな息を皮切りに、執務室に漂っていた長く辛い沈黙がついにギルティアの手によって破られた。
「フハハハハハハハハハハッ! アハハハハハハハハッ! 面白い! 傑作だ!」
「ギ……ギルティア様?」
椅子の上で唐突に身をよじり、爆笑し始めた主をリョースが怒りを忘れて振り返る。
「こういう奴を待っていたのだ! まさか。まさかお前だとは思わなんだが……クハハハッ! 最高だ!」
「認めよう。恐らく間違ってはいないと思うが……確認してからだ」
ひとしきり笑った後、ギルティアは目じりに浮かんだ涙をぬぐいながら告げて来る。
「一つ目と二つ目は、おおかた先の問答に関する事だろう?」
「……ああ。私は貴方の正義には賛同できかねる」
「だが、賛同し得る部分はある……と?」
テミスはあえて敬語を外し、言葉の上でギルティアと対等な立場であることを主張しながら頷いた。
「そして……我が正義が悪だと……堕ちたと判断した場合は牙を剥く」
「なっ……」
「そうだ」
傍らで聞いている三人を置き去りにして、ギルティアとの問答が続いていく。ここまで来たらもうやけくそだ。要求が通るのならば通すまでだ。
「クククッ……ありがたいものだ。つまり今はまだ、我が道はお前の云う正義の側にあると言うのだな?」
「っ……ああ。あなたの治める町を見せられたら、悪などとはとても言えん」
ギルティアは満足げに喉を鳴らすと、おもむろに長い人差し指を立てて鼻に突き付けてくる。まさかとは思うけれど、今までのは全て演技で指から魔法でも出されて殺されるのか?
「最後の条件だが、これはお前の問題だ」
凍り付く背筋を知ってか知らずか、愉悦の笑みを浮かべたギルティアはそのまま指を立てて話を続けた。
「もともとこの町には、駐留している部隊が居たのだが……先の戦いで彼の冒険将校とやらに壊滅させられた。無論、編成し直して再配置する予定だったのだが……今回はその隙を突かれた」
若干苛立ちめいた雰囲気を醸し出しながら、ギルティアがゆっくりと部屋の中を歩き回る。
「結論から言う。お前の要求は全て呑もう。だが……」
ギルティアは執務室に設えられた窓から、未だに煙の収まらない町を眺めると窓を背にこちらを振り返って宣言した。
「駐留軍の軍団長の名を町の者に知らせぬ訳にはいかん。かといって、民に偽りを告げるなど以ての外だ」
「っ……。つまり……」
いつの間にか、ギルティアの浮かべる笑みが意地の悪いそれに戻っているのを見て全てを察する。つまりこの男は、この町で人間軍を虐殺せしめた黒鎧の騎士が私であると公表すると言っているのだ。
「ぐ……く……やはりお前は悪魔だ……」
「んん? 何か言ったか?」
テミスは歯噛みしながらこれ以上交渉の余地が無い事を悟る。普通に考えれば、交渉の成果としては大成功も良い所。形としては魔王軍の旗下だが、実情は魔王本人にさえ反旗を翻すことを許された、言わば唯一魔王と対等の存在。その席を勝ち得たのだ。
「……了承する」
断腸の思いで首を縦に振り、ギルティアの提案を受け入れる。交渉の代償。それは町娘であるテミスを完全に屠る事だ。
もう二度と、皆のあの笑顔を見る事ができないと思うと心が刻まれる気分だが、この道こそがこの暖かい町を護り、正義を成す最良の選択。例えあの温もりに触れられないとしても、遠くからその姿を見る事ができるのならば……。
「良い。ではこの場で――」
「お待ちください!」
満足気に頷いたギルティアの言葉を遮って、意を決したかのように、リョースが魔王の前へ躍り出て平伏した。




