247話 虚勢の闇
「……待っていたよ。テミス」
「っ……ハッ……」
幾人もの兵士を両断し駆け抜けた先で、サージルは地面に自らの大剣を突き立てて待ち構えていた。
テミスはその姿を見止めた瞬間。口元に笑みを張り付けて速力を落とす。
「私を待っていたとは不思議な話だな? お前の事だ、私を避けて逃げ回っているかと思っていたが……ようやく観念して出頭する気にでもなったか?」
そして、嘲笑と挑発を投げつけながら、サージルからおよの20メートルほどの距離を開けて立ち止まった。
ライゼルが姿を現したのには少々驚いたが、計画に変更は無い。ルギウスがライゼルを止め、防御重視の陣形を組んだこちらの軍勢が落とされる前にサージルを殺す。いたって単純であるが故に、策に溺れる心配の無い計画だ。
「前はお前を侮っていたが、今度はそうはいかない。全力でお前を殺す」
「――っ!?」
テミスの挑発を無視して、サージルが固い声でそう言い放つ。瞬間。テミスの視界がぐにゃりと曲がり、凄まじい倦怠感が襲い掛かってくる。
「ぅぐっ――っ……!」
ゴグリッ! と。テミスは歯を食いしばると、喉元まで一気にせり上がって来ていた熱い液体を飲み下した。
――やはり。そう来たか……!
脳味噌をシェイクされているかのような不快感の中で、テミスはニヤリと口角を吊り上げていた。ここまで、サージルの動きはテミスの想定通りだった。
サージルの能力は強化と弱化。タネが割れていれば、唯一存在していた、想定していた力より強力な一撃を叩き付ける緩急を以て隙を生み出すブラフも役には立たない。なればこそ、一番最初に全ての力を投入してくるのは自明の理だ。
「オイ……サージル」
「っ……! 何だ? 命乞いなら聞かないぞ」
能力によって与えられ続ける不快感を堪えながら、テミスは前方で剣を構えたサージルを睨み付けて口を開く。
「いいや。一応、確認だ」
「確認……だと?」
「あぁ。お前は女神の意思に従い、私に刃を向ける。そして、女神の教えの基に、平穏無事に暮らしている魔族をもその手にかける……と、言うのだな?」
「っ……? 何を今更……」
サージルが答えを口にした途端。テミスの唇が夜闇に浮かぶ三日月のように大きく歪められ、その華奢な体から放たれる威圧感が倍増した。
「なに。お前はまだ救いようが無い程愚かと言うだけで、明確な罪を犯した訳ではなかったからな」
ゆらり……。と。言葉と共に動くテミスの手が大剣を持ち上げ、その切っ先を垂直に地面へと向ける。
「だから……確認だ。いくら無辜の人々に手をかけていないとはいえ、これから悲劇を生み出しますと公言している奴を捨て置く訳には行くまい」
「――っ!?」
言い終えると同時に、テミスの片手に軽々と持ち上げられていた漆黒の大剣が、サクリと軽い音を立てて地面へと突き立てられた。刹那。ごぼごぼと粘着質な音を立てながら、テミスが剣を突き立てた地面から、墨汁のように真っ黒な闇が零れ出して彼女の周りを漂い始める。
「言質も取れた……ならば、平和に暮らす一般市民の為だ。テロリストは早急に……殺すとしよう」
「なっ――!?」
驚愕に息を呑んだサージルが、地面を転がって宣言と共に放たれた闇をすんでの所で回避する。
「馬鹿……なッ!?」
崩れた体勢を強化された異常な膂力で立て直し、サージルは闇の追撃を大剣で切り払った。そして、更なる追撃に備えてテミスへと視線を移す。しかし、当のテミスはその場から微動だにせず、ただサージルへと視線を向けただけだった。
「馬鹿な……お前の……お前の力は何だ!? 今の闇がお前の能力なのか……? ならば、お前は何故立てる!?」
サージルの狼狽した叫び声が響き渡り、テミスは頬に冷や汗を流しながら笑みを漏らす。
ああ。さぞ不思議だろう。不気味で仕方が無いだろう。よもや、神と信奉する者から賜った絶対の力を、ただこうして耐え受け止められるなど、想定してすら居まい。
「ク……ククッ……どうやらお前は、神とやらに大して期待されていなかったらしいな。ハズレの力を与えられただけで盲信するお前を、奴はどんな思いで見下ろしていたのやら」
薄く歪めた唇から、テミスは呪いのように言葉を並べていく。
それだけが、今できる精一杯のハッタリだった。冷や汗は今や脂汗に変わり、奴の能力は今も私の身体を蝕み続けている。だからこそ、わざわざ威力で劣る上に効果の不確かなこの力のみを使って戦闘をしているのだ。
その為には、奴に力の底を見せてはいけない。本当は、ただこうして立って居るだけで精一杯等と、欠片も思わせてはならない。
「そもそも、眼中になど無いかもしれんなぁ? 掛け捨ての犬が成果を出せば幸運……まるで淡い片想いを手玉に取られる哀れな男の様だ」
「このっ――言わせておけばッ!! 僕はッ! 女神様に命を救われたんだッッ!! 女神様に対する愚弄は――ッ!!」
テミスの挑発に激高し、サージルはその限界まで強化された脚力で地面を蹴り抜く。その常軌を逸した力は一瞬でその肉体を移動させ、テミスの身体を大剣の射程範囲へと収める事に成功する。そして、サージルが間近に寄られた事に、未だ反応すらしていないテミスの首を目掛けて大剣を薙いだ刹那。
「ガ……ハッ……?」
その胸の中心を、先ほどサージルが白の大剣を以て霧散させたはずの闇が刺し穿っていたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




