25話 黒き鋼と白き霞
「待ちなさい!!」
戦闘を避ける理由を失ったテミスが大剣の柄に手をかけた瞬間。凛とした大声が極限まで緊張していたその場の空気を支配した。
「剣を収めなさい」
「しかし!」
「騎士団長命令よ。総員納刀しなさい」
先ほどと似た雰囲気でミュルクが反論しかけるが、フリーディアが冷たい声でそれを制した。
「――ハッ!」
「…………~~~っ! はっ」
フリーディアの号令に従い、抜剣し、今にも斬りかからんばかりにいきり立っていた後ろの騎士達が納刀するのに遅れて数秒。目に見える葛藤の表情と共にミュルクがこれに従う。
「今回の敗北は、私達の到着を待てと言う命令を無視して先行したタケナカ卿に非があるわ」
「っ……ですが!」
「通信使の方が言うには、増援が我々だと告げた途端に慌てるように出撃準備を始めたとの事だったから、テミ……そちらの隊長さんの言う事も恐らくは本当なのでしょうね」
「馬鹿な! いくら冒険将校とはいえ、軍人として最低限の――」
先ほどまでとは打って変わって淡々と述べるフリーディアに、今度はミュルクを諫めた騎士が声をあげるが、フリーディアはそれを手で制する。
「私達は色々な戦地へと赴いた。少なくとも私は、そこで見た現実から目を逸らす気は無いわ」
「っ……」
そう言い放つと、フリーディアは軽い身のこなしで馬から飛び降りて、ゆっくりテミスの方へと歩み寄る。
「隊長!」
「止せ。私を斬る目的以外での抜刀は許さん」
視線すら向けず、テミスは静かな声でマグヌス達を諫めた。
あちらに話し合いの態度が見える以上、今度はこちらが部下を動かす訳にはいかない。
「今回の戦いは私達の負け。白翼騎士団もこのまま引き揚げるわ。だからせめて……この戦いで生き残ったこちらの兵達を引き渡してくれないかしら?」
同じ地面の上に立ち、フリーディアの綺麗な瞳が真っ直ぐにこちらを見つめて来る。これが彼女なりの最大の敬意なのだろう。
なればこそ、こちらも誠意をもって答えるべきだ。
「残念だが……それは無理な相談だ」
テミスは意図的に浮かべていた、溶けた蝋燭のように歪んだ笑みを引っ込めるてゆっくりと口を開いた。
「っ……何故?」
「捕虜など一人も居ないからな。ファントの町で略奪した兵士は一人残らず殺した……はずだ。そうだな?」
テミスがチラリと二人に目配せをすると、マグヌスが先に直立して討伐数を報告する。
「ハッ! 私が六十八名」
「アタシが百二十四」
「そして私が8人とそこの冒険将校に加えて、近衛の一団。……討ち漏らしはないはずだが?」
「っ……」
テミス達の言葉を聞いたフリーディアの顔がみるみるうちに青ざめ、馬上で待機する騎士たちの間にもざわめきが走る。
「そもそも、勝手に攻めて来て退いてやるから捕虜を出せだと? そんなものはただの征服者の戯言だ」
「なんでっ……! 何で皆殺しにッ――その強さがあれば無力化してとらえる方法なんていくらでもあるはずッ!」
「隊――」
思わずと言った雰囲気で、テミスの胸元につかみかかって来たフリーディアにマグヌスが反応しかけるが、力の流れに合わせて頭を後へ持って行き、半眼で睨みつけて動きを抑制する。
「生かす理由がない。それ以前に殺す理由ならば山ほどある」
「でもっ!」
怒りと悲しみに揺れるフリーディアの視線と感情の無いテミスの瞳が交差し、テミスの腕が組みつくフリーディアの手を払いのける。
「部下の身勝手な暴虐により相手に生じる虐殺の理由……そこから導き出される部下の無意味な損耗を防ぐのは、君たちの『上』仕事であり、私達の仕事ではないはずだが?」
「そうやって憎しみを憎しみで返しているから、この馬鹿げた戦争が終わらないのよ!」
テミスが皮肉気に返した台詞を、フリーディアの悲痛な叫びが掻き消す。
「知らんな。戦争など、もう私の知った事では無い」
「知らんって……ならあなたが殺した人たちは何の為に殺されたというのよ!」
「断罪だ。私は世話になった町が攻められたから、個人的感情で応戦したに過ぎんよ。民間人の野戦病院を襲撃しようとする輩など殺されて当然ではないか?」
「個人的感情? そんなもので――っ!」
ガチャガチャと鎧をぶつけながら迫ってくるフリーディアに、テミスは体ごと一歩二歩と後ろへ押しやられていく。これは……完全に怒りで訳が分からなくなっているな……。
「フリーディア。いっその事、私と共にファントへ来ないか?」
「なっ……は?」
テミスは感情的になっているフリーディアの文句を遮って、静かな声で告げる。マーサに頼んでフリーディアを雇ってもらい、私は代わりに他の仕事を探しても良い。
「この町は良い町だぞ? 人間も魔族も共に暮らし、笑い合っている」
「そんな……ことは……」
私の突拍子もない発言で正気に戻ったのか、フリーディアの言葉が尻すぼみに消えていく。
「私をこの町にって……そんなの魔王が許すはずが――」
「案外、歓迎しそうだが? なぁ、マグヌス」
「はっ? ま、まぁ……」
突然話を振られたマグヌスが苦笑いをこぼす。サキュドに至っては騎士団は警戒しているものの、表面上はかなり退屈そうに空を眺めている。
「っ……それでも私は行けない。良い人に出会ったのね、テミス」
「……ああ」
フリーディアは数歩後ろに下がるときっぱりと首を横に振り、あの日のような優しい微笑みを向けて来る。
「今回のファント攻めは私達の過ちだわ。お父様は……テミス、貴女が嫌う人達は認めないでしょうけれど」
「っ……」
そう言って悲し気に微笑んだフリーディアの表情が、テミスには何故かとても幼く見えた。
「それに……」
一瞬でその微笑みを消し、元の凛とした表情に戻るとフリーディアが強い語気で言葉を続ける。
「テミス、あなた達のしたこともやっぱり間違ってるわ。強い力には同時に責任が生じるのよ」
「ノブレス・オブリージュね……。私はかの聖女、ジャンヌの様に背中から貫かれる趣味はないのだがな」
光に満ちた瞳で言い放つフリーディアに脱力しながら呟くと、後方から微かに大量の馬を駆る音が聞えて来る。
「っ……こちらの援軍が来たようだな……行け」
「……解ったわ」
一瞬で厳しい表情に変わったフリーディアが、クルリとこちらに背を向けて馬の方へと踵を返す。
「隊長! 逃がすので?」
「ここで彼女たちと戦いになればファントに甚大な被害が出る。故に今更リョース達に追いつかれては困る」
「っ……御意」
「テミス。一つだけ訊かせて?」
マグヌスが下がると同時に、騎士団に撤退の号令をかけたフリーディアが問いかけて来る。
「貴女はまだ、私たち人間に失望して魔王軍に付いた訳じゃないのね?」
「ああ。少なくとも、今はこの町を護ることしか考えていない」
「っ……解ったわ。テミス、あなたのような人こそこちら側に居るべきだわ。私は必ずあなたを連れ帰って見せる」
それだけ言い残すと、フリーディアは素早く馬を反転させて駆けて行ってしまった。
「……やれやれ。好き放題言ってくれる」
着実に大きくなっていく行軍の音の主を出迎えるため、テミスは2つの怪訝な視線を受けながら一言呟くとヘルムを被り、フリーディア達に背を向けたのだった。




