246話 立ちはだかる者
兵士たちの怒号や剣戟、そして魔法弾が弾ける音が響き渡る中で、ライゼルとルギウスは静かに互いを見据えたまま、穏やかな笑みを浮かべて対峙していた。
一見すればまるで、彼等の周りの空間だけが周囲の戦場から切り離され、静謐を保っているかのようにも見える。
しかし、彼等の間に流れる緊張感を肌で接すれば、誰もがその真実を察する事だろう。
一見して穏やかに見えるこの空間は、この対峙する二人の身体から放たれる濃密な殺気と緊張感によって形成されており、周囲の兵達が本能的にその殺気の放たれる間合いを避けているのだという事を。
「フフ……追わなくて良いのかい? 君は、ずいぶんとテミスにご執心みたいだけれど」
そんな中。頬にうっすらと汗を浮かべたルギウスが軽口を叩く。
テミスの話では、このライゼルと言う男も間違いなく転生者。一刻も早く彼女の後を追いたいのはやまやまだ。しかし、かつてテミスほどの実力者が苦戦を強いられ、更には気を付けろとの忠告をも残して行くほどの相手……。重ねて、サージルによる能力強化が付与されていては、そうも容易く倒せる相手ではないだろう。
「その言葉、そのままお返ししますよ。魔族である貴方が、人間であるテミスをそこまで気にかけるとは意外でした」
「……それを言うのなら、君はフリーディア君を気にかけている……と、思っていたのだけれどね」
「貴方には、関係の無い事ですよ」
軽口が交わされる度に、二人の間に漂う緊張感は濃密さを増していき、背筋が凍る程の怖気を周囲に振りまき始める。
互いの狙いは時間稼ぎ。利害が一致しているからこそ成り立っている会話であり、それは薄氷のように脆い均衡だった。
ルギウスにとって、ライゼルは強敵だ。故に、テミスがサージルを斃し、少しでもその力が削げるまで、ぶつかり合いを避けたいのが本音だろう。加えて言うのであれば、自分がこの場にライゼルを釘付けにすることによって、テミスの前にサージルとライゼルの二人が立ちはだかる事を防ぐことができている。
また、ライゼルにとってもこの時間稼ぎは有効だった。
サージルは一度、満身創痍とはいえテミスに勝利している。ならば、ルギウスという新戦力をここで削ぎ落し、再びテミスとサージルが一対一で戦う場面を作ってやれば、勝てる公算は高くなる。それに、サージルのあの性格の事だ。仮に戦いに勝ったからと言って、即座に殺す事は無い。その証拠に、この戦いに赴く前から奴は、徹底的に嬲り、苦しめ、辱めてから殺す算段をしていた。
「……フゥ。茶番はやめにしませんか? ルギウスさん」
「何ッ……?」
空気が固着したかに思えるほどの緊張感の中で、先に行動を起こしたのはライゼルだった。
構えていたカードを下ろし、その体から発していた殺気をピタリと止める。今や、ただの好青年が無防備に微笑んでいるだけだ。
「僕たちの狙いは同じ……ならば、肩肘を張って争うより、どちらが勝つかを予想でもしながら、待つ方が有益では?」
「フッ……確かに、そうだね……でも」
ルギウスはライゼルの言葉に頷きながらも、その剣を下ろす事はしなかった。そして、ギラリと眼光鋭くライゼルを睨み付けると、毅然とした口調で言い放つ。
「我が同胞にして盟友足るテミスが戦っているんだ。自分だけ安穏とその結果を待つなんてあり得ない。さあ。武器を構えるんだ」
そう告げた途端。ルギウスの身体から魔力が迸り、ビリビリと周囲の景色を歪ませる。同時に、構えた剣の腹に片手を当てがったルギウスは、その刀身を舐めるように、魔力の籠った手をスライドさせる。
「魔王軍旗下第五軍団軍団長。ルギウス・アドル・シグフェル。推して参る!!」
気迫と共に放たれた名乗りと共に、ルギウスの魔力が付与された剣が薄く光を放って風を纏った。
「やれやれ……残念です」
相対するライゼルは、どこか呆れたように首を振ると、降ろしていたカードを掲げて嘆息する。左手に掲げられた皇帝のカードを盾にするかのように構え、その右手の指で挟んだカードは白く輝いて剣の形を成す。その恰好はまるで、片手剣と小楯を構える剣士のようだった。
「ハァッ!!」
ライゼルが受けの体制を取ったを確認したルギウスは、即座に真一文字に剣を振った。
「っ――!?」
直後。バヂバヂバヂィッ! と。ライゼルが展開していた防壁が、複数の斬撃を同時に受け止める。その瞬間。ライゼルはほんの一瞬だけ驚きの表情を浮かべると、右手に形成した貢献の切先をルギウスに向けて突きつけた。
「……?」
しかし。せいぜい片手剣程度の長さしかない光剣が届くはずも無く。切っ先を向けられたルギウスは面食らったかのように肩を竦める。その刹那。
「っ――」
ぽかんとした表情を浮かべたルギウスの額に、突如として長さを増した光剣が音も無く突き刺さる。
「むっ?」
だが今度は、ライゼルが困惑する番だった。
光剣が突き立ったはずのルギウスの姿がぐにゃりと歪み、まるで幻であったの如く掻き消えたのだ。
「なるほど……確かに、軍団長の名は伊達ではないらしい」
歪んだルギウスの姿が完全に霧散すると、ライゼルは面白そうに口元を緩めて守りの構えをとる。あれだけの大言壮語を吐いたのだ。よもや、逃げるなんて選択肢は無いだろう。
「っ――!!」
その期待に応えるように、突如として虚空から現れた白刃が、音も無くライゼルの首元へと疾駆する。しかしその斬撃は、凄まじい反射速度で状態を反らしたライゼルの頬を浅く傷つけただけに留まった。
「……やるじゃないか」
「君こそ」
「っ――!! ……」
ボソリ。と。ライゼルが姿の見えぬルギウスを称賛すると。そのすぐ背後からルギウスの声が囁くように返事をする。
しかし、ライゼルは済んでの所で即応しかけた体を制御すると、再び守りの構えを取って周囲へと気を配る。
こうして、派手な戦闘音が鳴り響く戦場の傍らで、静かながらも激しい戦いが幕を開けたのだった。




