241話 裏切り者の矜持
「なる……ほど……」
今度こそ水を打ったように静まり返った室内に、ライゼルの静かな声が響き渡る。
「フフ……貴方にとっても、悪い話ではないと思いますが」
「確かにそうだな」
追い打ちをかけるように言葉を重ねたサージルに、ライゼルはコクリと頷いてそれを肯定する。
白翼騎士団に所属すれど、ライゼルの目的はテミスへの復讐。己が仲間を無残な屍に変えたあの女がのさばって居るのを、赦す道理など存在しない。ならば、彼女と親しい上に、ライゼルの復讐を止めるフリーディアの居る白翼騎士団は、彼にとって大きな足枷な訳で……。
「どうやら、僕にも運が回って来たらしい」
ライゼルはニヤリと笑みを浮かべてサージルの身体を押し戻すと、自らもそのままサージルへと歩み寄ってフリーディア達を振り返る。
「ライゼル……貴方……」
「貴様ッ……!! まさか、フリーディア様を裏切ると言うのかッッ!!」
その態度に、フリーディアの隣に居たカルヴァスをはじめとする白翼の騎士達が色めき立ち、怒りの怒号が宿の中を飛び交った。
「何も不思議な事ではありませんとも。そもそも彼もまた、女神様に――」
「――サージル。言わばこれは引き抜き。ある種のスカウトと見て良いのでしょう?」
「……? ああ。確かにそうだが?」
フリーディア達を説き伏せようと口を開いたサージルに、割って入ったライゼルが言葉を重ねて問いかけた。だが言葉を遮ったものの、そのやり取りを見れば、ライゼルが白翼騎士団を去ろうとしているのは一目瞭然だった。
「ライゼル……フリーディア様に命を救われた恩を忘れたと言うのか……?」
「恩……? ああ、確かに僕はフリーディア様に命を救われた。けどね……」
ライゼルは問いかけたカルヴァスに身体を向けると、まるで白翼騎士団と対峙するように向かい合う。そして、左手でカードホルスターから一枚のカードを引き抜いてカルヴァスに突き付けながら言葉を続けた。
「そもそも、あの戦いにフリーディアが割って入らなければ僕たちは敗けなかった。それに、君達には随分と恩を返したと思うけれどね」
そう言ってライゼルがカードをめくると、そこには逆さに掲げられた魔術師の絵が描かれていた。
「ライゼル……貴方。私達に、刃を向けるというの……?」
「えぇ。今の僕の至上命題は復讐……それは貴女もご存じのはずだ」
高々とカードを掲げながら、ライゼルはじりじりと後ずさりし、サージルを庇うようにフリーディアと対峙した。
「……ライゼル、お前ッ! 俺達と語り合ったあの言葉はッ……フリーディア様に何よりも恩を感じていると言ったお前は……嘘だったって言うのかッッ!!」
フリーディアの隣。発言をする為に進み出たフリーディアの隣で、ミュルクが怒りの咆哮と共に剣を抜く。そして、その切っ先をピタリとライゼルに向けて鋭く睨み付け、言葉を続けて宣言する。
「お前と語らった僕等の日々が嘘だと言うのなら……俺はお前を絶対に許さない。魔王よりも先に……騎士道に背いたお前を叩き切ってやる」
「っ……フフッ……」
その燃えるような怒りで爛々と輝く瞳を見たライゼルは、少し驚いたかのように目を丸くすると、薄い笑みを浮かべてその驚きを包み隠す。そして、空いた右手で再びカードを抜き取ってそれをカルヴァスへと突きつける。
「物分かりの悪い人達だ。僕の目的を考えれば全部嘘だって事くらい解る筈なのですがね。敵を騙すにはまず味方から……復讐を遂げるチャンスを、僕はずっと待っていたんですよ」
言葉を紡ぎながら、ライゼルはまるで剣のように魔術師のカードを伏せて構えると、ミュルクの切先へと突きつける。同時に、カルヴァスに突き付けた新たなカードを表に返して見せつける。皮肉にもそこに描かれた悪魔の顔は、白翼の騎士達にとっては、ライゼルが浮かべた不敵な笑みと重なって見えた。
「――っ!!」
刹那。カルヴァスがピクリと肩を跳ねさせ、剣を抜き放つべく鞘にあてがっていた左手を左胸に当てる。その隣で、それまで悲し気にライゼルを見つめていたフリーディアの手が動き、戸惑うように宙を彷徨っていた左手が鞘へと番えられる。
「そう……残念だわ。ライゼル。貴方ならきっと、己が内に潜む復讐心に打ち勝てると信じていたのだけれど……」
そう告げると、悲し気に揺れていたフリーディアの瞳は鳴りを潜め、そこには既に、輝かんばかりに揺らめく決意の光が宿っていた。
「貴方までも修羅の道へ堕としてしまう訳にはいかないわ。それに、彼女との約束ですもの……ライゼル、貴方はここで止めて見せるッ!!」
「フッ……やれやれ、仕方がありませんか」
フリーディアの言葉にライゼルは頬を緩めると、カルヴァスから視線を移して右手のカードも左手に携えたカードと同様に、剣を突きつけるかのように構える。
「――っ!! っ~~……。お待ちください! フリーディア様ッ!!! ミュルクとライゼルも少し落ち着かんか!!」
しかし、フリーディアの悲壮な決意を止めたのは、その傍らで先程まで彼女たちと同様に怒りを露わにしていたカルヴァスであった。




