238話 繁栄の都
「……遅いッッ! 一体いつまで待たせるつもりだッッ!!」
アストライア聖国の東門から程近く。
小奇麗に設えられた一軒の宿屋に、カルヴァスの怒りの声が響き渡った。
「いくつか可能性は考えられますが……手を打ちますか? フリーディア様」
その傍らで、ライゼルが自らのカードを弄びながら気だるげな声で指示を仰ぐ。
この手の待機時間の裏には、様々な要素が隠れている。一つは、『視察』で来た我々に対し、見られては都合の悪い何かを隠匿している事。二つは、長い間時間を浪費させて冷静さを奪い、これからおこり得るであろう交渉事で優位に立つ事。そして三つ、最悪の可能性としては、ここで我々を嵌め殺す為、逃げ道を潰して刺客を放っている可能性もある。
「っ……そうね。町の様子を探りに行きましょう。ライゼル……頼めるわね?」
「ふぅ……。仕方がありませんね。引き受けましょう」
「ありがとう……カルヴァス。貴方は私と来て」
「ハッ!」
ライゼルの進言にフリーディアはそう答えると、その場で騎士達に向けて次々に指示を出していく。その背中を眺めながら、ライゼルは苦笑いと共に肩を竦めた。果たして、直観なのか真意を見抜いているのかは知らないが、やり辛い恩人だ……。と。
「じゃあ……あとは任せるわよ」
「承知いたしました。お気をつけて」
ライゼルの進言から五分後。フリーディアは宿屋の窓を開けると、カルヴァスと共に裏路地に向けて飛び降りる。幸いにも裏側に配置されている監視は無く、二人はすぐに外套を目深に被ると、裏路地から歩み出て人の流れへと紛れ込んだ。
「っ……これはっ……」
「……驚いたわね」
人の流れに乗り、町の中心部まで足を運ぶと、二人は揃って感嘆の声を上げる。
フリーディア達の前に広がっていた光景……それは、さながらファントのように活気に溢れた町で、笑顔の人々が日々の暮らしを送る姿だった。
だが勿論。その幸せな光景の中には、魔族と呼ばれる人々の姿は含まれてはいないが……。
「もし。そこのお方……」
「――っ!?」
二人がアストライア聖国の活気あふれる光景に圧倒されていると、突如傍らからか細い老人の声がかけられる。瞬間。獣を思わせる敏捷性で、二人は声の方向へと身構える。そこには、白いローブを纏った一人の老婆が佇んでいた。
「ホッホッホ……そう警戒されないで下さい冒険者様。いかがですかな? サージル様の治められる、このアストライア聖国は」
「っ……素晴らしい、ですわね……。町を歩く人々の顔は生気で溢れ、誰もが明日への希望を胸に抱いているのがわかりますわ」
「そうでしょう……そうでしょう。それも全ては、女神・アストライア様のご加護の賜物ですのじゃ」
言葉重く口を開いたフリーディアの言葉を聞くと、老婆は嬉しそうに大きく頷くと、胸の前で手を組んで感謝の祈りを捧げ始める。
「――女神教っ……」
「シッ――!」
その光景にカルヴァスが一歩退いて呟くと、フリーディアがその脇腹を鋭く肘でつついて注意を促す。
そう。新たに名乗りを上げたこの国は、その名の通り女神教の国。過激な思想を持つ輩も少なくない教団が治める町の真ん中で、迂闊な態度を取るべきでは無い。
――感付かれたか!?
二人の意識が祈りを捧げる老婆へと集中し、その矛先が挙動に向けて絞られる。ここで下手に騒ぎを起こすくらいならば、今すぐにでも宿屋に踵を返すべきだ。
「――っと。失礼いたしました。感極まると、ついついお祈りをしてしまう。お客人。失礼いたしましたな」
「あ――あぁ、構わな――」
「――あなた、何故、私達がお客人と?」
老婆の言葉にカルヴァスが頷きかけた瞬間。一歩前に進み出たフリーディアが鋭く老婆に問いかける。私達がこの老婆に見せた姿は、あくまでも冒険者。招かれた存在ではないのだ。
「ヒェッ……ヒェッ……ええ。あなた様は覚えて居られんと思いますとも。ですが私は、あなた様に救われたあの日から、そのお顔を忘れた日など一日たりともございません」
「っ……」
――不覚。
まさか、かつてフリーディア様に救われた者が、この町に居付いているとは……。
事実を正しく理解したカルヴァスが、姿を消すべく身を翻した瞬間だった。
「お待ちください! 冒険者様方ッッ!」
「――!?」
大声を上げて引き留めた老婆の言葉に、二人の足がピタリと止まる。
何故、この信心深い老婆は私達の事を冒険者と呼んだのか……?
緊張に満ちた面持ちでフリーディアが振り返ると、間近まで歩み寄った老婆が声を落として囁きかける。
「伊達に長生きはしておりませぬ……おおかたの事情は察しておりますじゃ。ウチへおいでなされ。貴方様方ならば、この国が富める秘密をお教えしてもよろしかろう」
「っ……」
「……。わかりました。では、案内をお願いします」
一瞬。老婆の言葉にカルヴァスが視線を向けると、それを受け取ったフリーディアが小さく頷いて応えてみせる。
今の所、断る理由は無い。仮に、この話が罠であったとしても、この国の内部を知るいい機会だろう。
「ヒョホホ……ありがたき幸せ。まさか、大恩あるお方に恩返しをする機会を下さるとは……」
フリーディアがそう答えると、老婆はブツブツと感謝の祈りを捧げながら歩き出した。その背をゆっくりと追いながら、フリーディアとカルヴァスは複雑な面持ちで視線を交わしたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




