233話 敗者の告白
「っ……」
体が重い。
果ての無い暗闇の中で、テミスは一人佇んでいた。
おかしい。記憶が曖昧だ。私は、アストライア聖国の軍を迎撃するべく、ラズールに出兵していたはず……。
「寒いな……」
テミスはぶるりと身震いをすると、果ての無い暗闇の中を歩き始める。
よくよく見てみれば、着ている服は甲冑ではなくいつもの軍服だし大剣も無い。ならば、この世界が現実で無い事は間違いないだろう。
「問題は、これが敵の攻撃か否か……か」
静けさが支配する漆黒の空間を歩きながら、テミスは寒さを堪えるように肩を抱いて思考を巡らせる。
ただの悪夢ならば問題無い。だがこれが敵の術中ならば、一刻も早く脱出する必要がある。
……あるいは。
「これが死後の世界と言うのなら、無間地獄と云うヤツなのだろうな」
元より、天国や地獄などというものを信じている訳では無い。だがあえて……死後、善人が天国という名の楽園に辿り着き、悪人が地獄という名の責め苦へと堕とされるのならば、憎しみだけで剣を振るっている私は、地獄へ堕ちるのが摂理というものだ。
「……確かに、この状態が永遠に続くのならば、気が狂うというのも頷ける」
テミスは不意に足を止めると、その場に腰を下ろして呟いた。
凍えるような寒さに、無限の闇。自らの発する言葉を返す者は無く、自分以外に音を発する物も無い。
目も耳も鼻も必要なく、何も無いが故にただ寒いという感情だけが想起される世界。なるほど。生涯で犯した罪を償わせるに等しい罰だろう。
「フッ……だが、今回は違うらしい」
緩やかに頬を歪めて、テミスは一言呟いた。
すると、漆黒の闇で埋め尽くされていた世界が薄れ始め、同時にテミスの身体も透け始める。
「目を覚ますのか、今度こそ無に還るのか……できれば、前者の方が良いがな」
その言葉を最後に、テミスの意識は闇の世界から消え去った。
「テミス。目を覚ませ」
「っ……うっ……」
直後。
小奇麗に整えられた白いベッドの上で、テミスは小さく呻いていた。
すぐ近くからは何故かルギウスの声が聞こえるし、まずは状況を把握する必要があるだろう。
「っ……!! グゥッ――!!」
何にせよ、まずは起き上がらねば……。と。固めのベッドに左手を付いた瞬間。凄まじい痛みがテミスの脳裏を駆け巡り、その激痛に屈したテミスはベッドの上で悶絶した。
「……馬鹿だろう。君は。体を動かすよりも先に、記憶を辿ると良い」
「っ……」
涙で歪んだ視界の向こうから、呆れたようなルギウスの声が響いてくると、テミスは黙ってその声に従い記憶を呼び覚ましていく。
ああ。そう言えば私は、アストアイア聖国の主・サージルと戦っていたんだったな……。ならば、この痛みは後遺症と言うヤツか……。おおかた、負傷の度合いを見たマグヌス辺りが、一番近い町であるラズールにでも駆け込んだのだろう。
「理解した。それで? 戦況は?」
「知らないな。そんな事は」
「……何?」
「手出し無用と言ったのは君のはずだけれど?」
静かな怒りを帯びたルギウスの声に、いつもの不敵さを孕んでいたテミスの声色が変化する。コイツはいったい、何に怒っているというのだ?
「あ~……すまないルギウス。私は、お前が何故珍しく怒りに燃えているのかが解らん。確かに、お前の許可なく第五軍団の直轄領内に進軍はしたが、これには訳が――」
「そんな事はどうでもいいッッ!!」
「――っ!?」
落雷のように轟いたルギウスの怒りの咆哮に、さしものテミスも息を呑んで言葉を切る。掛布団の上からちょこんと飛び出たその顔は、目を丸くした驚愕の表情で固定されていた。
「手出し無用と言いながら、なんだ? そのザマは」
「……随分な言い様だな。軒先で暴れられた事が、そんなに気に食わなかったか?」
「いいや? 無様だと言っているんだ。手出し無用と言いながら、僕が抱えて救われなければ死んでいた君の事をね」
「――っ!? なっ……!?」
その言葉を聞いた瞬間。テミスの身開けれた目がぎょろりと動き、ベッドの傍らに立って居たルギウスの姿を凝視する。
確かに。白を基調に設えられたその甲冑は、まるで血まみれの誰かを抱えたかのように赤黒く汚れ、明らかに戦帰りの様相をしている。
「思い上がるなよ? テミス。君が何を抱えているかは知らないが、それはたった一人で解決できるような代物なのか? それとも――」
追い打ちをかけるように、ルギウスは語気を強めてテミスへ詰め寄ると、病衣の胸元を掴み上げて怒鳴り付ける。
再燃した怒りで掴む手が震え、ルギウスの目尻には微かに涙すら浮かんでいた。
「――私がそんなにも頼りないかッッ!? 胸の内すら……お前の抱える悩みすら打ち明けられぬほど、信じるに値しない男だと言うのかッッ!!?」
「っ…………」
声を荒げたルギウスが息荒く詰め寄ると、言葉を失ったテミスは驚愕を通り越し、まるで呆けたかのような表情で、なすがままに怒りに燃えるその瞳を見つめていた。
「ルギウス様ッ……!! 十三軍団長は重傷で――」
「――黙れッ! どうなんだテミスッ! 答えてみろッ! 私は友ではなかったのか!? お前を慕う部下達は、お前にとって己が内を語り聞かせる事すら出来ぬ程度の存在なのかと聞いているッッ!!!」
そのあまりの剣幕を見かねた治癒術師の一人が制止するも、その魔族を怒鳴りつけてルギウスは詰問を続ける。
テミスの胸ぐらを掴み続けるルギウスのては固く握り締められ、荒々しい口調とは裏腹に、その顔は今にも泣きだしそうなほどの悲しみに満ち溢れていた。
「あぁそうか……そういう事か……」
その姿を見てようやく、テミスは状況を正しく把握した。そして、力ない笑みと共に小さく呟くと、囁くようにルギウスへと告げたのだった。
「解った。話すよ……。その前に人払いと……。私の副官達を……マグヌスとサキュドを呼んできてくれ」




