232話 傅く者と並び立つ者
数時間後。
魔王軍第五軍団直轄領・ラズール。
ファントを習って作られたこの町では今、かつてない程の緊張感が町中を覆い尽くしていた。
活気を取り戻し始めていた商店は軒並み店を閉め、町を歩く人々も、足早に家路を急ぐ者達が数えるほど居る程度だ。
――やはりこれが、彼女との差か……。と。窓から自らの治める町を見下ろしながら、ルギウスは心の中でひとりごちる。
テミスの治める町であるファントは、大軍勢が押し寄せても尚その活気は衰えず、住民たちは安寧を信じて暮らしていた。
だがそれに比べ、ラズールはこの有様だ。第五軍団が関わっていないにも関わらず、近くで戦いが起きただけで人心は揺らぎ、不安を募らせる。テミスの十三軍団と比べ、その力量に差がある事は、火を見るよりも明らかだった。
「っ……だと言うのにッッ……」
ルギウスはギシリと歯ぎしりの音を立てながら、ぴったりと閉ざされた扉を睨み付ける。今頃この奥では、ルギウスの用意した治癒魔導師たちが、テミスの命を繋げるのに躍起になっている事だろう。
「っ~~~~!!!」
嫉妬とも怒りともわからない感情がルギウスの体内を駆け巡り、その脳を焼き焦がす。行き場を失った感情が、地団駄となって体外へと放出された。
「……ルギウス殿」
「っ――?」
その姿を見かねたかのように、静かな声で名を呼んだマグヌスが、ルギウスの後ろで直立する。そして、その意を察したサキュドもまたその横に並び立つと、ルギウスの目を見て語り始める。
「まずは、我等が主にルギウス殿がその感情を抱いていただいた事、心よりの感謝をさせていただきます」
「……?」
「フフ……そのお姿を見れば、怒りとも悔恨とも言えるものが入り混じった思いを抱いている事は明白。ですがそれこそが、あのお方の真の味方である証拠であると思いますわ」
突如饒舌に語り始めたサキュドとマグヌスに、ルギウスは首を傾げて先を促す。テミスが擁する副官の中でも、サキュドは兎も角として、生真面目が過ぎるマグヌスまでもが口を揃えているとなると、その内容にはいたく興味が魅かれる。
「……テミス様は普通の人間ではない。その前提をもとにお話いたします」
ルギウスが聞く体勢を取ったのを確認すると、マグヌスはそう静かに口を開いた。そして、言葉足らずなその言葉を補うように、その横からサキュドが補足を挟む。
「普通の人間ではない……とは言っても、その戦闘力や思想の事ではありません。もっと根本的な何かが、テミス様は異なっている……」
「短いながらも濃密にテミス様にお仕えする中で、我々はそれに気付き、確信しました」
「御身の作り上げる兵器や、いとも容易く結ばれる人間達との縁。テミス様は上手く繕っていると思われているようですが、私達から見れば異例尽くし……ルギウス様ならお解りになるかと思いますが……」
「……そうだね」
代わる代わるに説明を続ける二人に、ルギウスは静かに頷くと小さくため息を吐く。
それに加えるのならば、あのサテライト・オーバーレイとか言う魔法。彼女は古代魔法の一種だと答えたが、いかなる文献や伝承を読み解いた所で、そんな名前の魔法は存在しなかった。
無論。魔導書や古文書、口伝すらも失われた彼女のみが現代に繋ぐ古代魔法の可能性も存在する。しかし、それでもまだ、魔族の魔力を以てしても再現不能な古代魔法を、人の身で操れる謎が残る。
「故に。我々はテミス様が、何か重要な事を秘匿されていると考えております」
「……それで?」
マグヌスがそう締めくくると、ルギウスは初めて苛立ちの籠った言葉を放って二人に問いかけた。
「それで? それを知って、君達はどうするつもりなんだ?」
「お待ちしようと……」
その問いに対し、一歩進み出たサキュドはルギウスの目を見据えて言葉を続ける。
「テミス様が語っても良いと思われるまで、お待ちしようと……我々を、その秘密を明かすに値すると評していただける日まで、お待ちしようと決めたのです」
「だから……僕にもそれに付き合えと?」
「…………内容だけを端的に申し上げるのであれば、そうなります」
進み出たサキュドの肩を並べたマグヌスがそう答えた瞬間。目を見開いたルギウスの怒鳴り声が廊下に響き渡った。
「お前達は、本当にそれで忠義を尽くしているつもりなのかッッ!!!」
「――っ!?」
突如声を荒げたルギウスに、マグヌスとサキュドは揃って驚愕の表情を浮かべると、背筋を正してその怒声を受け止める。
「待つだとっ!? その結果がこれだッッ! 彼女一人に全てを背負わせて何が忠臣だ!!」
「ですが――ッ!」
「――黙れサキュドッ! お前は以前の失敗から何も学んでいないッ! 我ら軍団長とてヒト……頑強であろうが決して無敵ではなく、殺し得る存在なのだと……お前達十三軍団が誰よりも知っているはずだろうッッ!!!」
「っ――……」
叩き付けられたその咆哮にサキュドは押し黙ると、その目を見開いて唇を震わせる。
その、まるで事実を今思い出したと言わんばかりの姿を見て、ルギウスは内心でため息を吐く。
テミスの他を隔絶した強さは確かに長所であるが、彼女の場合こういう意味では最悪の短所とも言えるな……。言い換えるのならば、サキュド達さえも無敵であると言う幻想に捕われるほど、テミスの強さは強烈だったのだろう。
「……僕はね。珍しく怒っているんだ」
顔色を蒼白に変え、目を見開いて佇む二人に、ルギウスは静かに語り掛ける。
「何を抱え込んでいるのか知らないけれど……できもしない事にたった一人で立ち向かおうとするテミスにね。僕の事を友だと……君たちの事を信ずる部下だと言ったその言葉は偽りだったのか……独りで立ち向かうのは勝手だけれど、遺される僕たちの事も考えろ。とね。だから……」
ルギウスが言葉を締めくくりかけた時。彼等の前の扉が開き、一人の魔族がフラフラとした足取りで退出してくる。
そして、ルギウスの姿を認めると同時に、疲れ果てた声でその命の無事を報告した。
「わかった。よくやった。存分に休んでくれ」
言葉を切ったルギウスは退出してきた魔族にそう告げた後、立ちすくむ二人を振り返って言葉を続ける。
「だから僕は……例え嫌悪されようとも、彼女の為に秘密を問い質すよ」
そう言い残すと、ルギウスは治療が行われていた部屋へと入って行ったのだった。




