231話 執念と慟哭
その戦いは、凄惨極まる戦いだった。
互いに刃を避ける事は無く、その身から迸る血で辺り一面は赤く染まっていた。
まるで、この世の地獄を体現したかのようなその光景に、女神を信奉していた辺りの兵士たちですら戦いの手を止め、固唾を呑んで殺し合いに視線を奪われていた。
「っ~~~~!!! ギィ……アアアアッッッッ!!」
断末魔のような悲鳴を上げながら、サージルが真っ赤に染まった片刃の大剣をテミスに向けて振り下ろす。対するテミスは、その身で刃を受け止めながら、ただ粛々とサージルの体を斬り刻んでいた。
たがいに致命たり得る一撃すら躱す素振りも見せないそれは、明らかに常軌を逸した戦いであった。
「…………」
ぐらり。と。
不意にテミスの身体が傾ぎ、踏み出された足が体勢を食い止める。
――限界か。
自らの意思に背いて勝手に傾いだ体を眺めて、テミスは冷酷にそう判断した。
身に刻んだダメージで言うのならば五分……否。堅牢な甲冑で幾らかの攻撃を弾いている分、私の方が有利なはずだ。だがしかし、実際に先に音を上げたのは、私が先だった。
「フ……ン……皮肉……だな……」
テミスはしゃがれた声で呟くと、再び振るわれた剣を体で受け止めながら反撃を食い込ませる。
もう何度、こうして互いの身を削り合っただろうか。
叩き切り。突き刺し。弾き飛ばす。数えきれない程の攻撃を受け、数えきれない程の攻撃を与えた。しかし、技も何も使っていないはずのサージルは、歯を食いしばり、発狂しても不思議では無い程の苦痛を堪えながら、再びその刃をテミスに叩き込むべく振り上げる。
――正直。見上げた根性だ。
テミスはその姿を見て微笑みながら、どこか清々しい気分と共にサージルを評価する。
平和に暮らしてきた転生者の分際で、その身に夥しい程の斬撃を浴びながらも戦い続けるなど、並の精神で務まる事ではない。ましてや、そこに小細工など一切なく、あの女神や勇者などという幻想への憧れのみで意識を繋ぎ止めているのだから驚愕だ。
「だ……が……勝つのは私だ」
テミスはそう呟きながら、血濡れた頬を吊り上げると、その顔を壮絶な笑みへと作り変える。
痛みと言うのはいわば人体における安全装置だ。痛みと言う苦痛を以て、肉体は主を死の危険から遠ざける。故に、精神力だけでそれを凌駕している奴と、能力を以てそれを封殺している私では、最後の最後で違いが出る。
「ハハッ……! め……神に、よろしく伝えろ!!」
テミスは掠れ切った声でそう叫ぶと、サージルに倍する速度で剣を振り上げる。
その身体の限界を遥かに超えた無茶にテミスの身体が悲鳴を上げ、鎧の継ぎ目から夥しい量の血が噴水の様に噴き出した。
「くっ……そっ……アアアァァァァァ!!!!」
今にも振り下ろされようとするテミスの大剣を見上げながら、サージルの悔し気な咆哮が大気を震わせた。
まさに一瞬の差。痛みを越えた痛みを堪えたが故に、サージルの肉体は自殺行為に等しい無茶を引き留めた。だからこそ、サージルの剣の動きは重く、機先を制したテミスの一撃を捌く事のできる体制は整っていなかった。
――及ばなかった。
憎んでも憎み切れない悪を睨み付けながら、サージルは心の中で呪詛を紡いだ。
倫理を捨て、命を棄てても討てないのならば、この魂をくれてやってもいい! だから、女神に背いたこの大罪人に裁きを――ッッッ!!!
及ばぬのならばせめて、最後の一瞬までこの女を呪い続ける。サージルはその覚悟を以て、テミスの目を睨み付けていた。
「っ…………」
「――?」
しかし、サージルの身体を切り裂くはずの一撃はいつまで経っても放たれる事は無く、数瞬の沈黙の後、どしゃりと言う音を立ててテミスの身体が崩れ落ちた。
「な……に……?」
サージルはその意味が呑み込めず、ボロボロの身体を大剣に預けて地に伏したテミスを眺め続けた。
――罠か?
互いに限界を越えている事など知っている。後一撃を叩き込む力が残っていなかったからこそ、こうして僕が近付くのを待っているのか……?
しかし、いつまで経ってもテミスがその身を動かす事は無く、赤く染まった甲冑から流れ出る血液が、周囲に広がる血の海を拡張し続けていた。
「ッ……。何故ッ……何故だッ!!!!!」
寂しさに似た虚無感がサージルの胸に去来しかけた瞬間。静まり返った戦場に乱入者の咆哮が響き渡った。
「っ――!?」
乱入者は雷のような轟音と共に、テミス達を取り囲んでいた兵の一角を切り崩すと、目にも止まらぬ速さで物言わぬテミスの身を抱え上げる。
「お前……はッ……!!」
「そんなにも……そんなにも私が頼り無いかッッ!!!!」
サージルが息も絶え絶えに乱入者を睨み付けると、ルギウスは涙を流しながら、血を吐くような咆哮と共に感情をまき散らす。
「それとも――ッ! 私など信ずるに値しないと言うのかッ!! 何故……こんなにまでなって独りで抱え込むッッ!!」
悲しみの絶叫と共に、ルギウスは風の斬撃を以て圧し切られそうになっていたマグヌスとサキュドを救出してサージルを睨み付けて宣言する。
「追って来たくば好きにしろ。だが、その折には十三軍団に加えて、第五軍団も全軍を以てお相手しよう」
「待て……ッッ!!」
「退くぞッ!」
一方的に言い残して背を向けたルギウスを、サージルの叫びが呼び止める。しかし、その言葉を無視したルギウスはマグヌスとサキュドを連れて、颯爽と姿を消したのだった。




