225話 開戦の狼煙
人間領最前線イゼル北西部・ラズール平原。
ファントへと進軍するアストライア聖国軍を迎え撃つべく、ファントから出兵したテミス達十三軍団は、未だ以前の戦いの傷跡が残るこの地で陣を敷いていた。
「フム……」
テミスは地平の果てに目を向けて嘆息すると、腕組みをして思考を働かせる。
クルトの宣戦布告を受けてから二日。連中の軍がこちらへ向かっているとするならば、そろそろぶつかっても良い所まで進軍しているはずだが……。
「テミス様。本当によろしいのですか?」
「ああ。必ずルギウスに伝令しろ。手出し無用。とな」
「っ……承知しました」
恐る恐るといった具合で確認を取るベリスを、テミスは一瞥すらせずに頷く。その冷酷とも取れる態度に、ベリスはビクリと肩を振るわせた後、脱兎の如く駆け出して隊を離れていった。
「フッ……少しばかり、気が立っているか……」
ベリスの姿を見てテミスは微かに頬を緩め、自嘲気味に言葉を漏らす。
戦の前とはいえ、ここまで心がささくれ立っているのも我ながら珍しい。やはり、これからあの女神モドキを信奉する連中と戦うせいか、靴底にへばりついた溝泥の様な不快感が鼻につく。
だからこそ、真なる平和を望むルギウスを、こんな戦いに巻き込むべきではないのだ。
「ベリス……アイツ、どうしちゃったのよ? あんなに顔を青くしちゃって」
「サキュド……察しろ」
「……? あぁ……」
立ち去ったベリスと入れ替わるように、完全武装をしたサキュドが姿を現して、不思議そうに首を傾げた。しかし、傍らに控えるマグヌスの態度から、おおかたの事情を把握してその唇を三日月のように歪めた。
「んっふっふ~。テミス様ぁ? 昂るお気持ちは重々承知致しておりますが、我々は兎も角、他の兵の前でその姿をお見せになるのは控えた方がよろしいかと」
「……どういう意味だ?」
「烏合の衆と言えど、連中は命を投げ打って攻撃してくる……そんな事を聞かされて尚、テミス様がそのようなお顔をされていては、如何な強敵が待ち構えているのかと兵が怯えてしまいます」
サキュドはテミスの周りをくるくると回りながらそう諭し、目の前で立ち止まって大きく伸びをして見せる。
「いつも通りでよいのです。いつも通り、我等は我等の正義を貫くのみ」
「ハッ……」
そう言って片目を瞑って見せるサキュドを、テミスは鼻で嗤って唇を歪めて見せる。サキュドの事だ……どうせ理解して言って居るのだろう。
今までの戦いはどれも、兵と兵のぶつかり合い。軍籍を持った者達の戦いと言う意味では、ある種の合意の上での殺し合いだったと言えるだろう。だが、これから始まる戦いは違う。今回の相手は、戦いに自らの命をかける意志など無いにも関わらず、心を縛られ、強制的に戦場に立たされた者達だ。そんな者達を斬り斃して進まなければならないこの戦いには、我等の正義など一片たりとも存在しない。
「そこまで皮肉を叩いたのだ。せいぜい奮戦してみせろよ?」
「えぇ、喜んで。このサキュド……三下が命を懸けた程度で届くほど甘くはありませんわ」
サキュドがそうテミスの言葉に応えると、二人はマグヌスの前で瓜二つの表情を浮かべて笑いあう。
「っ――!! 斥候部隊より伝令ッッ!! アストライア聖国軍と思われる集団が我が軍団に接近中!」
その瞬間。敵襲を叫びながら、ネーフィスがテミスの元へと駆け込んできた。
「来たかッ! ――規模は!?」
「およそ、一個師団程です!」
「一個師団……? やけに少ないな……」
短く言葉を交わしながら、テミスは小さく首を傾げる。独立したばかりの都市国家とはいえ、連中は数多くの奴隷兵を従えている筈……。ならば、最低でも三個師団程度の頭数は揃えていると予測していたが……。
「それと……これは、斥候部隊の連中が必ず伝えるようにと念押ししてきた情報なのですが……」
そう前置きをすると、ネーフィスはテミスから気まずそうに視線を逸らして報告を続ける。
「連中の装備は重厚。一部に冒険者の様な格好をした連中も混じってはいるようですが、その殆どは上質な武具で装備を整えた者達の様です!」
「何ッ――!? それは本当かッ!」
「は……はい。確かに」
テミスは受けた報告に目を丸くすると、ネーフィスの肩を掴んで確認を取る。その話が本当ならば、敵全体の手ごわさは増すが、最大の懸念事項であったサージルの能力に当たりが付けられる。
「ククッ……よろしい」
そしてその問いに、ネーフィスがガクガクと肩を揺さぶられながら頷くと、テミスは獰猛な笑みを浮かべてその体を解放する。
――勝った。
テミスはそう確信すると、背負った大剣を抜き放って大きく息を吸い込んだ。
様々な理由があるとはいえ、奴隷兵にまで豪勢な装備を回す理由など一つしかないだろう。
サージルの能力はおそらく、直接戦闘に使える物ではない。
そんな回りくどい手段を取ると言う事は、恐らくは生産系……私がこの世界に来た瞬間に危惧したように、自らが技を放ったり魔術を扱えるようになる系統ではないはずだ。
「全軍! 戦闘態勢ッ! 悪神を崇め奉る狂信者共に、戦場というものを叩き込んでやれェッ!!!」
直後。びりびりと大気を震わせながら、凛としたテミスの号令が平原に響き渡ったのだった。




