224話 終わりなき修羅道
「ハッ……奴隷制度ね……」
テミスはマグヌスが持ってきた報告書に目を通すと、鼻で嗤って執務机の上へと放り投げる。
「テミス様……本当に、よろしいのですか?」
「構わんさ。……と言うか、我等が十三軍団史上初の捕虜なのだ。丁重にもてなしてやってはどうだ?」
「ご冗談を……」
薄い笑みを浮かべて言い放ったテミスに対し、マグヌスもまた小さく笑みを浮かべて受け応える。
これまでの間、十三軍団では捕虜を取る事が無かった。それはテミスの気質が大いに関係している事は言うまでも無いが、遊撃を専門とする少数精鋭の部隊としては正しい形でもあった。
「ですが奴……クルト、でしたか……。一体どう言いくるめたのです? 面白いように情報を喋りますが」
「ああ。クルトが吐いた情報は鵜呑みにするなよ。せいぜい旅人や行商人から聞いた噂話程度に、頭の片隅に留めておくだけで良い」
「欺瞞情報だという事ですか?」
「解らん。判別がつかないが故に、保留なのだ」
テミスは詰まらなさそうに鼻を鳴らすと、マグヌスから視線を逸らして不機嫌に唇を曲げる。
この女神の騎士を自称するサージルとか言う間抜けは、その言動が示す通り底抜けの阿呆らしい……だが、脳足りんの馬鹿では無いのが質が悪い。奴隷制度とは平たく言えば、力を以て権利を剥奪し、不当に人を物へと貶める制度だ。
故に、歴史が示す通り、力で押さえつけたその制度は、革命という力を以て粉砕せしめられ息絶えた。
だが、あくまでもそれは同等の素体を持つ人間の間での話である。
如何に大量の奴隷を従える貴族と言えど、銃を持った奴隷一人の前に放り出されれば簡単に撃ち殺される。しかし、今我々が生きている世界はそうではない。
魔術や魔族というイレギュラーが存在し、さらにそこへ強靭な肉体や能力を持った転生者という存在も居る。
仮に。奴隷たちが完全武装して蜂起したとしても、倒せ得ぬ支配者が居たらどうだろうか? 答えは簡単だ。奴隷たちは永遠にその境遇を打ち破る術を持てず、できる事はただひたすらに苦痛に耐える事のみ。
つまり、このサージルとか言う狂信者は、奇しくもその完全とも思える支配構造を構築しているのだ。
だとすると、この手の『大馬鹿』が次にやる事と言えば一つしかない。
「……やれやれ、本当に面倒だな」
テミスは巨大な溜息をつくと、部屋の隅に立てかけられた大剣へと目を向ける。
秤にかけられたものは二つ。
戦う事を強制された罪無き者達の命と、ファントの人々が享受している人としての暮らし。
「悩む余地など、一片たりとも無いがな」
テミスは即座にその天秤を傾けると、マグヌスに視線を戻して口を開いた。
「今回の敵兵は、今までよりも少し……いや、かなり士気が高いやもしれん。それこそ、自棄を起こして特攻を仕掛けてくる者も居るだろう」
「っ……奴隷兵……ですか……」
その口ぶりから真意を察したマグヌスが、苦々しい表情と共に答えを導き出す。
狭義心に厚いマグヌスの事だ、心を縛り、命を消費するような戦い方をする彼等の存在を、憐れみこそすれ、快く思っていないのだろう。
「ああ。全軍に通達しておけ。余計な被害を出さんように留意せよ……とな」
「ハッ……! 承知いたしました!」
ため息交じりにテミスが指示を出すと、マグヌスは背筋を正して敬礼した後、執務室から退出していく。
「馬鹿な奴だ……」
その足音が消えた頃。テミスは小さな声でポツリと心中を零す。
女神の使徒を名乗るのならば、素直に自分達の幸せだけを追求していればいい物を……。何故そうまでして、奴等は他者の平和を破壊しようとするのだろうか。
私はあと何回、罪無き者の血でこの手を汚しながら、災禍を振りまく大罪人の首を刈り取ればいい?
「…………なんだか、疲れたな……」
テミスはそう一言呟いた後、ノロノロと戦支度を始めるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一方その頃。
アルトライア聖国・大教会。
蝋燭の小さな明かりが揺らめく聖堂の中に、静かなサージルの声が響き渡る。
「主よ。星空に揺蕩う我等が女神よ。今こそ我等に巨悪を打ち滅ぼす力を与え給え。聖なる主の聖名を解さぬ信心無き愚者をお許しください。我等の望むべき正道に導きを……祖の御心に背きし悪魔に鉄槌をッ!!」
ジャリィンッ! と。祈りを終えたサージルが勢い良く立ち上がると、その背に担いだ大剣が擦れて派手な音を立てる。しかし、サージルはそれを気に留める事すら無く、無言のまま聖堂の戸を開けて振り返る。そして、聖堂の中心に据えられた巨大な女神像を仰いで微笑むと、小さな声で呟いた。
「アストライア様……僕は、貴女にかけて頂いた慈悲を……このご恩に報いて見せます」
誓いの言葉を残したサージルが立ち去った後、誰も居ない聖堂に設えられた女神の像が、一瞬だけうっすらと輝きを放ったのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




